「ねぇ、やろうよ」
「嫌だ」
「やっぱ負けるの怖いんだ?」
「その域には達してないから」
杏と楓の練習に付き合う、という名目でストテニ場に来ていた。
ら。
越前と、同級の桃城武が来た。
「なんで藤城がいるんだよ!」
「いて何がおかしい」
「そーっすよ、桃先輩」
この人、庭球できるらしいっすから。
皮肉というか、嫌味ったらしく言われて、頭に、こない。
勝手に言ってろって話で。
私はあくまでも杏と楓に付き合って此処にいる訳だ。
私たちのやり取りに気付いた杏と楓が、コートを離れてこっちに小走りで来た。
「あ、モモシロ君じゃん」
「お!橘妹」
「もー!その呼び方止めてよ」
「なに、いい感じ?」
「ちょっと淮那ちゃん!」
「そうなの?杏ちゃん」
「楓まで!」
女3人集まればなんとやら。
野郎2人を置いて話してたら、不意に袖を引っ張られる。
何事かと思えば、越前が袖を掴んでいた。
「ねぇ、やろうよ」
「嫌だ」
と、冒頭に戻る訳だ。
「ダメだよぉ。淮那ちゃん、私たちの先生なんだから」
人見知りを発動させた楓が、杏の後ろに隠れながら、越前を止める。
「な、んだよ、その可愛い生き物!」
「触るな、見るな」
「酷ぇ!」
楓を見て桃城武が仰け反るから、牽制しておく。
楓の小動物的な可愛さは折り紙付きだ。
この可愛さで、人見知り、押しに弱い。可愛い以外の何物でもない。故にお嬢様校に通っているのだ。
や、故にではないけど。
「なんで、ちょっとでいいからさ」
「嫌ですー」
「あ、俺も興味ある。俺とも打とうぜ」
「君は杏とやってなさい」
「ちょっと淮那ちゃん!なんで!」
杏のツッコミを受けながら、とにかくゲームをしたくないと懸命に逃げる。
「おー!今日、女子人口多いじゃん。ラッキー」
そう言って、杏たちに目を付けた野郎共がいた。良くも悪くもナンパ目的の大学生くらいの。
「なになに、お兄さんたちが教えてあげるよー」
なんて言うから、それには頭にきた。
杏と楓を差し出す訳にはいかない。
仕方なくラケットを握ろうとしたら、また袖を掴まれる。
「その前に、俺たちにも教えて下さいよ」
「は、何だよ、ガキ共」
「いいじゃん、やってやろうぜ」
越前と桃城武が前に出て、庇われた。
なんかムカつく。
これ見よがしにレギュラージャージなんて着ちゃって。
そのジャージに見覚えがあったのか、大学生の野郎共は尻すぼみ。
サッサと走って逃げて行った。
「ありがとう、モモシロ君、越前君!」
杏は素直に、2人にお礼を言う。楓もペコリと頭を下げるから、立場無し。
「助かった、ありがとう」
半ば棒読みでそう言って目を逸らす。
それを見た桃城武がまた仰け反る。
「ツンデレ!」
「何言ってんすか、桃先輩」
あれはツンツンっすよ。
と余計な一言。
やっぱりよろしくしたくない人たち。
図書委員の係で仕方なく、図書室の受付にいたら、もう1人が遅れて来た。
確か1年の子。
図書室の利用者なんてたかが知れてるから、結構ヒマで遅れて来た1年は月刊プロテニスって雑誌を読み始めた。
あぁ知ってる。たまに秀ちゃん載ってるから。
そう思って、私も本を読み始めたら、1年の子のページをめくる音が止まって、コッチに視線を向けたのが分かった。
そして一言。
「アンタなんなんすか」
「は?」
話の脈絡が分からない。
そう思って、ちょっと不機嫌に返事をしたら、月刊プロテニスの1ページを見せてくる。
あ、秀ちゃんが小さく載ってる。
それを見て、この前野外の庭球コートで1年の子と遭遇したのを思い出した。
「君、名前は?」
「質問してるのは俺なんすけど」
「名前も知らない子に話す事はない」
「…越前リョーマっす」
「越前ね。何ってどういう意味」
「どうって、アンタこの前、この人と一緒に居たよね」
「そうだけど」
「知り合いな訳?」
「そうだけど」
要するに。
雑誌にまで載る人と何故他校モブの私が一緒に居たのか不思議でならないと。
「つー事はアンタも庭球できんの」
「まぁ」
「ふーん、じゃぁ今度やろうよ」
「嫌だね」
「負けんのが怖いの?」
「それが理由で嫌だと思ってるならそれていいよ」
「は?」
私はそれ以降、口を閉ざして本に目を向けた。
最初こそ、ねぇ、とか声をかけてきたけど、越前は諦めたのか、また雑誌に視線を落とした。
「おチビちゃーん!」
沈黙というか、図書室自体の静寂を破った大声に思わず顔を顰める。
「なんすか、菊丸先輩」
「コラ、英二。図書室では静かにしないと」
「あーごめんごめん」
全然謝る気のない、先輩と呼ばれた人と、多分この人も先輩なのだろう、男子生徒が2人、来室。
