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Second, I drunk the coffee like a fish.

あれから暫く、私は三日にあげず例の店に通った。もう、他の店のコーヒーなんてコーヒーだとは思えない。これからは別の飲み物だと思わなければ。否、あのコーヒーが別次元の飲み物なのだろう。


豆の種類はその時によって何種類かずつ入れ替わるが、オリジナルのブレンドとマンダリン、キリマンジャロ、ブルーマウンテン、コナ、ジャワロブスタは大体いつもある。
もともと苦味が強いコーヒーが好きで、酸味の強いものはあまり好きではなかった。だが、他のお客に供されるカップからの爽やかな香りに惹かれて、ついキリマンジャロに手を出してしまった。ジャワロブスタやマンダリンは最高だが、キリマンジャロもいい、と思えるようになった。結局のところ、あのマスターの淹れるコーヒーならどれでも美味しいと感じるのかも知れない。毎日のように通っても全然飽きやしない。最終的にはこちらから豆の指定をするのをやめてしまった。


店に来るお客たちも個性的で見ていて楽しかった。初めて来た時にも外国人らしきお客がいたが、どの辺りの国からやって来たのか分からない雰囲気の人をよく見る。聞いたことのない言葉や見たことのないような不思議な服装であったり、何となく緑がかった肌色であったり、出身地の検討もつかないことが多い。ただみんな、ここのコーヒーは特別だと思っているようだ。お気に入りの豆が切れていたって構わない。別のを貰えばいいのだから。
フードメニューも何があるのかよく分からないのだが、何か出してと言えば適当に作ってくれる。普通のオムライスを食べられることもあれば、ベトナム料理のフォーのような何かが出てくることもあった。どれも美味しいが、ワッフルやホットケーキはコーヒーと合わせると格別である。誰も店主に注文をつけない。非常に特殊な店である。
まあ、兎に角マスターが非常に個性的だと思う。あの人がいるというだけで、あの場所がとてつもなく居心地がいい場所になっている。はっきり言ってマイペースで、取り立てて接客に向いているという感じでもないのに。このために、この時間を提供するために生まれてきたような人だ。


日々コーヒーを口にしていると、今まで気づかなかったような色や香りや味わいに意識が向くようになる。きっと今までだってそれはあったのだろうけれど、この店で体験するそれは本当に生き生きとしている。いいことがあっても、悪いことがあっても、この場所に来たくなる。コーヒーを飲みながら色々思いを巡らしたり、全然違うことに思考を飛ばしたり、ただボーッとするためだけに。豊かな香りの中で呼吸することの何と稀有で贅沢なことか。そうやって時間に浸っていると、不意にカウベルが鳴って新たなお客が入ってくる。
「こんにちは」
マスターのどこまでもマイペースな挨拶が聞こえる。私はカウンターから入ってきた人を眺め、会釈する。あちらも会釈を返してくれる。また壁の時計を眺める。相変わらずまちまちな時間を刻む針たちを見つめる。マスターそういえばあの時計は、と質問しようとしたとき、マスターが山盛りのホットケーキを運んできた。
「頼んでませんけど」
「間違ってたくさん焼いてしまったので、どうぞ」
普通に出す量の倍くらいあるのだが、どう間違えたのだろう。でも、マスターが食べて欲しいと言うのだから、遠慮なくいただく。やっぱり美味しい。今日出てきたモカにぴったり合う。自然に笑えてくる。カウンターの中に何となく満足そうなマスターの背中が見える。
「マスター、コーヒーおすすめでもう一杯ください」


また、ここに来たい、と今ここにいるのに思う。それほどに居心地がいいのだ。ステキな場所だから色んな人に知って欲しいけど、その実誰にも教えたくない。分かる人にだけ、本当にこれを味わう必要のある人にだけ伝えたい。そんな特別な場所が、誰にでもあるのだろうか。


『ふたつ、そのコーヒーを浴びるように飲んだ』

First, I sipped the cup of coffee.

