私には記憶が無い。
 かつて背中に在ったはずの片方の翼と、右目の光も失っている。
 あちこちが欠けてしまっている、異質で中途半端な存在。それが今の私の姿だ。

 何故それらを失ってしまったのか。理由は未だに分からない。
 事情を知っているであろう、仲間のアンゼリカとアルベルトに尋ねた事はあるのだが、気まずそうな笑顔を向けられるばかりで現在も答えを得るには至っていない。
 優しい彼らが意地悪で沈黙を守っているとは思えないし、余程言いたくない事情とやらがあるのだろう。

 ──知らずに済むのならそれでいい。目を背けたくなるような、えげつない状況だった、とか?

 あくまで私の想像でしかないのだが、残された片翼に触れられた際に湧き起こる凄まじい嫌悪感から察するに、あながち外れてもいないとは思う。
 自身に降り掛かった厄災を、自分だけが知らないというのも妙な話だ。
 知りたくないと言えば嘘になる。だがアンゼリカ達の気遣いを無視してまで、積極的に知ろうとする事もないだろう。

 そんなもどかしい想いを抱えたままの私だが、失われた思い出に関しては、左程悪いものではなかった……いや、恐らくはかけがえのない大切なものだったのだろうと想像している。



 最近、何度も同じ夢を見る。
 それは多分、私の失われた記憶の一部。
 恐らくはこの場所、コーゼンヴァー大陸ではない別の、遠い何処かの国で。
 私は『愛しい人』達に囲まれて、笑っていた。

 二対の瞳を持った勇猛な戦士。
 優しい雰囲気を纏った仮面の青年。
 鮮やかなピンク色の髪の可愛らしい少女。
 大きな帽子が良く似合う気さくな魔法使いの少年。
 彼らに混じって楽しそうに笑うアンゼリカの姿もあった。

 知らなかった。私は、こんな風に笑う事が出来たんだ。
 彼らの側にいるだけで、暖かな光が体中を満たしていくのを感じる。
 ああ。きっと彼らは、私にとって大切で、愛おしい存在なんだ。
 知りたい、もっと彼らの事を。
 この唇に乗せたい。愛しい彼らの名前を。
 見つけたい、彼らと築いたであろう大切な思い出たちを……!



 ……だけど現実は、斯くも果敢ないもので。
 私の願いを知ったアンゼリカ達の悲しそうな顔を見て、私は絶望という言葉の意味を知った。

 ──ごめん。本当にごめんな、グィンティル……!
 私の身体を抱きしめて、泣きながら謝罪の言葉を紡ぎ続けるアンゼリカ。

 ──申し訳ありません、グィンティル様……
 深く頭を垂れるアルベルトの表情には、隠しきれない苦悶の色が覗いていた。

 悲しかった。見出した一筋の希望が、暗雲に呑み込まれていく喪失感。
 そして何よりも情けなかった。大好きな彼らを悲しませてしまった自分が。
 気に病まないでほしい、少し気になっただけだから。そんな言葉を彼らが信じるとは思えなかったが、私はそう口にすることしか出来なかった。
 何故、彼らが私に詫びる必要があったのだろう。寧ろ、謝らなければならないのは私の方なのに。
 それから2人が顔を見合わせ、何かを決意したかのように頷き合っていた事の意味。
 結局何も分からないまま、私はまた何も知らずに、『その時』を迎えていたのだった。



***



「……もう、朝なのか」

 窓の外から降り注ぐ陽光に目を細めながら、ゆっくりと寝台から身を起こす。
 身体がいつもより軽く感じる。きっと、昨夜アルベルトが淹れてくれた薬湯のお蔭だろう。最近、夢見の悪かった私の為に特別に調合してくれたのだ。
 アンゼリカも昨夜は私の為に、厄除けの結界を寝台の周りに張ってくれていたから、昨夜は妙な夢に悩まされる事もなかった。
 私をいつも支え、助けてくれる2人には本当に感謝している。そう思いを馳せていると、部屋のドアを軽くノックする音と、アンゼリカの明るい声が聞こえてきた。

「おっはよー。グィンティル、どうだ体の調子は?」
「ああ、お蔭様でぐっすり眠れた。身体だけじゃなく、心まで軽くなった気分だ」
「そっか。じゃあ心機一転、今日も一日張り切って行こうぜ!」



 ──そうしてまた、私は大切なものを失い続けながら生きていく。
 彼らの優しさと、その裏に隠された苦悶すら知らないままで。