これは私の感覚としての備忘録。
今年のうちに書いておきたいので書きます。

夏頃によく言っていたのは、
毎日緩やかに死んでいるような感覚でした。

精力と言うか活力と言うか
明確なビジョンがないままに、
日々忙殺されていることを言い訳に
想像力や感受性や思考力が鈍化することを
そう例えていました。

私の中で、感受性が鈍ることは
死に近い感覚だと思ってました。
ただ死にゆく想像力を前に、
加齢していくことを緩やかに死ぬと捉えてました。

ただ、今になって振り返ると、
緩やかに死んでいると言うより
毎日毎日私の足元に
私の死体が溜まっていく感覚という方が
近い気がしています。

例えば、何か嫌なことがあったとして、
人って時間だったりその他の経験が、
嫌なことに関する記憶を消してしまうじゃないですか。
自分を守るためだったりのために、
傷跡が思い出になっていくのが普通な気がする。
かさぶたが取れるようなのが普通な気がする。

なのに、なんか、私の場合、
その日その時に傷ついた自分が昇華されるよりも早く、
次に何か傷ついた自分が生まれてしまうと、
先に傷ついた自分の死体の上に、
新たな自分の死体がどんどん積み重なった気分だった。
緩やかに死ぬとはちょっと違う、と思ったの。

なんと言うか、
過去の自分の傷ついた死体もより鮮明になるし、
私の足元には私の新しい死体がどんどん増えてしまう。

2021年は、そんな感じ。
どう足掻いても、過去の自分は救われない。
どうしたらそこから引っ張り出して
火葬してやれるのかが分からない。

死体ばかりが溜まって、
もう手に負えない。
そんな感覚だった。

今も死体はいっぱいある。
どうしたらいいのか分からない。
あの時の私は、どうしたら救えるのか、
ちょっと未だによく分からない。
突き詰めて考えた方がいいのかも分からない。

もう少し、マシな未来が見えてから考えようかな。
大抵の事は、過去の苦しみは今のためにある、
と考えることができるタイプなのに、
如何せん最近の傷は無駄に傷ついたとばかり考える。