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【退治屋】聖域ルナティクス(後編)

「……おい弓束、何なんだこれは一体」

 床に転がる一匹の黒豹──否、黒豹を思わせる悪魔の死体を見遣り、羽柴司祭が胡散臭げに呟いた。

「その名で私を呼ばぬようにと言った筈ですが?」
「別にいいだろう他に人も居ねえんだし。で、一体どうしたんだよコイツ。この聖域バチカンで殺生とは、また趣味が悪いなお前も」
「別に殺してはいませんよ。ただ気絶しているだけです。ほら、傷一つ付けていないでしょう?」

 気絶、ねえ。
 恐怖に引き攣った黒豹の悪魔の顔を見るに、えげつない仕打ちを与えていたのだろうと察しはつく。
 そして弓束、否、ユウギリ枢機卿の機嫌はすこぶる悪いらしい。端正な顔に張り付いた柔和な笑みが、不機嫌を雄弁に物語っている。

「教皇の許可を得て罠を張ってみたのですが、見事に引っかかってくれました。まあ罠とは言っても、わざと結界を緩めて敵を誘き出すという、極めて単純なものでしたが」
「はぁ? 何でまたそんな真似を」
「聖なるナターレの前ですから、鬱陶しい小物をこの機会に一掃しておきたいと思いまして。ええ、こんな幼稚な罠にまさか、引っかかる間抜けがいるとは思いもしませんでしたよ」
「雑魚の駆除なら毎年クルセイドの奴らにやらせてんだろ。今年はお前自らがお出まし、ってか?」
「ふふ。まあ、私も身体が鈍っていましたから、準備運動も兼ねて」

 ……ああ、コイツめちゃくちゃ不機嫌だ。理由は分からんが超機嫌悪いぞ。
 八つ当たりされる前にさっさと退散しよう。適当な理由をつけて立ち去ろうとしたのだが。

「彼、『***の姫君』の手先だそうです。意外な大物が掛かりましたねえ」

 ユウギリの口から飛び出した台詞に、思わず身を竦ませたのだった。

「……そりゃまた面倒な事になったな」
「ええ、面倒な事になりました」
「……コイツの実力自体は大したことなさそうだけどな」
「ええ、大したものではありませんでした」
「……で、どうすんだよコレ」
「ええ、どうしましょうねえ」
「…………とりあえずクルセイドの破邪担当に回すぞ。邪気を取り払った上で、本体の豹は野生に帰しておくが、それでいいか?」
「お任せします。私はこれから結界の再構築に取り掛かりますので、後はよろしく頼みましたよ」

 にこり。その優雅な微笑みに、言葉にならない恐怖を感じた。
 そのまま足音も立てずに去っていくユウギリ。後に残されたのは、床に転がった黒豹の悪魔と妙に不気味な静寂。
 どんな幻影を見せられたのかは知らないが、さぞ恐ろしい思いをしたのだろう。口を大きく開き、びくびくと全身を痙攣させる風体に同情を禁じえない。
 とりあえず浄化の儀式を施して、本体の黒豹は野生に帰す。取り憑いていた悪魔の方は、儀式の結果次第だ。運が良ければ害のない精霊として放たれるが、悪ければそのまま消滅、無に帰される。
 面倒臭い事になった。悪魔の処遇ではなく、かの姫君の魔の手が、遂にバチカンに延びた事について。

「……これから忙しくなりそうだと、四天王の奴らにも知らせとかねえと。ああ、本当に面倒な事になりやがった」

 ──頼むから先走るなよ、弓束。
 呟いた声は、しかし誰の耳にも届くことはなかった。

【退治屋】聖域ルナティクス(前編)

 ──全て、上手く行くはずだったんだ。
 
 サン・ピエトロ広場を抜けて大聖堂の中へ。
 各所に張られていた聖なる結界は難なく潜り抜けた。霊力の弱まる時間帯、タイミング、侵入角度、全ては計算済みだったから、何の心配も要らなかった。
 あとは教皇の居場所を探すだけ。北のシスティーナ礼拝堂には気配を感じなかった。ボルジアの中庭を抜け、ベルヴェデーレの中庭へ疾駆。ここにも気配は無い。
 ならば南か。人目を掻い潜り、素早く跳躍。随所の結界を抜ける瞬間に少しの痛みを感じたが、身体に深刻な影響を与えるほどでもない。
 聖地バチカンのチカラはこんなに脆弱なモノなのか。それとも自身の身体が強靭なのか。どちらでもいい。教皇の気配を求めて無心に駆ける。聖地を穢さんとするかの如く。
 
