スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

良曲はチョコレートの如し

超天変地異みたいな狂騒にも慣れて こんな日常を平和と見間違う
rambling coaster揺さぶられながら 見失えないものは何だ?


私がこっそり(でもないか)好きな3ピースバンドUNISON SQUARE GARDENのベース兼、ソングライターの田渕さんは天才だ。
メロディはどこか懐かしくてどこまでもキャッチーなのに、とてつもなく座りの悪い変な歌詞をのせてくる。意味を気にせず音を大切に作られるというその歌詞は、意味を超越していると感じるときもあるし、飾らない素直さに溢れているときもある。ハマる人はハマる。嫌いな人は毛嫌いする。ベースを弾くスタイルも普通じゃない。あんなに動き回るベーシストはいない。動き回っても安定のサウンドだし。(バンド自体がライヴのパフォーマンスの安定感に関して定評がある)


祭囃子のその後で 昂ったままの人 泣き出してしまう人
多分同じだろう でも言葉にしようものなら稚拙が極まれり

最高だってシュガーソング 幸せってビターステップ
死ねない理由をそこに映し出せ
惜しがったって等速で明日は来ちゃうけど
脳内天気予報のアップデートを果たしたなら


音楽が好きなら、絶対に聞いてほしい。シュガーソングとビターステップ。ハマれる人なのに知らないなら、そんな損なんてない。
続きを読む

現実と妄想の間

実生活が問題だらけでどうしようもないタイミングであっても、気持ちだけが突き抜けていきそうなことがある。
例の如く、腕は大暴走して全身を妙な多幸感が覆ってしまう。ずっと、一般的なよくある感覚だと思ってきたから、うまく説明できない。

ただ、頭が喜ばしくもないことを考えているのに全身が喜ばしさに溢れているという感じがする。矛盾しているのに、どちらも正解だ。そして、頭で考える方の世界で生きる気がないのは明白だ。食い違ったまま、どこまで行けるだろう。
単純に悪いこと、という気はしない。妄想、でもないのかもね。

ちーん。

献血に行ってみた。が、採ってもらえなかった。
血が薄いということで。

血圧も低いし、倒れたり気分悪くなったりしませんか?と聞かれたのだが、特に心当たりはない。看護師さん曰く、「慣れちゃってる」んじゃないかとのこと。
思い込みだろうか。日々、健やかになっていってる気がするのに。

メイドインアビスから考える「捧げる」について

前に記事にしたが、ドはまりしているコミック『メイドインアビス』。アビスという大穴を探検する探窟家の物語なのだが、探窟家にはランクがあり、それに応じて潜れる深さも変わってくる。
見習いは赤笛、一人前は青笛、師範代は月笛、達人は黒笛、伝説的英雄は白笛。それぞれ呼び名の通りの笛を首から下げている。

あ、ここから先はネタバレなのでこれからコミックを読もうとされている方は、一旦お戻りください。

最高ランクの探窟家が持つ「白笛」を作るにはユアワース、命を響く石という材料が必要となる。この石は誰かに「自分のすべてを捧げる」を意志を持った人間が変化してできる。つまり一人の白笛が誕生するには、誰かが彼或いは彼女のために「すべてを捧げて」人間であることをやめる、ということが必要になるのだ。
こう言うと、白笛を目指すのは誰かを進んで犠牲にする行為のように思える。しかし、白笛になりたい探窟家たちはその事を知らないようだ。物語が完結していない現時点で、人々に認知されている白笛は5人いることになっている。彼らも予期せぬ出来事で、近しい人を白笛にしてしまったのかも知れない。
唯一、白笛の一人ボンドルドは、自分自身を複製する遺物を使って、自分に自身を捧げて白笛を手に入れたということが分かっている。

それにしても「この人のためになら白笛になってもいい」とか「この人が目指す憧れのため、私は白笛になってもいい」等と思えるとはなんという幸せだろうか。自分自身に捧げたボンドルドのなんと寂しいことか。

私は、白笛を目指すよりも「この人のためなら」と思える人と出会いたい。貴婦人と騎士ならば、騎士ポジションですな。

かなり苦痛を伴う物語、メイドインアビス。色々と考えさせてくれる。今後の展開も楽しみである。
続きを読む

Let's play.

最初のウクレレを弾くようになってから8年か9年が過ぎた。後から迎えたコンサートスケール(通常のウクレレはソプラノスケール。コンサートはソプラノより大きく、テナーより小さい)とも丸3年になる。

我儘な性格により、先生につきたくなかった私はここまで独学で通してきてしまった。やりたいことしかやらないので出来ないことの方が多く、はっきり言って下手くそである。
が、このところ感覚が変わってきた。今まで、楽器はパートナー的な立場だった。しかし最近は、胸に抱いたそれは私そのものだという気がしている。音も私の音がする。同じ楽器でも人によって、音色が変わるのは当然なのだがそこに個性が乗ってきている。もうひとつの声、という感じがする。

弦を弾く時、弦と指とがねっとりと触れあう。まるで絡み合うかのように抵抗、のようなものがある。指が離れて、振動。指が離れる前に弦と絡むのをやめてしまったら、音は伸びない。声帯のような別の器官を持っているような気分。
ピアノ、エレクトーン、ハンドベル、色々な楽器をやって来たけれど、ここまで一体感を感じられるものは他になかった。もしかしたらウクレレが私に馴染んできてる以上に、私がウクレレにシンクロしているのかも?
前の記事へ 次の記事へ