一歩ずつ破滅に近づくような。

未来の話が恐ろしい。

最近一色だけのアイシャドウが売ってるじゃないですかー。
海みたいな色のやつを買ってしていったらなんだか、ある人に受けました。
にゃー。

指先が冷えるので頬を包むようにして頬っぺたから熱を奪うポーズを頻繁にしてるんですけど、ぶりっこと思われてないか不安。
なんて。

ながら食べ

植物と動物のハイブリットになりたい。
人間がご飯を食べて栄養を摂取するというのは面倒です。
でも
お菓子はすきですし。人の手料理も食べたいので、ハイブリット。
完全植物だと曇り空や雨のとき死んでしまうから。

葉緑体を作るから体が緑になるのは玉に傷ですが。

動かなくなって、意思疏通できなくなっちゃうね。

合理主義と恋愛と人間

ここ数日恋愛について考えていて。なんとなく恋愛が何なのかが分かりかけてきたのですが、概論や言語化が進む度に恋愛から遠退いている気がします。
…。言いたい内容と違いますね。
恋愛がなんなのか理解するごとに本質から遠退く感じ。心の動きを頭で理解するというのは、なんだか、神秘性が失われるようで残念だし、結局理論付けて考えられないのは目に見えているので無駄な気がします。
そう考えると心理学の地位が危ぶまれますが、心理学というだけで人は関心を持つので全然揺らがないですね。
閑話休題。
恋愛は頭でわからないというのが世間一般の通論で、実際私も頭でわからないと思っているわけです。ただ、完全には分からなくてもある程度のパターンというか、共通認識があるでしょう。
…。
客観的に見て、それが恋なのかどうかという判断を下すのか?下すのか。
この状況は恋じゃない。あの状態は恋だろう。うーん。私が分からないものがなんなのか、分からなくなってきました。
人は主観と客観を混ぜ合わせて、恋かどうか判断するのでしょう。ん?経験則は、主観的なものだから、客観なんてものは、存在しないのではないでしょうか?
客観ってなんだ。神の目線?

あああ。
恋愛というのは、恋をして愛すると書くけど、そんな美しいものじゃない気がする。
恋のためという大義名分のためなら何をしても通る。ような。

誰もが馬鹿だ。

恋愛と呼べない稚拙なものと、最高の恋(ドラマチック、一番燃え上がった、ということ。)、普遍的な通過儀礼的な恋愛がある。
普遍的な恋愛は、常日頃世界で起きているような、区切りがあって、必ず終わるもの。結婚をしてなくなるか、すきじゃなくなった等というつまらない理由で別れるもの。
初恋は普遍的な恋愛。もしくは最高の恋。
つーか、9割方つまらない恋愛が世にばっこしてる。

恋愛を至上というわりに、普遍的な恋愛みたいなどうでもいいものがあるからいけない。
全体の質が下がる。嘘のような気がしてしまう。
最高の恋愛というものがあって、それは至上。それ以外は惚れた腫れたのどうでもいいものと、教えるようになればいいのに。世の中が。

最高の恋愛というものを、多くの人が経験していないんだろう。
なんだか、誰もが訳知りがおで、さも素敵なものがあるように見せかけておきながら、結局蓋を開けてみれば中身は空っぽだったような、残念な気持ち。
もう世間一般の恋愛なんてものはくそのように思えるけど、それは恋愛の魔力で、当人間では世が薔薇色に見えるのでしょうね。すべてが明るく満ち足りて誰も彼もに祝福されているような気分になるのでしょうね。

脳内麻薬の一種かしら。

当人間で最高ならば、それでいいのかしら。
他の人からばかと思われるような挙動をとることは幸せ?
終わりの見えない恋愛が至高。
終わる日を考えながら付き合うなんてばかみたい。恋愛が終わらないと考えるのもばなみたいだけど、実際に何年経っても終わらないものは称賛を受けるよね。

なんか、恋愛は全体的にはあまり良いものじゃなかった。

夢のはなし

夢を見ました。
脳活動的な意味で。

なんか、建物の中がアスレチックになっているから、三人でゴールまで行こう、という内容でした。???

友達と、わたしと、あと一人、男性。
真田幸村の名で呼んでいましたが、あれは前田慶二だった気がします。あれ、漢字あってる?

とにかく。久しぶりに夢を見たので楽しかったのと、真田幸村にチャームされてる設定だったので恋をしている気分が味わえました。
つまりは、君に触れることさえも喜びを生むということなんですけど、…。夢を見るときに使うのは右脳なんでしょうかね。あ、右脳か左脳かというのはどうでもいいことです。
私が実際に恋をしていたときに感じたときめきだったり世界を明るく見せる魔法は確かにかかっていたんですけど、果たしてそれは恋なのか?あの感覚を、わたしは恋と呼んでいて、で、夢のなかでもあの感覚が恋として沸き起こっていましたが、世間一般でいうあれが恋なのかしら?
恋に恋しているから作り出した、恋というイメージでしかないのかも。
感覚なんて個人のものだから他者と確かめようがないしね。

こほん。
前田慶二を記憶として定着させるのは、なんだか遅い気がします。というか、虫干し的に引っ張り出してきたんだろうか?
脳って不思議ですね。

人生の日没

僕の目には、夕焼けが見えるようです。
あの丘から見た、家々を赤く染める夕日が。
僕と母さんの家や、おじさんの牧舎を焦がすから、きっと、もう今日は死んでいくんだと思ったものでした。なみなみと満ちた今日と云う時間が、きらきらと、そして、重低音を響かせて、誰もが嘆き悲しみ、しかして止められない歯車のように過ぎていくと、皆が知っていました。

僕の耳がトロイメライを捕らえる。

退廃が足元にへばりついて、ついに僕の身を滅ぼそうとしている気がします。
僕の心臓や大腸や肺と言った内臓、全身を動かす血液は、最早僕の中になにも残っていないような。自分がからっぽのような。
他方では、パンドラの箱のように、奥底で光る何かを感じずにはいられません。
ふふ。

描きたいものを描きたい、
それはpcを着けるということ。
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