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3/16【備忘録】

話題:歴史

※ホントは日曜日に下書きした記事なんだけどupを忘れてたという(備忘録のくせに)、そんな記事。

▽▽

「長居は悪事のもとゐなり」

藤堂高虎「高山公実録」

読売日曜版・名言巡礼より。


主君を何度も鞍替えしたり、外様だとか(これはリアルな役職だから悪口じゃないか)、世渡り上手だけど忠誠心がないとか散々言われてるけど、高虎に関して忘れちゃいけないのが

・主君をよく替えていたのは血気盛んな10代の頃だったこと

・21歳の頃に秀吉の弟・秀長の家臣になってからは二代役20年間は仕え続けてきたこと

・主家が断絶してからは高野山に登って武士を捨てようとしたこと

・秀吉没後は徳川方に転じ、豊臣の旧臣が取り潰される中、藤堂家は江戸時代最後まで生き延びたこと(豊臣方から徳川方に行ったこの辺りが忠誠心がないって言われる所以なのかな)

・高虎が家臣に残した「遺訓二百ヶ条」には「新参者は古参の衆に家の作法をよく教わり、守りなさい。ただし行いを正しくしてもうまくいかない時は、悪しき家だから立ち去るべきだ。長居は悪事の元である」と説いていること

・つまり、何度も転職を経験した自身、家臣が去るのに対しても寛大だったこと

・悪しき家を見限り、善き家を見定め、能力を評価してくれた相手には力を尽くすという信念を曲げなかったこと


……というね、数多の誤解やマイナスイメージを覆すほど、再評価に繋がる逸話がどんどん出てくるわけです。

最近のゲームとか見ると、高虎の描かれ方ってやっぱかっこいいしね。

ちなみに「高山公実録」は高虎自身が書いたものじゃなく高虎没後100年以上経ってから藤堂家がまとめた文書で、「遺訓二百ヶ条」は側近がまとめた高虎の遺訓集なんだって。


高虎の場合は、主君を渡り歩く腕自慢の変節漢というより処世術の長けた公明正大な知恵者というイメージ(槍の使い手らしいから強いのだろうけど)。そういう所が魅力なんだろうな。コロコロ鞍替えした不忠の将なんかじゃなく、むしろ公平無私。

他にも築城の名手、普請や地域経済の基盤を築いた、実務的で合理主義な町づくりの鬼(?)としても有名な高虎。

こういう人が復興支援に尽力してくれたら心強いなぁと思う。

それと、高虎のあのプロペラみたいなの付いた兜。あれかっこよくない?伊賀上田城に展示されてるようですよ。行きたい。

津餃子も食べたい。


近年、高虎にスポットを当てた小説も多々あり。





どちらもかっこいいタイトル。

ちなみに安部龍太郎先生は、私の一番好きな戦国武将・蒲生氏郷を主人公にした小説も書かれています。



レビューでこちらと葉室麟先生の『冬姫』と併せて読むことをお勧めされてた方がいたので、冬姫も貼る。




安部先生は『等伯』といい取り上げられる題材が絶妙だったり歴史観を大きく変える作品を多く書かれてる印象。

戦国に思いを馳せていると歴史小説が読みたいと思う今日この頃。


思い立ったので、今自分が好きな戦国武将、あるいは詳しく知りたい武将を列挙してみる。

・蒲生氏郷
・大谷吉継
・今川義元
・長宗我部盛親
・榊原康政

ちなみに北条五代は全員好きです。特に氏政が好きなんだけど、あまり共感は得られないだろうなぁ……『真田丸』を観てると特にw

3/11【備忘録】

話題:東日本大震災


備忘録と題してはいるもののそれは自分の中のことであり、甚大な被害に遭われた方にとっては無理に思い出そうとしなくていい出来事であると同時に、無理に忘れようとしなくていい出来事だと思う。

