2008-5-29 10:53
私の地元は田舎です。
医療用のヘリコプターがあればA○分くらいで熊本市内の病院に搬送できたそうです。
しかし、E月まで一台しかないヘリコプターは整備の為に飛ぶことが出来ませんでした。
緊急の時に使えなくてどうするんだよ、意味ないぢゃないか。
父親を乗せた救急車は途中でパンクした。同乗していた母の話では、救急車を運転している人も年配の方でパンク修理をすることが出来ず通りすがった方が助けて下さったそうです。
パンクしたのが後輪でよかった。前輪ならばハンドルを取られて、父も母も帰らぬ人になっていただろう。
父は『急性大動脈解離』という診断が下りました。
幸いなことに父の手術をして下さった先生がドイツに留学して日本でも有名な心臓血管外科の方だったそうで、普通D〜E時間を要する手術をF時間に渡って手術していただきました。この日は緊急で運ばれて来る患者さんも多く先生方も大変だったと思います。
父は普通の人よりも身体が大きいのでA倍の麻酔をされたそうです。
先生がおっしゃるには、血管が裂けた時にズキッとした時の痛みは心筋梗塞よりも痛く辛かっただろうといっていました。
普通の人ならこの時点で90%の確率で亡くなっていたそうです。
この手術自体、出血の量が多くて助かるかどうかは患者の体力次第と言われました。
麻酔をかけられる前に初めて父を見ました。入院する前の前兆…というのでしょうか、いつも元気な父が体調が悪くて家で寝ていたのです。
私の仕事が夜だったので父ともまともに会うことも出来ずにいました。
あの時の衰弱しきった父の姿が頭から離れません。
『お父さん、頑張れ
』
小さく出したが父が頷いてくれました。涙が止まりませんでした。
どうして、なんで…?
頭の中でその言葉が何度も駆け巡りました。信じたくない、そんな気持ちで胸がいっぱいでした。
手術中、モニターで手術の様子をずっと見ていました。
メスを入れるところから傷口を縫合するところまで、全部。
何度も血が噴き出した。
人工の血管をつけていく際、父の心臓が力強く動いているのを見ました。
母が『お父さん、あんなに必死に頑張ってる。大丈夫…大丈夫だから』と言いながら泣いている私を励ましてくれました。
強く動いている心臓。
大丈夫…大丈夫。
神様、お父さんを助けて下さい。
無事に手術も終わりF時から始まった手術は深夜のA時を回っていました。
手術後の面会はB人までしか出来ず、私は会うことが出来ませんでした。
そして翌日、11時頃に面会(これもB人まで)があり、この時は一度も父の顔を見ていなかった姉さんと母、祖母のB人が行きました。
姉さんは泣きながら帰ってきました。父の姿をみて、色んな想いが込み上げてきた様でした。
祖母が言うには、手術をして下さった先生が側に居られて説明をして下さったそうです。
手を広げたり閉じたりして見せ、術後心配されていた手足の痺れ等の心配は無いと言われました。
脳の方にも今のところ、心配はいらないそうです。祖母たちの呼び掛けにコクコクと頷いてみせたそうです。
何度もしたそうで、先生からそんなに動かさなくて良いからと注意されたそうです(笑)私はこの事を聞いて少し安心しました。
夕方には母と面会をしたそうです。
『喋ろうとすると、喉が痛い』と父は母との筆談でいったらしい。
喉の部分にもメスを入れたので傷が治るまで話すのは負担がかかるので難しいみたいです。
しばらくはICU(?)で過ごさなければいけないらしく、雑菌を入れない為に面会出来るのも限られた人しか無理らしいので一般病棟に移った時しか父には会えないかもしれません。
母は病院近くのアパートで父の世話にあたるそうです。
マリーは母の実家で面倒を見てくれるくださるそうです。
家には祖母たちと私とサスケ、それと熱帯魚に父が世話をしていたレッドビーシュリンプ。
レッドビーシュリンプは飼育が難しいらしいのですが、父が退院してくるまで私が代わりに世話をしたいと思います。
父が可愛がったレッドビーシュリンプをむざむざと死なせる訳にはいきません。
私には知識がないので情報を集めたいと思います。
頑張ります。