TLで流れてきたツイートに思う所があったので、今日は
仕事について、お話をしようかと思います。
個人的に思うことをつらつらと。
長くなりそうなので畳みます^^
好きで始めた仕事や憧れから始めた仕事など、その【仕事】に就いた経緯は十人十色だと思います。
そして、殆どの業種や職種は
対人が相手ではないかと思います。
接客業やサービス業は勿論、教育関係や医療関係、卸売業も小売業もそうです。
営業職や企画、人事、受付事務等々。
自分ではない別の「人間」が相手ではないでしょうか?
それは、身内(職場内の人)だったり取引先だったり顧客だったり。それが個人相手でも法人相手でも、対象は「人間」ではないでしょうか?
では、一体
誰の為にその【仕事】をしているのですか?
人の役に立ちたいから。
子どもが好きだから。
その【仕事】を選んだ
理由は、もしかしたら「誰か」の為かもしれません。
けれど、【仕事】である以上、賃金が発生するのです。
賃金が貰えるから、最終的にはその【仕事】に就こうと
決定するのです。
つまり、【仕事】としてそれを選んだ時点で
自身が生きていく為の手段になるのだと私は思います。
「誰か」の為に何かすることを第一とするのであれば、それはボランティアで行えばいいのですから。
極端な話、「子どもたちに勉強の楽しさを教えたい!」と思って教師になりたいならば、どこか部屋を用意して完全無料の自身の得意分野だけを教える学習塾を開けばいいのです。
【仕事】の為に生きているんじゃない。
生きる為に【仕事】をしているのです。
前置きが大変長くなりました。
頑張ることは悪いことではありませんが、無理をしてまで頑張る必要はどこにもないと思います。
自分の為の【仕事】だから。
責任感は職に就く上でとても大切なものです。なくてはならないものです。
けれど、強過ぎる責任感は不要です。
責任感の強い人ほど頑張ってしまいますよね?
頑張れば頑張るほど「誰か」の為になるのかもしれません。
けれど、その
頑張りはしっかり賃金に反映されていますか?
70%の頑張りで受け取る賃金と、120%の頑張りで受け取る賃金がイコールで結ばれるのであれば、前者の頑張りで業務をこなした方が自身の中にもエネルギーが残ったままになるので他のことに回すことができます。
でも後者の頑張りだと、ガス欠もいいところです。エネルギーも空っぽで、他に回す余地もありません。
「誰」の為に【仕事】をしているのでしょうか?
退職は「逃げ」ではありません。
勿論、経営悪化の後に忽然と姿を消す重役は「逃げ」ですが(笑)
退職は「守り」です。
これ以上自身に負担が掛からないように、心身が壊れないように、心身の環境を正常に戻すために行うディフェンスです。
TLでお見かけしたものを要約すると、有能な新人が1年で退職したと言う内容でした。
退職理由は、安月給の若手に仕事がいくことや自身の為の時間が取れないこと、予想を上回る自主残業と効率良く仕事をすると仕事が増える……といった不条理さに辟易されたそうです。
英断だなと思いました。
年齢や雇用形態の問題など、再就職に関わるあらゆる方面で簡単に退職を選択できないことも理解しています。
そもそもそんな世の中になってしまっている時点でおかしいのですけれど……。
けれど、頑張りすぎている状態で正常な判断は難しいと思います。
第三者から指摘されたところで「そんな簡単に言うな」と思うことでしょう。
それでも、長所である責任感は時として短所になってしまいます。他人に迷惑がかかるようなものではなく、次第に自滅に追い込むようにじわじわと来るものなので余計に罪悪感も生まれず気付きにくいと思います。だから頑張り過ぎてしまうのでしょう。
自分以外の人の為に【仕事】をするのは立派なことですが、それは自身とそれを取り囲む環境が満たされて漸く為せるパフォーマンスだと思います。
「賃金支払ってるんだから最高のパフォーマンスで働け」と言ってくる会社・組織は、「お客様は神様だぞ!」「お金を払ってるんだから私らの方が店員より偉い(立場が上だ)」と言ってくる消費者と大差無いような気がします。
あまりがちがちに考える必要もないと思いますし、シンプルに捉えていいと思います。
自分の未来を想像するだけでも、自分をどう「守る」かの手段を選択する判断材料になると思いますよ。