 そして遂にミツケタ。
 謁見用ホール、あの中に一際輝かしい気配を感じる。自身にとっては毒にしかならない聖なる気は、間違いなく教皇のもの。
 辺りはしんと静まり返り、スイス衛兵の姿も一人として見当たらない。またとない好機だ。
 ここで教皇を捕らえれば、間違いなくあの方に認めていただける。もしかしたらお気に入りの眷属として、お傍に置いていただけるかも知れない。
 嗚呼、あの方の寵愛を受けている、生意気な闇の双子や青い悪魔など蹴落としてくれよう!
 
 そう、ここまでは驚くほどに順調だった。
 あまりにも順調すぎるのだと、この地点で気付いていたのならば、或いは──
 
 
 
 
「……また一匹、見事に引っかかってくれましたねぇ」
 
 ぐしゃり。耳障りな音と共に右肩を襲う激痛。口から迸った悲鳴は声にならなかった。
 ごろり。目の前に転がる細長い物体が、抉り取られた自身の腕だと即座に気が付かなかった。
 
「ここまで愚鈍だと、いっそ清々しい程ですよ」
 
 黒い僧服を身に纏ったその男は、嗤っていた。
 血みどろの光景を目前にしても尚、楽しげに嗤っていた。抑えきれない歓喜が、ありありとその貌に浮かび上がっている。
 嘗て味わったことのない純然とした恐怖に襲われる。喉元から出掛かった引き攣れた声は、しかし突如放たれた不可視の刃によって打ち消された。
 喉の奥深く突き刺さるソレに激痛を覚えるのに数瞬。溢れ出す鮮血に、男が不快そうに眉根を寄せる。
 
「これはいけませんね。あまり穢しすぎると、清掃に手間が掛かってしまいます。……まぁ私がする訳ではないのですけどね。
 ……おやおや、怖いのですか。それは申し訳ない事をしました。即座に楽にして差し上げようと思っていたのですが。ええ、久々の実戦だったので、匙加減を間違えてしまいました」
 
 これも運命だと思って、諦めてくださいね。
 不可視の刃が再び飛来。右耳を大きく削がれた。灼熱を思わせる痛みに悶絶する。
 ああ、また失敗してしまいました。楽しげに嗤う男は重症を負わせたにも関わらず、先程から微動だにしていない事に気が付いた。
 まさか。この男は、あの方の仰っていた──!
 
「ええ、貴方の仰る通りです。あの方、というのは『***の姫君』、彼女の事ですね?」
「……! ……ッ!」
「殺さないでくれ、と? それは出来ない相談です。貴方が彼女の手先である以上、生かしておく道理がありません」
 
 止めろ。殺さないでくれ。まだ死にたくない!
 声にならない懇願は、男の愉悦の笑みによってあっさり退けられた。
 
「さて、どのような死に方をご所望ですか? 火炙り、水攻め、斬首、釜茹等々、メニューは多数取り揃えております」
「……! ……ッ!!!」
「……私が何者であるか、貴方はよくご存知のはずです。聖職者だからといって容赦はしませんよ」
 
 ──貴方は、私の敵なのですから。
 
 朗々とした男の声を最後に、意識は闇に閉ざされた。

【退治屋】千年の孤独(後編)

「……立てるか、坊主」
 
 そのまま足音も立てずに立ち去ったユウギリが見えなくなるのを見計らい、羽柴司祭が手を差し伸べる。
 瞬時迷った後、俺は渋々ながら差し出された手を取った。遺憾だが、自分一人の力では到底立ち上がれそうになかった。
 
「どうする。このまま、トラステヴェレの住み処まで送ってやってもいいが?」
「……遠慮しておく。フィオーレに、こんな無様な姿は見せられない」
「分かった。それじゃあお前さんの体力が回復するまで、おじさんの話にちょっと付き合ってくんねえか」
 
