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被災者と非被災者


被災された方にお悔やみを申し上げます。





昨日の夜帰れて、俺の住んでる所は震度5だったと聞いた。
自宅は部屋の物が散乱していただけで、たいしたことない。

当日は仕事をしていて、多分職場で早い段階で気付き。同じ部屋にいた上司に『地震じゃね?』と云っても上司は気付かず、机の上の試験管や生理食塩水が波打っているのを見せていたら少しずつ大きくなってきた。
まだ揺れは少なかったがヤバいと思って、上司に窓や扉を開けないとと云って二人で部屋を飛び出し、工場現場内に無理矢理駆け込み。
上司は一番奥の現場の避難経路を確保して誘導、俺は手前で戸惑う従業員に手前側の一番近い出口で外に出る事を促し、見える範囲の人が避難した事を確認したあと、奥に孤立した加熱室に逃げ遅れた人がいないか駆け込むと。案の定パニックになった外国人とその人を宥めようとしている人が二人残っていて、二人を避難経路に誘導しながら歩くんだが…足元がトランポリンの上を歩いているようで覚束ない上にパニックになった人が階段を踏み外したりで外に出るのに苦労した。
一度外に誘導した後、自分の作業に使っていたガスバーナーを消してない事に気付き実験室に戻ったが上司が消してくれていた様で安心した。

取り乱した人も余震も続いたが皆無事で、支社内は被害はなかった。本社のパソコンが全部ダメになった程度。

その後例に漏れず、家族と連絡取れず、仕事が終わっても交通機関は全滅。
家族が心配で国道を徒歩で3時間歩く覚悟をしたが、便乗した犯罪が増えると止められ、何人か会社に近い人が泊まれと云ってくれたのでお邪魔することになった。
夜になって家族と連絡が取れ無事を確認。

余震が尋常でない回数というか…ずっと揺れっぱなしだったから、相当酷い天災なのだと思ってはいたが…テレビを見ると想像を絶していたもので…ずっと何となく息苦しさを感じていた。昨夜やっと家に帰って今まで爆睡して目が覚めたら、ようやくもとに戻った気がする。

被災地にいる友達はほぼ無事を確認したが…仙台の友達の中で確認取れていない奴が…。
きっと同じように安否の解らない不安を抱えている人が沢山いるのだと思う。

******

PTSDは、被災者に何もしてあげられなかったと云う思いでなることが多いそうです。
被災者が非被災者に対して『元気な人が元気で普通に暮らしていてくれる事が嬉しい。非被災者だからといって普通に生活している事が不謹慎だとは思っていない』というようなコメントを見ました。無事な人の中にはこのコメントで少し救われる人もいるのではと思い、こちらに書き込んでおきます。

尚、救援物資は日本赤十字社に送れば被災者に確実に分配されます。
円滑に救援物資を届けるにはお金が一番手っ取り早いという事です。
身近に救援物資を自分で運びに行った方が居ましたが、当方は必要な場所に均等に分配するには恐らく赤十字社等を介した方が良いと思っています。それに、被災者の方々もむやみに他の方を危険にさらしたくはないと思います。
救援物資は被災直後もそうかと思いますが、今後継続する事が必要なのではないかと。

いろいろ勝手な事も書いていると思いますが、ひとつの意見として。
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