もういいのよ、行きたいんでしょ。
ここ数日毎夜続く甘い時間の果てに、ナミがそう呟いた。
「ナミ…?」
「鷹の目のところ。今のあんたは敵なし。世界一の大剣豪を狙うには充分強くなった、そうでしょ?本当は追いかけて堪らないくせに、無理しちゃって」
我慢なんてあんたらしくないじゃない。
「お前は………お前は、どうするんだ」
後ろから抱き締めているから、オレンジ色の頭しか俺には見えない。
腕に力を込めれば振り向かせるなんて容易い。
でも、ナミがそうしないのなら、俺がそうしてはいけない気がした。
「行かないわ。私まで船降りちゃったら、誰が舵取るのよ」
「………」
「怒った?」
やっと、こちらに顔を向けたナミ。
「いや」
「あのね、私はあんたを信じてる。だからついていかないの」
ナミの右手が、すっと頬を撫でて、左耳のピアスに触れた。
チャリと小さな音がして、ナミは右手を俺の心臓に重ねた。
「たとえあんたが極度の方向音痴でも」
「おい」
「心配してないわ。あんたが世界一の大剣豪になるべきなら、迷っても必ず鷹の目のところへ辿り着けるはずだもの」
だから私は、私がいなきゃダメな船に残るの。
「帰り道だって、心配してない。あんたは帰ってくる、この船に。だって、この広い広い海で出逢えた私達だもの」
ねぇゾロ、とナミが一層穏やかな声で。
「あんたが悩んでたの知ってるわ。私を残して行きたくないのも、連れて行けないって思ってることも」
悩んでも悩んでも踏ん切りのつかない自分にイラついて、酒も飲まずに、ただひたすら今の現実にしがみついていたナミを求めた。
チョッパーにデービーバックファイトの時、男ならガタガタ抜かすなと諫め。
ウソップの退団騒動の時には、ルフィにキャプテンとして腹をくくらせた。
そんな俺が、フラフラするわけにはいかなかった。
他の奴等には普段と変わりない態度で接していたつもりでいたのに。
やはりというべきか、ナミにはバレていたのか。
「私は、あんたの野望も含めてあんたを愛したの。だからいいのよ、ゾロ。置いて行っていいの」
「でも俺は…」
「自分の野望で私を犠牲にしたくない、違う?」
黙るしかなかった。
「犠牲だなんて思わない。言ったでしょ、野望も含めてあんたを愛したって」
野望がないあんただったなら、私達は出逢わなかったかもしれない。
出逢えたとしても、私はあんたに振り向きもしなかったと思うわ。
「野望のためなら自分の身体や命を省みない、大バカ野郎の筋肉マリモ。だからほっとけなかったし、ほっといたら早死にしそうなくらい生き急いでるように見えた。生きてりゃ…って思ってた私が気づいたら、あんたの未練になりたがってた」
それに、その野望があってこそゾロっていう男ができたわけで。
そんな男からの言葉で、ちょっと甘ったれだったチョッパーが成長して。
ウソップの事でバラバラになっちゃいそうだった私達を、繋ぎ止めてくれた。
「ゾロ、あの時ね、私惚れ直したのよ。知ってた?ああ私はなんていい男に愛されてるのかしらって」
「なぁ、ナミ…」
「迷ってくれてるだけで充分よ、だってあんたの未練になれたんですもの」
ルフィに、風車のオッサンに。
ナミを泣かすなと、言われた。
ナミは泣いてなどいないけど、
「俺は、お前を一人にするのがイヤなんだ」
「ゾロ…」
アーロンの時のように、いつ叶うか分からない日を待ち焦がれさせ。
隠れて、一人で泣かせるのがイヤなんだ。
助けて、とお前が涙を見せた時。
二人に言われるまでもなく、二度とこんな風に泣かせたりしないと誓いながら刀を握り締めた。
お前が仲間達(アイツラ)の前で泣くような女じゃないからこそ、イヤなんだよ、ナミ。
「うん、だったら一人にしないで」
は?と、間抜けな声がつい口から漏れた。
ナミは可笑しそうに笑って、それから俺の首に腕を回した。
「あんたの子供、私に頂戴?」
そしたら一人じゃないわと、ナミは。
「あんたがいないのはもちろん淋しいけど、子供がいたらそんなこと言ってらんないわ。あんたに恥ずかしくないように育てなきゃいけないし、それに」
「それに?」
「男の子なら、」
「俺そっくりなはずだってか?」
ニヤリと笑ったら、ナミの唇が左頬を掠めた。
「そういうこと」
「お前は強いな」
「あら、今頃気づいたの?」
「いいや」
これまで贈り続けた劣情しか含めなかったキスではなく、俺にできる精一杯の柔らかいキスを一つ。
「明日、行くな」
「早く帰ってきなさいよ」
「あぁ?」
「子供がサンジくんを父親だと思っても知らないわよ」
「なっ!?」
「ゾロ、沢山たくさん愛して」
「……言われなくても。覚悟しとけよ」
ナミはうんと笑った。