 身体が鉛のように重い。何をするのも億劫だ。だが羽柴司祭の話というのも気にならない訳では無かった。
 恐らくユウギリに関係する事だろう。確かにあいつは温和な見た目に対して嗜虐的だが、今日はどこか様子がおかしい。
 俺が慢心していた──その事実を抜きにしてもそれ以外の何かに対する苛立ち、或いは焦りのようなものを感じていた。フィオーレの名前を持ち出し、俺を打ちのめしたあの言動も妙に気に掛かる。手合わせや訓練などではなく、まるで俺を一方的に痛めつけるかのような態度。
 
「……とは言っても、どこから話せばいいのやら。坊主、お前さんはユウギリから前世について何か聞いている事はあるか?」
「前世……? ああ、昔の俺は日本に居ただとか、その次はプロイセンだとか、世迷い言なら何度か耳にした」
「世迷い言、か。言っておくがそれは全て事実だぞ」
 
 ……俺の思考回路がイカれてるのか? 羽柴司祭の言っている事が、咄嗟に理解出来なかった。
 魂のサイクル、所謂『輪廻転生』を信じていない訳でもない。だが実際に俺の魂の巡った軌跡を、ユウギリ達が把握しているなど俄かに信じ難い話だ。
 奴らはヒトではない、人知を超えた異形の存在であると、知識としては知ってはいるのだが。
 
「その調子じゃ、ユウギリが不老不死で1000年の時を生きてる、っつう話も信じてねえだろ」
「全くの嘘だとは思ってないが、本当だとも思っていない」
「あいつがどんな説明をしたかは知らねえが、どうせあやふやな言い方しかしなったんだろうな。無理もねえ」
 
 口調は若干ふざけた様子だが、表情は真剣そのものだった。
 ユウギリと同じく人を食った性格の羽柴司祭だが、こればかりは真面目な話なのだろう……ああ、頭が痛い。
 
「だがこれも事実だ。あいつの生まれは1000年以上前、10世紀──日本の平安時代にまで遡る」
「……すまん。理解が追いつかない」
「あいつのチートっぷりを見てりゃ分かるだろ。あれは1000年の永い刻に、裏打ちされた実力だ」
 
 ユウギリは元々、極東の島国・日本から渡来した陰陽師(欧州で言う所の魔法使いのようなものか?)であるらしい事は聞いていた。ヤツが度々俺達クルセイド組を日本に派遣しているのは、そういった背景もある。
 羽柴司祭の話によれば、その後源平合戦とやらに関わった後、国外へ飛び出し世界各地の歴史事件に秘かに介入していたという。
 だが、その後どんな経緯でバチカンの聖職者に至ったのかは言わなかった。どうやらユウギリにとってあまり触れられたくない所らしい。羽柴司祭は全てを知っているのだろうが、そこは曖昧に暈された。
 
「そうして永い時を過ごすうちに、お前さんとフィオーレの魂を見つけた。18世紀、プロイセンでの話だ」
 
 欧州の歴史なら俺も頭に叩き込んでいる。確かその年代は、オーストリアやハンガリーと戦った七年戦争が起こった辺りか。俺やフィオーレの前世は、正にその戦争に関わっていたという。
 この話もユウギリ本人から聞かされた事はあったが、どうせいつもの世迷い言だろうと軽く聞き流していた。だが羽柴司祭が真剣に語る所を見れば、恐らくは真実なのだろう……俄かには、信じられない話だが。
 
「俺もあんまり詳しくは語りたくねえんだが、その戦争で前世のお前は命を落とした。1759年8月、クーネルスドルフ──お前さんは27歳の誕生日を、迎えたばかりだった」
「…………」
「今のお前さんも27歳。ユウギリはお前を失うんじゃないかと、過敏になってる節がある。厳しく接したのも多分、その辺りが関係していると俺は思う」
 
 前世の俺がどのような死に様だったのかは知らないし、ユウギリも語ろうとしない。聞いた所で俺も信じなかっただろう。
 ただ羽柴司祭の言い方だと、前世の俺の死はユウギリにとって痛烈な出来事だったらしい。フィオーレの前世についても聞き出したかったが、そこは羽柴司祭も口を濁した。どのみち、あまり愉快な話ではなさそうだ。
 
「……それでも、俺は俺だ。前世の話を持ち出されても、今の俺には関係無い」
「なあお前さん、想像出来るか? 1000年もの永い間、親しい人達を見送り続けたユウギリの人生を。
 死や老いといった概念から切り離され、生き続けるヤツの葛藤や苦しみを、想像した事はあるか?」
「…………」
「いずれ失うと分かっていても、ヤツは人を愛さずにはいられない。その分だけ失った時の悲しみや苦しみは深い。
 だけど人を愛さずにはいられない。ユウギリはそういうヤツなんだ。1000年前からずっと、な」
 
