こんばんは、あさねだよ。
最近は、感情の起伏が激しくて、今まで知っていて馬鹿にしていたことを実感するというか、改めて知るというか。

例えば、世の中には簡単に割りきれないものばかりあることや、親が死ぬと悲しいということだったり。

人の悪口は気分が悪くなるだとか、そういったみんなが知っているようなことを知るのです。正確には、実感というか、理解するという感じ。
分かるというのは曖昧ではないですか?

そうしてさ、僕には、ねこがいるわけだけど、このねこが、とても大事。
薄い澱のように重なった想いが、ねこを囲むようなので、あまり話さないですが、大事。

生きるヒントの意味が、今ならば理解できるかしら。
わたしは今まで、自分は存外に頭がいいと思っていたのだけれど、なんだか初歩的なことを学び直すようで心底嫌になる。自分が情けない気分です。
だけど、先生には、人並みには頭がいい、就職活動で上手くいかないのは別にあなたの人格やらが悪い訳じゃないと言われているのでへこまないけれど。…なんて。通常のわたしはこんなことでへこたれないのでした。
ということは、私はわたしを身代わりにしているのかしら。この頼りなくて情緒不安定なわたしというものはきっといつかの私はなかったものにしてしまう気がします。それがいいなぁ…。
人生というものは、続いてくものだと知りました。1月9日で、本気で人生が幕を閉じると思っていたのだけれど、いまも人生が続いています。そして、いまも依然として死にたいけれど、人は死ねないというか、死なないことも知りました。
例えば、このまま内定がなく、バイトをやめてしまったとしても、私は死なないのです。
なんだかね、箱の枠が、一回り大きくなった気がするんだ。
契約社員として働いて、資格を取ってステップアップとか。そういう選択肢が存在してるって、友達がそれを選んで初めて知った。そういう選択肢も提示されたけど。私には、実感がなかったんだ。

あと、あぁ、なんだっけ、大事なこと。
当たり前のこと。あ、大人って、誰かがしてくれるものだと思っていたの。してくれるという時点で大人じゃないけれど、そう思ってたんだよ。そしていまも少なからず思っています。
仕事をする実感だとか、なんでしょうね、やっぱり、死が仲良しすぎて?

ねむい、ねます。