万国の黒煙に記す彼奴らに禍を!
演説。
最近頑張れないよ。
という泣き言ばかり言っているからいけないのです。そもそもスケジュールの管理が甘すぎてやばい。スマホでスケジュール管理しようと思ってたのですが、その登録もめんどくさがってちゃんと入力しないので抜けまくりだし、紙だと一気に一月分確認できるから良いね。
ぼわぼわー。「面倒でやらない」ことが多すぎる。焦燥感ばかり持つけれど、結局やらないんだよね。うにゃー。
でも、あの焦燥感というのは後でわたしに火を着ける燃料となるから中々に捨てられないというか、無くせないような、共依存的な関係になっている。わたしはその焦燥感と心中するのかしら。
愛が至高であるという思想が、私の中に根付いているようで、全てから逃れるような安寧の死と、結びつけられることが多くあると思う。愛というものが互いを繋いで、がんじがらめにして、逃げられないとか。まさしく共依存。、というのは、現実ではありえなくありえないのでどうとでも出来る創作世界ではこういった内容がすき。
お昼からする話題ではないわ。
今日の脳みそはこんな感じ。
逃げ出したいなと、思うときがあります。
それは、過去の自分であれば恐れなかったであろうことであったり、また他の人であれば恐れないであろうことだったりもするのです。
いまは、唯唯時が経つのが怖い。
と、これだけ申せば、死の床についている爺の嘆きかと嘲笑われそうですが、私は未だ若者で明日の来るのが怖いのです。死に際の爺というのは、明日の来ないのを恐れています。永遠の眠りにつくのを、むしろ私は恐れないでしょう。
いえ、もしかしたら、私も爺と同じなのでしょうか?若い若いと思っているのは唯私の精神のみで、肉体は元より周りの人は、世間は私を既に老人だと思っているのでしょうか?私は、私が思うに二十余年ばかりを精々生きた気でいましたが、そんなことはないのかしら。
怖いものというのは色々にあれど、私は私の年齢の数え間違いというのが一番恐ろしいようだ。