 基本的にぼっちが苦手なんだよアイツは。羽柴司祭はどこか悲しげに笑いながらそう言った。
 自分に関わる人間に対して非情になりきれない。そこがヤツの弱さなのだと彼は言う。
 1000年以上もの間、ユウギリが関わった人間は多数に上るが、喪失の度に幾度と無く傷付き、悲嘆に暮れているのだと。
 
「お前さんは恐らくユウギリを完璧超人だと思ってるだろう。その認識もあながち間違っちゃいないが、繊細な一面もあるんだと知っておいてくれ。人間じゃねえけど人間くさいヤツなんだぜ、あれでも」
「……ふん。一応、覚えておいてやる」
「おいおい、苛められたからって不貞腐れるなよ。そりゃあ確かに、あいつもやりすぎだったけどな」
 
 ……ユウギリの弱さ、か。素っ気無く返したものの、正直な所少し動揺していた。
 あいつはいつでも完璧だった。弱点など何処にも見当たらないように思えた。だが裏を返せば、俺達の存在自体が弱点という見方も出来てしまう。羽柴司祭の話を聞いた限りでは。
 仮に事実であったとしても、ユウギリがそれを表に出すことは無いだろう。触れた所で「自惚れないで下さい」と、冷やかに笑われるのがオチだ。だから何も気付かぬフリをして、これまで通りに接していくべきなのかも知れない。
 ただ、ユウギリが俺の前世の享年であったという、27歳という年齢を気にしているのが妙に引っかかる。まだまだ隠していることは多そうだが、恐らく問い詰めた所で口を割るまい。
 それは恐らく、目の前の羽柴司祭も同様だ。これ以上話を続ける気は無いようで、気の抜けたような欠伸で話題の打ち切りを告げる。
 
「……と、おじさんの話に長々と付き合わせて悪かったな。帰るんなら住み処まで送ってくが、どうする?」
「いや、一人で帰れる。お前に世話をかけたと知れたら、あいつに何を言われるか分からん」
「ま、それもそうだな。それじゃ、フィオーレやヴェロニカによろしく言っといてくれよ」
 
 釈然としない部分もあるが、まあいい。立ち去っていく羽柴司祭の背中を見送り、俺は深く嘆息した。
 最初にユウギリが言っていたように、今は更に邁進するだけだ。どのような思惑が潜んでいるにしろ、俺はフィオーレを必ず守る。世界中の何よりも──俺自身の生命よりも、大切で愛しい存在を。
 
 俺の知らない所で、大いなる闇が動き始めていた事に、この頃の俺はまだ気付いてはいなかった。
 そして、ユウギリの1000年以上にも渡る戦いの系譜は、いよいよ最終章を迎えようとしていた。

【退治屋】千年の孤独(前編)

 ──何をやってもあいつに勝てない。
 武術、霊力、知識、全てに於いて俺はあいつに劣っている。
 あいつは完璧だ。人生経験も俺より遙かに上であるあいつに勝とうなんざハナから思っていない。だが、せめて何か一つだけでも、あいつに勝る要素があれば、 この胸の内に巣くう悔しさも払拭出来るのだが……! 
 
「……おや、もう終わりですか。存外、呆気ない戦いでしたね」 
 
 地面に倒れ伏した俺を見下ろし、ヤツは楽しげな口調で言い放った。
 激しい打ち合いの後だと言うのに、息一つ乱さぬまま。 

「日本で修行したと豪語するものだから、どれだけ強くなったのかと思えば……私に掠り傷一つ負わせられないようでは、まだまだだと言わざるを得ません」
「……くッ」
 
 あいつはそう言うが、日本での修行も生半可なものでは無かった。
 八百万の神が御座す東方の島国、霊験灼かな隠国の森での修行は想像以上に手厳しかった。あのヘタレ陰陽師・相馬朝霧が逃げ出すのもある意味納得出来るくらいには。
 俺自身、フィオーレの励ましのメールを受け取らなければ、ヤツと同じ行動に走っていたかも知れない。
 それでも一通りの試練は乗り越え、新たなチカラを身に付けた俺は以前よりも強くなっていた筈だった。
 だが結果はどうだ。婉然と微笑んでいるであろうあいつの息一つ、乱すことすら出来なかった……!
 
