話題:文学


外国の文学作品を読んでいて面白いなーと思うことは、作品にその国の色が強く表れていることです。フランス文学は『ナナ』、『赤と黒』、『マノン・レスコー』を読んだことがありますが、それら3作品と今回読んだ『ボヴァリー夫人』はすべて作者が違うのに、何か同じ空気みたいなものを感じます。読んでいたら「あぁ、これはフランス文学だなぁ」と実感しました。フランス文学を本格的に学んでいるわけではないし、英米文学についてもまだまだ勉強中で偉そうなことは言えませんけれど、作者によってその著書が独特の世界観を持つのはわかりますが、国によってその文学の色が違うのは非常に興味深いなぁ、と思います。よく考えるとそんなことはあたりまえのことなのかもしれませんが。

ボヴァリー夫人/フローベール著 生島遼一訳
情熱的な生活を夢見て、美しき田舎娘エマは結婚する。しかし夫のボヴァリーは退屈な人間で、彼女の結婚生活は想像とはかけ離れたものだった。物語のような甘い生活への憧れを捨て切れずにいるエマの前には、彼女の魅力に惹かれた幾人の男がいた。平凡な暮らしに死ぬほど退屈したエマは、ついに不貞を犯してしまった・・・。


先述したように今回読んだのはフランス文学だったのですが、何と言いますか、情熱的な感じでした。他の作品にも同じことが言えますが、とにかく女の主人公がわがままで自分勝手。浪費癖があり甘やかされ放題、という感じですね。常に理性より本能を優先して行動しているように思われます。しかし同情するべき点も多々ありました。夫のボヴァリーは一方的な愛情を押し付けているだけだし、近い親類は父親だけ。彼女をとめてくれる存在がいなかったのは可哀想なことです。それにエマも始めから夫も裏切っていたわけではありません。彼女なりに夫を愛そうと努めていたし、尊敬できるところがないとわかってからも、我慢して生活していました。良い男性がいても一度目はそういう誘惑に打ち勝ってさえいました。あの男に唆かされなければ、違った未来が待っていたかもしれません。
しかし夫ボヴァリーはとても可哀想な最後でした。彼にとって妻は生きがいだったのに、その妻の裏切りを知り、当の彼女は莫大な借金を作ったあげくあんなことになってしまうのですから。
また、オメーという登場人物がいて、結構重要な役割を果たしているのですが、これがまぁなかなか嫌なやつで。利己的といいますか。最後にオメーについての描写があるのですが、作者が何故これを書いたのか謎です。甘い汁だけを吸えるだけ吸って、後はぽい。一人勝ちのような終わり方。所詮この世は要領のいいものだけが成功する、というアイロニカルなメッセージでしょうか。


こんなに熱く語るつもりはなかったのですが、ついつい長い文章を書いてしましました。
少し前から数名の方から購読登録を頂きました。ありがとうございます。文章を書くのは下手なのですが、読み続けて頂けるよう、頑張って書いていこうと思います。
そういえば前回の記事のアクセス数が凄まじいです。カフェの話題がこんなに人気があるとは思いませんでした。驚きです。