それを踏まえての【備忘録】。

被災地・岩手県宮古市は母と縁の深い地であり、宮古の高校に通い、青春時代を宮古で過ごしたという。

そんな思い出の地が津波被害に遭った時。その光景を見た時は本当にやり切れなかったと口にしていたのをよく覚えている。

身近な方々から「何か出来ることはないか」と千羽鶴をいただき、それは今でも実家に大切に飾ってある。

私には東北の血が半分流れているので、テレビなどで東北訛りを聞くと胸があたたかく、そして懐かしく感じる(旦那曰く、母の影響からか時々東北のイントネーションが出る時があるらしい)。

仙台や会津などの旅行の思い出、岩手に住む親戚のこと、そしておばあちゃん家のことを思うと、やはり東北が好きだなと思う。

それだけのことと思われるかもしれないが、そんな大好きな地が蹂躙されるのは心が痛かった。

心が痛いからこそ、震災から5年経って直面している被災者の方々の現状を受け止め、知っていかなければならない。

全てが無理強いではない。それなのに、無理を強いられ心を蝕まれている人たちがたくさんいる。
それは生活のために、遺された家族を支えるために。


そんな中、3月6日付の読売日曜版、名言巡礼に取り上げられていた言葉に感銘を受けた。

「むごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ」
「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが」

(井上ひさしの戯曲「父と暮せば」より)

大切な人たちを亡くし、自分だけが幸せになってはいけないと自責の念にかられてしまっている人への言葉。

遺された命にも、大切な人が寄り添ってくれていた命にも意味があるのだと感じる。


風化させないように、知ってもらうために、ゆっくりと一歩ずつ。

2/24【学んだことmemo/イギリス貴族の作法】

話題:メモ


『ダウントン・アビー知られざる貴族の作法』を見て。

途中から録画したやつを見直して、イギリス貴族について学ぶ。

(以下、印象に残ったことなど自分なりのメモを箇条書き)

・貴族が大きな声で話すのは、自分たちに自信があって誰に聞かれてもいいと思ってるから。「貴族とはこういうものよ」という感じで。部屋も広いし。

・貴族でいるためには、無礼で気取った人間になる必要がある。お茶が入ってもお礼も言わないし誰が入れたものかも気に留めない。

・使用人は空気も同然。

・貴族にとっては使用人にお礼を言わないのは当たり前で、心の中でお礼を言う。

・優れた使用人の条件は気配を消せること。

・その場にいても聞こえないふり、だけど情報は入ってくる。

・貴族が使用人の前で平気で何でも話すのは、彼等が何も気にしてないと思っているから。

・使用人は外に漏らさない。使用人の条件は口が堅いこと。評判の悪い家で働きたくないから。良い家で働くことが使用人にとってのステータス。

・貴族はスキャンダルを恐れた。ゴシップ記事に価値を見出したから。

・使用人は家名や地位を守るためなら何でもする。

・自分の問題で主人に迷惑をかけない。

・感情を押し付けてはいけない。

・主人を精神的に支えなければならない。

・会話を急かしてはいけない。

・主人の考えや行動を非難してはいけない。心でどう思っていても。

・使用人と主人が友達のように親しくなる例はあるが、主人と使用人という関係は越えない。

・女性同士が特に親しくなることが多いのは、着替えや身支度などで時間をかけ、一緒にいる時間が多いから(と思われる)。

・ティアラをするのは既婚女性だけ。

・いつも手袋をはめる。

・服装の規則の始まりは、数世紀前の奢侈禁止法によるものだった。貴族以外は毛皮や絹を身につけてはいけない決まりがあった。

・奢侈禁止法[しゃしきんしほう]=贅沢(奢侈)を禁止して倹約を推奨・強制するための法令

・朝食、乗馬、散歩、昼食、午後の用事、夕食、とにかく着替える。

・コルセットで締め付けられ自由がきかないので、女性は自ずと受け身の姿勢になっていた。

・1924年は服装はより自由になり動きやすくなった。これは決して偶然ではない。女性たちは突然自分の意見を主張するようになり権利を求めるようになった。それは呼吸が楽になったから。