「お前がチート過ぎんだよ、ユウギリ枢機卿。コイツもなかなか奮闘してたと思うぜ?」
 
 そう嘯くのは、ヤツの右腕たる羽柴次郎司祭。ヤツを宥めているのか俺を励ましているのか、どちらにせよ俺の挫かれた気力を奮い立たせるには至らなかった。
 羽柴司祭の進言を爽やかに聞き流し、くすりと皮肉な笑い声を零す。惰弱な俺を嘲るように。
 
 「いつまでそうしているつもりですか、クルースニク。まさか立つ力すら残っていないとでも?」 
 
 ふざけるな、あれほど強力な一撃を叩き込んでおいて……!
 そう口にしたかったが、最早声に出す気力すら残っていなかった。
 
「おいユウギリ、今の一撃なら特Aクラスの魔物も吹き飛んでるぜ!? 流石にそれは酷ってもんだろ……」
「何を甘い事を。仮にもクルセイド四天王の一人なら、これくらい軽く凌いでもらわなければ」
 
 ──【雷帝】の名を汚さないでください。
 その言葉が俺の自尊心を、激しく抉った。
 
「覚えていますか、クルースニク」
 
 ふと和らいだ口調でヤツが囁く。
 怪訝に思い、おもむろに顔を上げてヤツの顔に視線を向けるが、その表情は恐ろしい程に凪いでいた。
 不気味な静けさを湛えた形相──周囲の空気が、俄かに冷えていく感覚。
 
「貴方と出会った時、貴方は私に言いましたね。『誰にも負けない力が欲しい』と。あの頃の心意気は偽りだったのですか?
 ……笑わせないで下さい。今の力では、貴方の大切なフィオーレだって守れやしない」
「……ッ!」
「おい、落ち着けよユウギリ。お前らしくないぞ!」
 
 頭上で何か激しい音。羽柴司祭がユウギリの胸倉に掴み掛かっていた。
 大柄な羽柴司祭に締め上げられたというのに、ヤツは顔色一つ変わっていない。むしろ相手を嘲笑うように、口許を歪めただけだった。
 
「落ち着くべきなのは貴方ですよ、ジロウ・ハシバ司祭。その手を離してもらえませんか」
 
 あくまで淡々とした口調でユウギリが言い放つ。
 その相貌、その双眸には、何の感情も浮かんでいない。得体の知れない威圧感に、流石の羽柴司祭も怯んだ様子を見せた。
 
「構うな、羽柴司祭。ヤツの言う事は正しい」
「坊主……」
「自覚があるようで結構です。慢心せず、更なる修行に励んでくださいね……大切な人を、その手で守れるように」
 
 そう言ってユウギリは口許を綻ばせる。
 一見柔和な笑み。だがその目は剣呑な光を帯びたまま、少しも笑ってはいなかった。

【退治屋】ホワイトデーの奇跡

「まあ、可愛らしいお人形……!」
「バレンタインの返しだ。受け取ってくれ、フィオーレ」
「はい! ありがとうございます、クルースニク兄さん!」

 フィオーレが兄から嬉しそうに受け取ったのは、手のひらサイズの二体の日本人形だった。
 可愛らしい男女一組のそれは、平安貴族と思しき衣装を身に纏い、にこりと優雅な微笑を浮かべている。

「日本で今流行の人形らしい。雛人形、と言うそうだ」
「ひな、にんぎょう?」
「本当はもっと沢山の従者を侍らせているようだが、メインの二体しか作らせられなかったんだ。済まなかったな」
「とんでもないです。この子達だけでも十分嬉しいです、兄さん」

 そっと手のひらで優しく人形達を包み込み、フィオーレが愛おしげに囁いた。

「どうやらその二体は夫婦らしい。遥か昔の日本国の、王と王妃を象ったものだとか」
「まあ、coppia(夫婦)!」

 手の中の人形達をそっと寄り添わせ、嬉しそうに微笑むフィオーレだったのだが。
 いつものルーデンドルフ兄妹の(やや暑苦しげな)親密な様子を、不安げに見つめる人物が居た。

