スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

思うこと

こんばんは。
3月からの更新は震災の話題ばかりでしたが。
少し気持ちも落ち着いてきたので、震災後、色々思うことを簡単にまとめておこうと思います。

震災以降変わったこと。

@余震が多過ぎるので常に懐中電灯を鞄に持ち歩き、ベッドに置いて寝ています。
また、いつライフラインが断絶するかと常に油断しないようにしています…水が出ないことがどれだけ大変か。
大きい余震の度に水をタンクや風呂、ヤカンに必死に貯めています。。
備えあれば憂いなし、です。
…東京では放射能対策が話題になっているとTVで見ましたが。
私は宮城県民、福島のすぐ上ですので公表されていないだけできっと放射能汚染されているんだろうなと思います(行政の取組が遅すぎる上に、正直おおざっぱ過ぎて信用できない…)
それでも水が出なければ明日の生活ができないのです。10年後の影響より明日の御飯。
悲しいかな人間は、そんな現実に流されてしまういきものなのです。
諦めじゃない、覚悟とも少し違う、現実です。
正直不安でも、水が出るだけありがたいのだから使えるだけ使う。
そう思って水を確保するようになりました。

A震災後、私は生死感が少し変化しました。
以前は思想の対立による紛争や精神的に追い詰められての自殺なども、人にはそれぞれの考えがあるから仕方ないことかもと考えていたのですが。

人は何もしなくても、死にます。
自然の力の前では何も出来ずに、ただ為す術もなく、風に薙ぎ倒される稲穂のようにたやすく失くなってしまうものなんです。
家族の安否が1週間近くわからなかった私は、TVで紛争のニュースを見る度に悲しく虚しくなりました。
死という絶対的な断絶は一切の希望も続きもない冷酷なピリオドです。
それは自ら選ぶものではないのではないかと思うようになりました。
生きる為の理由が必要な人、信仰によって生かされる人、色々あるとは思いますが。
何もしなくとも常に潜んでいる終りを自ら選ぶ必要はない。人同士で殺し合ってその後に神に何を祈るのでしょうか。
私にはよくわかりません。
命という代えのないもの以上に大切なものはないんじゃないか。
震災以降、ずっと頭の中に響いている思いです。

←prev next→