・男性の服装は堅苦しいまま。夜会用のシャツは厚紙みたいに堅く、それに体を押し込むように着ていた。

・TPOに応じて帽子も多様にあった。

・男性にとって帽子はとても重要。帽子によって身分がわかるから。

・上流階級の大きな屋敷の主人なら、ここぞという時にはシルクハット。あとはより取り見取り。

・労働者階級は布製の帽子を被る。山高帽は高くて買えない。

・外出時は帽子。女性に話す時は帽子を脱ぐ。

・当時、手袋をしていても握手は禁止。病気の感染を防ぐため、当時は握手をしなかった。

・蓄財の作法。貴族は仕事を探す必要がなかった。土地や屋敷を相続するか、結婚をすればよかったから。

・しかし、新しくやってきた野心溢れる成金たちに脅かされる。

・領土の収益に翳り。北米からの穀物供給により作物の価値が下がり、税再改革が相続を脅かした。

・鉄道や企業などに投資し資産運用に勤しむも、中には経営のことはからっきしで、詐欺師に騙されたり時代の流れに翻弄されたりする貴族もいた。

・社会福祉や医療制度のない時代。領地で働く使用人たちは明日をも知れぬ身だった。全ては領主の手にかかっていた。

・屋敷の仕事は歯車と一緒。油を差したりするのを面倒くさがると屋敷全体がうまく回らなくなる。

・貴族たちは特権意識ではなく、義務感でもって社会と向き合ってきた。

・彼等の願いは、領地やそこに住む人たちの役に立つこと。

・「使用人のいない貴族なんて、ガラスのハンマーくらい存在価値がない」

・伯爵もイギリスという巨大な歯車の一つとなってかしずいている。

−−−−−−−

以上。構成から何まで、凄く良質な番組でした。

ダウントンアビー見てないけど……。


【帰ってきた備忘録】初詣のいろいろ

話題:あけましておめでとうございます

◎備忘録やってたことすら忘れそうなほど久々。

◎誕生日おみくじ。



とにかくごう慢はあかんということですね。ワイって偏屈な芸術家のデフォみたいな奴だったんだなww

◎屡々精密って何て読むんだろう四字熟語かな?って思って漢字辞書で調べたら、屡々はしばしばって読むのね。しばしば精密な検討配慮を欠くことがある。

◎直感的な判断はせず、精密性を重視してもっと冷静になれってことだよね。

◎コミュ症、あがり症、テンパりやすいの三重苦なので外交手腕や機転を必要とする仕事は正直向いてないと思ってしまうんだけど、でもせっかくだから少し自信を持とう。

◎希望は理想の父である(シェークスピア)
◎自己の主張は誰でも出来るが 他を受け容れるのは容易でない

まさにその通り。肝に銘じよう。


◎そして運勢の方。


☆☆火山旅(かざんりょ)

山で火がもえるとき、山は動かないが火が四方八方に燃えひろがります。それを旅の姿になぞらえて火山旅という名がつけられた卦。
あわただしく落ちつきのないことを示し、今週はいろいろとゴタゴタがおこるかもしれません。

今週起きるんかーい。急だな。


◎開運だるま購入。



オレンジは去年買ったもの、青は今年。
オレンジのだるまは「夢の実現」。去年の初詣の頃はちょうどカモフラがノミネートに選出されていた時期だったので、願掛けのつもりで買いました。お願いが叶ったので、今年は「仕事・学業」にご利益があるという青いだるまを購入。

もっともっと本が出せますように!!

オレンジのだるまは、娘の合格祈願だるまと共に両目を入れて返納しました。ありがとう、だるま様!


