クライドラフト連邦大陸・首都ノースタウン州郊外の農耕区画。
 牧歌的な風情の漂う小さな街の一角に、フルールとリコリスの働く花屋「ソレイユ・ルヴァン」は在った。
 豊富な種類の花だけでなく、癒し効果の高いハーブを取り扱う事から、主に浄化派の傭兵や軍部の人間にも重宝されており、また店主夫妻の温和な人柄も評判が良く、小さな店だが「知る人ぞ知る」ポジションを確立していた。
 数ヶ月前から住み込みで働き始めた看板娘・フルールの淹れるハーブティーや手作り菓子も人気で、待ち時間に出されるそれらを目当てにやってくる客も時折いるのだという。
 しかし、ここまであからさまなパターンは、フルールもさすがに初めてであった。



「ごめんくださいませ。焼きプリン10人前、頂けますかしら?」

 店内を彩る花に目をくれることも無く、その少女は自信満々に言い放った。
 フルールの呆気にとられた表情にも臆することなく、その少女はどこまでも自信に満ち溢れていた。
 リコリスの蔑むような視線にも怯むことなく、その少女は楽しそうに、弾んだ声音で確かにそう、言った。

「……ねえリコリス、ここって確か、花屋よね……?」
「しっかりするニャ! フルールが自信を失くしてどうするのニャ!」
「そ、そうね。一瞬頭がこんがらがっちゃったわ……」
「あの、わたくしの注文は聞こえましたかしら? 焼きプリンを10人前、頂きたいのですけど」

 むしろばっちり聞こえていたからこそ、フルール達は混乱しているのである。
 しかし目の前の少女は、当惑する2人(1人と1匹)の様子に気付いた風もなく、蒼い瞳をぱちくりと瞬かせるばかり。きっと自分の発言に、疑問など何一つ抱いていないに違いなかった。
 アメジストの輝きを思わせる長い紫色の髪に、白いシルクのヘアバンドが印象的な少女だった。プリン10人前発言さえなければ、素直に美少女と形容したい顔立ちをしている。
 淑やかで丁寧な言葉遣いから察するに、どこか良家のお嬢様なのかもしれない。それも相当、世間知らずな。
 ツッコミたい。ここは花屋なのだと。しかしあまりにも得意げであるものだから、あの遠慮のないリコリスでさえもツッコむのを躊躇っている。
 お願いリコリス、何か言ってあげて。フルール、早くコイツを何とかするのニャ。2人が目線で押し付け合ってる間に、少女は何か思い当ったらしい。はっと息を飲むと、恥ずかしそうに苦笑をもらす。

「あら、わたくしったら今頃こんな事に気が付くなんて。お恥ずかしい限りですわ」
「い、いえ。ご理解いただけて良かったです」
「あらかじめ予約が必要でしたのね。どうしましょう、折角ここまで来ましたのに……」
「気付くとこ違うのニャアアア!」

 さすがにリコリスが突っ込んだ。
 しかし少女はどこまでも斜め上を行っていた。突然嬉しそうに歓声を上げたかと思うと、ふわふわと漂うピンク色のネコちゃんを、あろうことかがしっと鷲掴みにしたのである。
 リコリスが逃げ出す間も、フルールが阻止する間もないほどの素早すぎる所業だった。

「まあああ! 喋るぬいぐるみかと思ったら、この子本物のネコちゃんですのね! 感激ですわ!」
「ニャッ! いきなり何するのニャ!」
「ああっ、何て愛らしいのでしょう! あの、抱っこさせていただいてもよろしいでしょうか!」
「フニャーーーーー!?」

 抱っこどころか力いっぱいハグしながらの台詞である。
 押し潰されたリコリスが何とも言えない奇妙な鳴き声を上げた。少女の腕から逃れようと、小さな手足をばたつかせるのだが、その姿も少女の目には愛らしく映るらしい。更に強い力で抱きしめ……むしろ締め上げられた挙句、頬ずりまでされる始末。
 そしてフルールはと言えば、相棒のピンチに手も足も出せないまま、この何とも珍妙な光景を見守る事しか出来なかったのだった。その間にもリコリスのぽよぽよ☆ボディがむぎゅーと押し潰されて、とっても愉快な形に歪む。

「まあ、何て面白い感触なのかしら。まるでプリンのようにぽよぽよしてますわ」
「ふにゃあああああんフルールううううう! 助けてほしいのニャアアア!」
「お、お客様、どうかそれくらいに……」
「ああああっ。すっかり忘れていましたわ、プリン! 焼きプリン10人前を頼みに来たのでした!」

 話は巡ってプリンに戻り、本来の目的を思い出した少女は、それまで散々愛で倒していたリコリスをぽーんと放り投げた。ようやく解放されたはいいものの、これはこれで酷い。
 もう抗議の声を上げる事すら出来ず、ぐったりしているリコリスを尻目に、少女はフルールにずいっと詰め寄た。爛々と輝いた眼差しに気圧されたフルールが数歩後ずさる。