「……なぁ。俺もニホン文化とやらに詳しい訳じゃないんだけどよォ……」
「どうしたアル。何か問題でもあるのか」

 それまで黙って二人のやりとりを見守っていたアルデバランが、何やら怪訝そうに呟く。

「あの人形、ちょっとおかしくないか?」
「可笑しい、とは?」
「えーと、その、何だ、まず髪が黒くない」

 アルデバランの指摘した通り、その人形は一般の雛人形とは微妙に異なっていた。
 まず男(お内裏様、とクルースニクが説明した)の人形の髪は透き通るような銀色で、更に付け加えるなら瞳にはめ込まれたガラスの色は左側が碧、右側が蒼と両目で異なる色合いをしていたのである。まるで、クルースニクをモデルとしたかのように。
 お雛様と呼ばれる女の人形の方もそうだ。髪の色は鮮やかな栗色で、目の色はやはりお内裏様と同じく、両目で異なる色のガラスをはめ込まれている。その色合いは正しく、目の前で微笑む少女と全く同じ……ある予感が、アルデバランの脳裏を過ぎった。

「……なぁ。お前これを『作らせた』って言ってたよな」
「ああ。日本の腕のいい職人に頼んで、特別に作らせたものだ」
「それが誰のかは敢えて突っ込まないが、もしかしてこの夫婦人形、お前達兄妹がモデル……?」

 ああ、やっぱりそうなんだな。クルースニクの物凄くイイ笑顔を見て、確信に至ったアルデバランなのであった。
 「偶然に決まっているだろう。夫婦の人形だぞ?」――嘘吐け。いけしゃあしゃあと嘯く相棒に心の中でそう突っ込んだが、口に出すのは止めておく事にした。賢明な判断である。

「もう一つ、気にナル事がありマス」
「……何だ、居たのかユーノ・アルファージ」
「居たのか、とはまた随分な言葉デスネ。これだカラ、ルーデンドルフの人間ハ……」

 はあ、とわざとらしく溜息を吐くユーノだが、クルースニクはまるで意に介さない様子である。
 このシスコン神父、基本的にフィオーレ以外の女性に対しては、冷たい。

「そ、そんな事より何なんだよユーノ、気になる事って?」

 険悪になりつつある空気を払拭すべく、アルデバランが声を荒げた。
 ユーノの言葉が気になったらしく、フィオーレも不安げな表情で彼女を見ている――ここで妹を不安がらせた事でクルースニクが大いに気分を害したのだが、ユーノは爽やかにスルーしたようだ。

「……確か日本の伝承デハ、雛人形を飾るのは桃の節句と呼ばれる3月3日マデとなっていた筈デス」
「え、今日ってもう14日だろ。まさか遅れたら祟られるとか、そんな言い伝えじゃねーだろうな」
「祟りかどうかは分かりまセンガ……確か、女性の嫁入りが遅れるナド、そのように聞いた記憶ガ」
「おい、それって女の子にとって十分『祟り』じゃねーか!」

 祖国でやたら結婚を急いでいる女将軍が居ることを思い出し、アルデバランが叫んだ。
 戦場でも結婚相手を探す程婚期を気にしているくらいである。女性にとって大問題なのは間違いない。しかし当の本人はピンと来ていないようで、可愛らしく首を傾げるばかりである。

「おい。お前も何で落ち着き払ってんだよクルースニク。妹の一大事だぞ?」
「馬鹿が。大切なフィオーレを嫁になど出すものか」
「は、はぁ……?」

 物凄くイイ笑顔のクルースニクを見て、またしてもアルデバランは察してしまったのであった。
 こいつ、全部知ってたな? 雛人形をこの時期に贈ったのも、妹の行き遅れを狙って……いや、もう皆まで言うまい。
 どうやらユーノも同じ考えに至ったらしく、眉間にやや皺が寄っているのが見て取れた。表情筋凍結などと言われているが、割と感情は豊かだったりするのだ。

「私、これからどうなっちゃうんでしょう?」
「気にしなくていい。いざとなったら俺が、お前を、貰ってやる」
「ふふ……兄さんったら」

 馬鹿ップルの如くイチャイチャし始めた兄妹を見遣り、揃って溜息を吐くアルデバランとユーノなのであった。
 まあいつもの事なのだが、見ている方がやたら気疲れする奴らである。

「……クルースニク、目がマジでシタ」
「言うなって! 俺も気付かなかったフリしてたのに……!」
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