◎せっかくなので、ここでちょっと「達磨不識」の話を。「歴史秘話ヒストリア」の謙信の回で逸話が出てきました。禅問答のような会話です(※ちょっと砕けた感じで書きますよ)。

昔、梁の武帝は仏教を信仰してお寺をいっぱい建てたり供養もいっぱいしたので、とにかく仏教を信仰して徳を積んだつもりでいました。
そこへやって来た達磨さん。武帝は達磨さんに尋ねます。

「私は即位してから仏教振興のために尽してきたけど、どれぐらい功徳が有るだろうか?」。
それに対して達磨さんは「功徳無し(無功徳[むくどく])」と答えます。見返りを求めて積む徳なんて徳じゃないってことですね。
で、驚いた武帝は「え?何で?いろいろやってんのに?つまり仏教の第一義(最も聖なるもの)ってどういうことなの?」と尋ねるも、これに対しても達磨さんはつれなく「不識(知らんがな)」と答えます。

さらに武帝は「じゃあ、仏教を学んで渡り歩いてきた禅の開祖とも言われるあなたは一体何者なんですか?」と尋ねると、またも達磨さんは「不識(知らんがな)」ときっぱり。

つまり、自分は何者でもないってことなんですね。
自分という存在は、名前や立場はあっても本来の自己ではないと。そういった自己の存在理由や立場に対する固定観念は捨てて、ありのままに生きればいいと。そういう禅の教えなんですね。

というわけで、【今日の言葉】は「無功徳」と「不識」(達磨大師)

【備忘録】11月3日(火)

話題:ひとりごと


※最近もう夜眠くて力尽きてその日のうちに更新できなから諦める日が多い。今日もギリギリ。ただの日記と化しつつある備忘録。


◎井伊直政の赤備えは、武田配下の山縣昌景から引き継いだもの。三方ヶ原の戦いで殿が例の粗相をしたじゃないですか。その時特に怖ぇぇぇ!!ってなったのが山縣昌景だったから、それにあやかって後の「井伊の赤鬼」が誕生した、らしい。


◎おそ松さん、泣ける回。Twitterのトレンドが凄いことになってたね。今までの推し松はチョロ松(ツッコミ担当/ドルヲタ/比較的常識人に見えてキ○ガイ)だったけど、一松、カラ松、十四松辺りが熱いね。てゆーかみんなかわいいよ。腐に喰われ始めたから見るの辞めたわって人多いだろうけど(今回特にケツに注射しようとするシーンあったから「ああ…」って思った)、そんな理由で見るの辞めるの物凄く勿体ない、その辺のあざとさも含めて面白いんじゃん。赤塚不二夫が草葉の陰で泣いてるとかいうのもお門違い、あんな壮絶な人生送ってた人がそんな狭量なわけがないし、そもそも一部がちょこちょこっと玩具にしてるだけのものがお耳に届くはずもないと思うんだよね。意見は人それぞれだろうけど、大作家の名前借りて腐を叩くのは、なんか違う。


◎ヒロアカのアニメ化。早すぎるという意見も当然あるけど、昔から堀越先生好きだったからもう感動して泣きそう。逢魔ヶ刻もう一回読みたいな。バルジなんてなかったとか言うなwwティアマトめちゃめちゃかっこいいんだぞ!


◎文化の日ということで、全日本剣道選手権をちょっと見た。自分、剣道との関わりは小学校の頃にやってたファミコンの六三四の剣のみでルールも何もちんぷんかんぷんなんだけど、じりじりとした鍔迫り合いからの瞬間的な動きと駆け引きが胸熱だった。それと、後頭部から垂れる武具の紐が揺れるの、アレなんか萌える。


◎学校へ行こうの未成年の主張でBBA大号泣。軟式globeとか懐かしかったなー。



【今日の言葉】

「成功する秘訣なんてない。でも失敗の要因は、全ての人を喜ばせようとすること。自分の決めたことを一つ決めてひたすら頑張る。周りを満足させるためじゃなく、自分を満足させるために。そうすれば結果は後からついてくる」
(エド・シーラン)

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