「焼きプリン、いただけて良かったですわ。それに希望通り、きちんと10人前ありますのよ!」

 『ソレイユ・ルヴァン』からの帰り道。
 プリンの入った箱を大事そうに抱えながら、上機嫌にはしゃぐアウラ。その足取りは今にも踊りださんばかりで、彼女と同じくプリンが大好物のツァイスも思わず笑みをこぼしてしまう。
 2人の後ろを無言で歩くクルーエルの仏頂面は変わらなかったが、テンションの上がっているアウラは特に気にした風もなく、不機嫌な青年にも笑顔を投げて寄越すのだった。

「わたくしの我儘を受け入れてくださった、プリンちゃんには感謝致しませんと」
「……おい、もしかしてフルールの事言ってんのかよ」
「ええ。プリンちゃんとお呼びしたら、言葉を失う勢いで喜んでいらっしゃいましたわ!」
「いやソレあまりにも斜め上すぎてツッコめなかったんじゃねえの……」

 とりあえずフルールには後でメールか電話で謝っておこう。そう心に決めたツァイスなのだった。
 それにアウラの所為でゆっくり話も出来なかったし。ついでに今後の予定を聞いて、次の休みには遊びに誘ってみよう。これはあくまでついでだ。主題はあくまでアウラである。

「……ツァイス様、顔が少しニヤけてますわ」
「し、下心なんてないからな絶対に! あくまでついでだからな、ついで!」
「あらまあ、何の話ですの?」
「…………」

 全てを察したかのようなクルーエルの溜息が耳に痛い。というか全部お見通しだ、絶対に。
 それを違う方に勘違いしてしまったらしく、アウラの表情が少し曇った。恐る恐るクルーエルに視線を向けて、か細い声で謝罪の言葉を呟く。

「あの、クルーエル様。今日はわたくしの事で心配をかけて、本当に申し訳ありませんでした……」
「誰も貴様の身など案じていない」
「お前、またそういう事を……」
「いいのです、ツァイス様。それにわたくしの立場を考えれば仕方がありませんわ」

 ──わたくしは素性の知れない怪しい娘。
 それに記憶まで失くしているだなんて、警戒されて当然なのです。それにわたくしは、貴方がたの重大な秘密を知ってしまっているのですから。

「ならば忘れるな。貴様が監視される立場であるという事を」
「……クルーエル、もうその位にしておけ」
「あの事を口外したら、殺す」
「てめえ、いい加減にしろ!」

 いきり立ってクルーエルに殴りかかろうとするツァイスを、アウラが静かに手で制する。
 その手が僅かに震えている事に気が付き、やむなくツァイスは拳を下ろすしかなくなってしまう。そんな2人を、クルーエルはまるで他人事のように冷ややかな目で見ていた。

「……はい。命に代えても、秘密はお守り致します」

 はっきりと、迷いのない口調でアウラは告げた。
 フルール達に告げた事実には誤りがある。ツァイス達は『シュトライテン一族』の傭兵として、アウラを救ったのではない。
 シュトライテン一族の知られざるもう一つの顔、義賊『シュヴァルツヴィント』の仕事を遂行している最中に、標的の屋敷でアウラを見つけたのだ。衰弱し、死の淵を彷徨っていた彼女を、義賊の首領である『断罪者』──ツァイスは見捨てられなかった。
 政治犯だった標的の仕向けた間者である可能性を、暗殺者『死神』ことクルーエルは指摘し、すぐさま殺害することを主張した。仮にそれが杞憂だったとしても、彼女を保護すれば確実に『義賊』の正体が知られてしまう。
 不正者を暴き、そして然るべき罰を与える義賊シュヴァルツヴィント。彼らの所業を世間は高く評価しているが、治安を乱す存在であるのもまた事実。軍部に『第一級討伐対象』に指定され、あの軍門シュレンドルフ家に追われる立場である以上、どんな些細な不安要素でも確実に摘んでおかねばならない。
 だが本来の優しさが仇となって、ツァイスはそれを怠った。得体の知れない少女に秘密を握られ、クルーエルはアウラに過剰とも言える警戒心を抱いている。未だに少女の殺害を主張し続ける程には。

「大丈夫だ、俺はアウラの事を信じてる。クルーエルの心配するような事にはならねえよ」

 「アウラ」という自らの名前以外に思い出を持たない、記憶という名の色を失くした少女。
 無色を意味する「ファルブロス」の名字は、ツァイスが付けたものだった。かつてツァイスが生命を救った少年に、「クルーエル」という名を与えた時と同じように。
 諦めたようにクルーエルが溜息を吐いた。どれだけ反発したところで、クルーエルはツァイスには逆らえない。
 もしもアウラが脅威になるのだとしても、この生命を賭してツァイスを守る──そう、その事実さえ忘れなければいいのだ。

「……まあいい。女、約定は違えるな」
「はい。わたくしは、絶対に貴方がたを裏切らないと、お約束致します」
「よーし。晴れて仲直りってことで、握手しようぜ握手! 俺達の熱い絆の証明をだな……」
「断る」
「おいクルーエルそこは乗っかる所だろ!」
「そんなにしたければ勝手に1人でやっていろ」
「馬鹿かお前! 1人でやったって意味ないだろうがぁぁぁ!」

 男たちのやりとりを見ながら、アウラは密かに湧き上がる感情を抑えずにはいられなかった。
 歓喜。どんな形であれ、ツァイスとクルーエルが自分の為に、ここまで駆けつけて来たのは事実なのだから。
 記憶を失くし、色を持たないアウラに色彩を与えてくれる人達。アウラは彼らが大好きだ。それは無色の自分を彩った、一番最初の「色」だ。
 例え記憶を失くす前の自分がどんな存在だったとしても、この「色」だけは塗り替えられない。
 彼らを見つめる少女の蒼い双眸には、確かに慈愛の色が浮かんでいたのだった。