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長崎港の風景


少し曇り空でしたが
長崎港に来ました


お馴染みの長崎港のシンボル
観光丸です

遠くには女神が見えます


珍しく観測用なのか
艦艇が停泊してました


曇り空でしたが
やはり海はいいですね


長崎港また来ますね!


from Itsuki

ちかくに


どんなに言葉を尽くしても
確かめられないものがあって

いま手に触れるものは
明日になれば

ぬくもりだけが
想いに残り
いま近くに君がいる


言葉をはいらない
あなたのそばにいたいから

二人の心が重なって
動き出していく

いまあなたが近くにいる
二人の心が一つになる


想い出には頼らないで
先は必ず見えるから

あなたの心に触れるくらい
いまそばにいるから

二人の心が重なって
動き出していく


いまあなたが近くにいる
二人の心が一つになる

思い出はただ思い出になり
約束は約束として

ここから二人で
明日へ進んで行こう


(↑しらゆきちゃん
思案中です)

〜小田○正
もっ○近くに
より引用〜

from Itsuki 

ダジャレまつり


ダジャレまつりです

○逃走シーンは闘争心

○調査、監査が
超盛んさ

○10日移動に東海道


○ニューシャトルで
入社採る

○五件投資って
ご検討しました?


○ストラップつけて
ラストラップ

○当校舎の投稿者


以上7つです

from Itsuki

長崎の歴史:喧嘩坂騒動の検証


ここで喧嘩坂騒動の謎を考えて
みたいと思います

まず喧嘩坂でのシーンですが
二人の深堀藩士は
坂を下ってきており

高木家の番頭たちは
坂を登ってきています

深堀藩士は諏訪神社での
要件を終えて
近道をしながら長崎五島町の
深堀藩蔵屋敷に戻る途中でした


しかしそうなると
喧嘩坂を下るのは明らかに
遠回りになり
五島町とは逆方向に
なってしまいます

また高木家の番頭たちですが
泥を跳ねられただけで
武士は屋敷に押し入るほど
怒るのは
やはり違和感を感じます

そこで史料を調べてみました

すると喧嘩坂の騒動を
見た人の記録が掲載されてました


それによると騒動は
坂の途中でなく
坂の上であったようです

深堀藩士はそこさら
五島町の蔵屋敷へ戻ろうとし

高木家の番頭たちは
高木家に誕生した初孫の
お祝いを終え高木家邸屋敷に
戻る途中でした

そこで深堀藩士の深堀三右衛門が
ついてはいた杖が
折からの雪の水たまりにとられ
高木家の孫を乗せた籠に
ぶつかってしまい
籠が地面に触れ泥がつきました


祝いの席を汚された格好になった
高木家の番頭たちは
宴での酒の勢いも手伝い

坂の上で口論に発展します
その場は近くの神社の宮司の
仲裁で引きますが

やはり祝いの場を汚されたのは
許せずに
酒の勢いのままに
深堀藩蔵屋敷に押し入ります

これならば納得いく
展開になります

赤穂浪士の討ち入りは
この一年後にされ
この喧嘩坂騒動が参考にされたと
されています


(↑しらゆきちゃん
夢中でなっています)

from Itsuki

長崎散策:左近稲荷神社


長崎くんちが催される
諏訪神社から
松森神社と観光スポットになる
神社を抜けて
5分ほど歩きます


細い階段がある
時代を感じる鳥居が見えてます

ここが今回の散策の
「左近稲荷神社」です

創建年は不明ですが1770年の
古地図には
載っていた みたいです


こじんまりとした
拝殿があり
敷地も決して広くないですが

きちんと整理されて
いる神社です


ここは別名「てっぽう稲荷」と
いうみたいですが

その由来は上の写真の
祠の後ろの岩が鉄砲岩といい

その岩に建てられた
稲荷神社なので
てっぽう稲荷と呼ばれた
みたいです

from Itsuki
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