「ほら、藤城さんもビックリしてるでしょ」
「は」
ビックリしたのはそっちだよ。何故私の名前を知っている…。
「あぁ、英二がごめんね」
「…いや、なんで名前知ってるんですか」
「なんでって…そうだな、乾が気にかけてたからだよ」
「誰ですかそれ」
「あれ?知らない?」
「それに貴方も誰ですか」
「そっかそっか。あぁ僕は不二周助。越前の先輩だよ」
「俺!菊丸英二!!よろしく」
越前と戯れてた菊丸と名乗った人が、私の視界に強制的に入ってきた。
はぁ、と溜息を吐いたのが越前とほぼ同時だった。
「…取り敢えず図書室では静かにして下さい」
そう言えば、菊丸さんは口の前に指でバツマークを作る。
なんだ、この生き物。
ふふっと不二さんは笑った。
「これからよろしくね」
「はぁ」
関わるつもりはない。
そう思ったが、仮にも歳上だ。黙っておこう。
その横で他人事のように越前はまた雑誌を読んでいた。
いや他人事だな。そうだ。
先輩たちは勉強だったのか、図書室の奥に消えていった。
「乾先輩に気に入られてんだ」
「だから誰それ」
呟くように言われて、私は率直に答える。
「それにあの様子だと…」
「なに」
「…なんでもないっす」
「そう」
深追いはしない方がいいと感じたので、そのまま流した。
よろしくしたくない人たち。
「あっ」
「ちょ、待て!」
私は何故か知らない男の子に抱きかかえられる形で、体育館の倉庫に連れ込まれた。
「な…ふぁっ!」
しかも口を手で塞がれて、声が出せない。
うぅぅなんか犯罪香りがする。
上手く抵抗出来ないでいると、体育館の方で誰かが何か叫びながら走って行ったのが分かった。
助けてー!
とは思ったものの、抵抗すると強く身体を絞められるので諦めるしかなかった。
バタバタと走り去って行く音が遠くなった頃、私はやっと解放される。
「なっ!なに!?」
「五月蝿ぇ」
「なんなんですか!」
「だから声でけぇんだよ」
また勝俣に聞こえるだろ。
と男の子は言って、頭を掻いた。
あ、さっきの足音って勝俣先生だったんだ…。
でも逃げ回ってるって事だよね。
「え、不良さんですか?」
「はぁ?」
「だって勝俣先生って生活指導の…」
「ふん、分かってりゃ話は早ぇな」
「タバコの匂いがする」
「犬か、お前」
「酷い!」
そうか、タバコ吸ってるのバレて勝俣先生に追い掛けられてるのか。
「っていうか、君、歳下だよね」
「は?お前歳上かよ」
「ちょっとー!」
馬鹿にされている。
男の子は鼻で笑って、タバコを取り出した。
「何してるの」
「見りゃ分かんだろ」
「ダメ。よくない」
私は男の子の手からライターを取り上げた。
呆気に取られた男の子は、また鼻で笑って私を見る。
「そーやって正義感振りかざされるとムカつくんだけど」
「ムカついて結構。でもよくない」
ライターを両手で包み込むように握れば、男の子はその手を引き剥がそうとする。
「……なにこの体勢」
「あ?」
先に笑ったのは私だった。
だって2人で仲良く手を繋いでるみたいだから。
男の子は少し遅れてそれに気付いたのか、手を離してくれた。
「お前、調子狂う」
「調子狂ってタバコ止めてくれるなら、いくらでも絡みに行くよ!」
「ブッ、なんだよそれ」
今度はガチの笑い方。
馬鹿にされてる!
「お前、名前は」
「柳生妃々季。君は?」
「加賀鉄男」
「加賀くんか。私3年だからね!」
「見えねぇー。つかライター返せ」
「嫌。今日は吸えないように勝俣先生に預けに行く」
「は、ふざけんなよ!」
追い掛けて来そうな加賀くんの手を振り払おうとしたんだけど、呆気なく手を掴まれて、バランスを崩した私は加賀くんの上に転んでしまう。
「わ、ごめん」
「謝るくらいなら逃げんなよ」
そう言われたと思ったら、視界が反転。加賀くんに押し倒される形になった。
「な、なに?」
「…鈍いな」
「馬鹿にしてる!」
「じゃぁこの後どうされるか、分かるか?」
「…なにするの?」
加賀くんの目がギラリと光って、怖い。
ライターが手から転げ落ちた。
「あ、」
ライターに目を向けると、むにっと頬を掴まれた。
「んなモン気にしてる場合かよ」
「だって!」
「やっぱ鈍いな、お前」
簡単にライターは取り戻されて、私に跨っていた加賀くんも上から退いてくれた。
漸く。漸く解放されて、体育館倉庫から出る時に加賀くんが意外な言葉を発した。
「お前が絡んでくるならその日は吸わないでやるよ」
「え?ほんと?」
思わず上ずった声が出たけど、気にしない。
っていうか、私なんで捕まったんだろう?