その店はよく歩く道にあった。見つけたのはこの辺りに引っ越してきて半年ほどたった頃だったろうか。昔ながらの喫茶店。白熱灯の灯りがカンテラみたいで暖かな感じなのを印象的に感じた。カウベルのついた木のドアを軋ませながら開けると、中にはカウンター席と四人掛けのテーブル席が五つ、こじんまりとした空間がコーヒーの香りと控えめな音楽に満ちている。
何より特徴的なのは、壁にたくさんの時計が所狭しと掛けられていることだ。すべての時計の時間は少しずつ違っている。各国の時間、ではなさそうだ。
「こんにちは」
店主とおぼしきカウンターの中にいる細身の人物が挨拶をする。
「こんにちは」
とりあえず、奥の四人掛けには二人連れが一組座っている。四人掛けもカウンターも空いている。どこにするかと目線を泳がせたが、結局カウンターにした。サイフォンが3つ並んでいる。
「えっと、コーヒー、おすすめは?」
「今日は謹製ブレンドかマンダリンですね」
「では、ブレンドを」
店主は豆をミルで曳き始めた。軽やかな香りが広がる。奥の男女二人連れはコーヒーを飲みながら、トーストのようなワッフルのようなものを囓っている。二人とも外国人のようだ。何やら聞いたことのない言葉で話している。目が合ったので、伏し目で会釈した。向こうも軽く首をかしげて応える。音楽はレコードで掛けているのか、くぐもったどこか懐かしいような音色だ。いい雰囲気だ。落ち着く。壁の時計は18個もあって、全てが違うデザインだ。クラシックな振り子時計、学校や鉄道の駅にあるようなシンプルな時計、パステルカラーのプラスチックで作られたかわいらしい時計、見たことのない民芸品のよう不思議なデザインのものもあるが、ひとつとして同じ時間を指しているものはない。あの木製の彫刻が美しいのはバリ島のだろうか。あちらの白っぽい薄い作りのは北欧のものか。いや、何か違う。どれも見たことがあるようで初めて見る意匠だ。
コト、という音にはっとした。おしぼりが置かれている。
時間を知るための道具を見つめていて、おかしな話ではあるが時が経っていくのを全く気にしないでいた。そもそもどれが正確な時間なのかもわからない。五分見つめていた?それとも十分?いや、一分も経っていなかったかもしれない。すぐには返事ができなかった。
「すごいインテリアですね。各国の時間、って訳じゃないですよね」
「ああ、それはですね…」
少しの沈黙があった。
「どの時計も合ってるんですよ。お客さんのはこれ、です」
店主が指し示した時計は正に、私の腕時計と同じような時間を指している。
「この土地の時間ということ?」
ここでコーヒーカップが前に差し出された。
「謹製ブレンドです」
「ありがとう」
極めてシンプルな白いカップを持ち上げると、良い香りが広がる。先ほどの豆の時の香りとは違って、もっと重厚で奥行きを感じる力強い薫香だ。鼻先に近づくにしたがって微かな酸味を感じる。まるでダークチョコにこっそりと忍ばせた木苺かオレンジのよう。早く味わってみたいとそそられるが、焦っては上顎が酷いことになる。淹れたては危険だ。両手で暖を取るようにしながら少しだけ待つ。指先から手首の方までじんわりと暖かくなったところで、ようやくカップに口をつける。
唇から全身が一気に暖まるような気がする。滑らかな液体は舌に絡み付くように濃厚さを感じた。柔らかな苦味だ。飲み込んでしまうのが勿体ないとすら思わせる。正直なところ、コーヒーなら何でもいい、というところはある。だが、これは違う。良い、と感じる。これを提供できる店主も幸せな人だ。私がこれを淹れられたならば、自惚れてしまうかも知れない。
最後の一口が冷めてしまうのが嫌で、名残惜しいがやや慌てて飲み干した。


「いい、コーヒーでした」
「…ありがとうございます」
こんな一杯を飲んだのは初めてなのに、言葉が出てこない。
「あの、また、来ます」
そんな普通の言葉を残して、カウンターを離れる私。何だかぼうっとして歩く。
ドアが閉まって、カウベルの音がしてハッとした。時計の話が途中のままだった。心残りだけど、まあ次来た時に聞けばいいか、と思い当たれば不思議に足取りも軽く家路に向かうのだった。

『ひとつ、そのコーヒーを啜るように飲んだ』

昨日は

職場で沢山のチョコレートをいただいた。ありがたいこと。

渡す方は随分と減った。本当に渡したいのは数名しかいない。
今後はもっと減るだろう。
義理チョコはもらう方もあげる方も気を使うし。

大体、大事なチョコを好きでもない人にあげるのはどうかと思う。
特別な日、ではなくなってしまったと思う。デパートにとっては大切なシーズンなのだろうけど。
また、特別な日になることはあるのだろうかね…

点と点とが繋がる

やっぱり自分自身でいいと思ったものしか、良くないんだと思う。
着るものとか食べ物とか、整体施術とか何でも。
理屈もいいけど、心地よさとか安心感とか満足感とかそういったものが少しもないなら、少なくとも自分にとっては必要ないものと考えていい筈だ。
それを判断するには、先ずは知らなくてはならない。
その為なら多少の危険は仕方ない、と思う、今日この頃。
頑固さも先入観もいらない。慎重さは後回しにしたらどうなるのかわからないけど、後回しでもいい。

そうだ。
私が小学生の頃出会って今に至るまで、最も好きな本に君臨し続けるエンデの『はてしない物語』の一文。
「汝の欲することをなせ」。
少しだけ、このファンタジックなストーリーについて触れようか。
主人公の少年は読んでいた本の世界に旅をし、あらゆる願いを叶えることが出来る魔法の力を手に入れる。しかし、思うままの世界を作り出すために願いを叶えるのと引き換えに、一つずつ記憶を失っていってしまう。
前述の言葉について、「好き勝手なことをしていい」のだと解釈している主人公に、知恵のある孤高のライオンは告げる。

「それは、あなたさまが真に欲することをすべきだということです。あなたさまの真の意思を持てということです。これ以上にむずかしいことはありません」

それを模索する、というのが生きるということなのですね、我が師、エンデよ。あの物語はそんな話だったのだ。
結局、色々な「望み」を辿っていくしかないのだとライオンが言っていた通りだった。

真の意思、は何だろう?もしかしたら死ぬその瞬間まで分からないかもしれない。
ああ、それは何だろう?生きていることはそれだけでドキドキする。
手始めに、目の前の望みと向き合ってみようか。その為に、何を差し出すことになるのだろう?

ストレッチポール

最近、ストレッチポールに乗るのが楽しい。
長さ90cm、直径20cmくらいの円柱を床に横倒しにして、その上に寝る。
背骨や背筋に刺激がある。その姿勢のまま、腕を回すと肩関節や肩甲骨に痛みが出たり出なかったり。しばらくやって、起き上がると少しスッキリする。

テニスボール入り靴下を使うものもそうだが、自重を生かしたエクササイズは比較的、長続きしやすい気がする。エクササイズというほどのものでもないけど。

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