「あの、我儘を申して心苦しいのですが、どうにか1つだけでも……いえ3つ、やっぱり5人前ほど売って頂けないでしょうか。苦労してここまで来ましたのに、手ぶらで帰るのも遺憾ですわ」
「えーと、あの、ここはそういった店じゃなくてですね……」
「手ぶらがイヤなら花買って帰るニャアアア!」

 黙っていれば、もといプリン10人前発言さえなければ、花を愛でる姿のよく似合う可憐な美少女だというのに、この少女は先程から店内の花に一瞥もくれていなかった。
 フルールなら20分もあれば、少女に似合う花を見繕って、可愛いフラワーアレンジメントを作り上げてみせるのに。あらゆる意味で残念な少女だった。

「あら、どうしてお花なんですの。わたくしは焼きプリンを買いに来ましたのよ」
「……………………あの、お客様。ここ『ソレイユ・ルヴァン』は花屋なんです……」
「まぁ、可笑しなご冗談を。ここは手作りスイーツの店ではありませんの?」
「お前こそ冗談も程々にするのニャ! 周り! 周りをよく見るのニャアアア!」
「えっ……?」

 そして少女はようやく気付いた。
 店内に所狭しと並べられている色とりどりの花、花、花。
 どこからどう見ても、花屋以外の何物でもない光景を目にして唖然とする少女。理解を得られて助かったと思う反面、店主夫妻とフルールが丹精込めて手入れした花を、わなわなと身体を震わせて見回され、フルールはいささか複雑な心境なのであった。

「……これ、良く出来た飴細工、というオチは……ございませんわよね?」
「んなワケあるかニャー!」

 リコリスが盛大にツッコんだ。少女の後頭部に向かって、体当たりで。
 花屋にプリンを買いに来ていようが、リコリスを締め上げようが、これでも一応大切なお客様である。フルールが咎めようとしたのだが、内心激しく同意したい部分もあるので、結局言葉を飲み込んだ。
 ぽよぽよ☆ボディでの体当たりでも、勢いを付けていたので威力はそれなりに高いはず……なのだが少女は意に介した風もなく、ここが手作りスイーツ店でなかった現実からまだ立ち直れないようで、手で顔を覆いながら恥ずかしそうに呻き声を上げ始める。

「申し訳ありません……焼きプリンに目が眩むあまり、ロクに確認もしないで突っ走ってしまいましたわ……ああっ、何とお恥ずかしい」
「い、いえ。あまり気に病まないでくださいね……」
「それにしても妙な勘違いだニャ。どうしてここが手作りスイーツの店だと思ったニャ?」

 リコリスの疑問ももっともである。確かに花束やフラワーアレンジメントを作成する待ち時間に、フルールの手作りスイーツを提供することはあるのだが、これはあくまでサービスの一環であって、専門店と勘違いされるほど本格的なものでもないはずだ。
 少女が一体どこからどんな情報を仕入れたのか、フルールもリコリスもそちらが気になって仕方がない。

「わたくしの連れ……いえ友達? 家族? 仲間? ええと、何と言い表せば良いのかしら……」
「ややこしいニャア。その辺りはどうでもいいから、さっさと話を進めるニャ」
「と、とにかく、その方に分けて頂いた焼きプリンの味に、わたくしすっかり魅入られてしまいまして。
 話を聞けば、ここ『ソレイユ・ルヴァン』で手に入れたとの事でしたので、居ても立っても居られず、こうして馳せ参じた次第ですの」
「まあ……私のプリンを褒めていただけるのは、嬉しいんですけど……」
「そいつも迷惑なヤツだニャ。紛らわしいこと吹き込まないでほしいのニャ」
「いいえ、いいえっ! わたくしが勝手に早合点しただけですわ! あの方は悪くありません!」

 猛烈な勢いで否定する少女にリコリスが目を丸くする。
 余程その相手を信頼しているのか、今にも泣きだしそうな表情である。さすがにリコリスもまずいと思ったらしく「すまんニャア……」と小さく呟いた。
 ここは花屋であって手作りスイーツ店ではないので、プリンを初めとした手作り菓子を客に振舞う事はあっても、テイクアウトの要望は基本的に断っている。フルールの菓子作りはあくまで趣味の範囲であって、手土産に渡せる相手となれば、フルールが個人的に親しくしている人間に限られてくる。それに、少女の知人は『ソレイユ・ルヴァン』で手に入れたと言っていたようなので、この店の客であるのは間違いない。
 一体誰なのかしら……と思案にふけるフルールだが、それは突如、店に飛び込んできた人物によって明かされることとなる。

「てめえアウラあああッ! こんな所に居やがったのか!!!」

 ばたーん!
 青年の叫び声と、叩き付ける勢いで開かれたドアの音が、店内に盛大に響き渡った。