「なー、お前ら先輩後輩ってマジ?」
「え?」
「なんだよ突然」
本当に突然だった。
和谷君は興味津々と言ったように前のめり。
「…まぁ、そうなるのかなぁ」
「え、マジ?」
私が曖昧に答えると、何故か進藤君が吃驚した。
「なんだ、進藤知らなかったのかよ」
「は、マジ、妃々季そんな事一度も言ってなかったじゃねぇかよ!」
確かに。学校の話なんて、今の高校の話くらいで、中学の頃の話なんてしてない。と思う。
そう。私は進藤君の先輩にあたる、葉瀬中の卒業生だ。
学年が被らなかったから知らないよね。
「まぁまぁ、ね。中学の話だし」
「なんで教えてくれなかったんだよ!」
「ってか和谷君は何処からそんな情報仕入れたの」
「そりゃ奈瀬に決まって…」
「へぇ奈瀬ちゃんね」
「な、なんだよ!」
奈瀬ちゃんの名前が出て、過敏に反応したのは、実はこの2人がデキてるんじゃないかって話をしてた子たちがいたからだ。
「別にー。何でもないよ」
「なぁ妃々季、俺が知ってる奴、居ねえの!?」
進藤君はそれどころじゃない。
「俺の知ってる奴」って言われてもなぁ。
必然的に私が3年の頃に1年にいた子になるけど…。
「知ってるって…」
「なんか目立ってた奴とかさ!」
「目立って、かぁ」
そこで思い浮かんだのは、王将の扇子。
彼はよく勝俣先生に追い掛けられてたなぁ。
「先生と追いかけっこしてた子はいたよ」
「は、それって。加賀みてぇ」
「おー!知ってた!」
意外や意外。
彼は囲碁を嫌ってたから、知ってるとは思わなかった。
となれば。
「筒井君も知ってるんじゃないかな」
囲碁部立ち上げに走り回ってたからね。
そういう意味では目立ってたかもしれないな。
「な、筒井さんも知ってるのかよ」
「筒井君は囲碁部の先輩でしょ?」
「そう!部長だったんだよ」
「…盛り上がってるとこ悪いんだけどさ」
「あ、和谷君」
「なんだよー、折角懐かしんでたのに」
「和谷君は中学の思い出とかないの?」
「思い出ねぇ」
「囲碁に没頭?」
「まぁ、そんなとこ」
「皆、似たようなものだね」
へへっと笑うと、一緒にすんなと2人から怒られた。
なんでー!
「お前、帰ったら学校の宿題とかあんだろ?」
「…そうだねぇ」
「そういう所だっての」
あぁ、彼らは学校にも通ってる私との差を言ってるのか。
「なのにプロ入り早かったしなー」
「それはー…運?」
「実力世界だっつーの、分かってんだろ」
「はいごめんなさい」
なんで謝ってるんだろう…。
その後、加賀君や筒井君との話で、進藤君と少し盛り上がった。
和谷君、蚊帳の外!
ごめんね!
「真田さん」
控えめに声を掛けたら、少し厳しい顔で振り返った真田さん。
わたしを見るなり、その厳しさはなくなったけど。
「今、大丈夫ですか?」
ちょうど、朝練の終わり際。
部員の皆が片付けをしていて、どうかなと思いながら。
「うむ。構わん」
「よかった」
にこりと笑うと、真田さんは何故か帽子を深く被り直した。
朝練は終わり際だったけど、まだミーティングとかあったら大変だから、用件だけ伝える。
「この前は、お見舞いありがとうございました」
「なんだ、そんな事か。元気になったのならそれでいい」
「はい。ありがとうございます」
「もういいのか?」
「うん。おかげさまで、大丈夫です」
「無理はするなよ」
「はい」
そう笑顔を返すと、この前みたいに頭を軽く撫でられた。
動物扱いされたみたいで、なんだかくすぐったい。
その手に触りたいと思ったけど、やっぱこれじゃ変態じゃん。
「真田、と樋崎か」
不意に声がしてそちらを見れば、幸村さんがこちらに歩いてくるところだった。
なんだか怒気を含んでるようにも聞こえて、ちょっと身が竦む。
真田さんは頭から手を下ろした。
「あぁすまん。もう戻る」
「樋崎は久しぶりだね」
「…はい」
やばい。やっぱ終わり際とはいえ、部活中に声掛けちゃダメだった。
「あの、わたしはこれで…」
「そう逃げないでよ」
「いや、そういう訳では」
正直気まずい。
部活中で怒ってるだろうし、それにこの前の事もある。言葉とは裏腹に逃げかけてる自分がいる。
「じゃぁ、ちょっと待ってなよ。皆着替えてくるから」
「え、」
そう言えば、いつもはそう。朝練の終わった3強と話してから教室に向かっていたけど。
わたしがバランスを崩した。
震える手を押さえて、部室に向かう真田さんと幸村さんの後ろ姿を見送った。