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ねこの能力


ねこは人の言葉を理解して
いるでしょうか

犬はある程度理解して
いますが

ねこの能力に関して
考えるならば
「脳化指数」があります


これは全体重に占める
脳の重さの数値です

ちなみに人は
0.86で
犬は0.14で
ねこは0.12です

ねこと犬の指数は
微妙な差になります

では言語をつかさどる
前頭葉は
どうでしょうか


ねこの前頭葉は
犬と同じ程度とされます

しかし前頭葉の中の
連合野が
ねこはかなり広くあります

連合野は外からの情報を
分析し処理して
その判断に基づき外に対して
アクションの指示をします


連合野の受け持ち情報は
言語以外に視覚に
嗅覚、触覚とあります

このことから
ねこの連合野は
視覚、嗅覚、触覚以外に
言語情報の処理の
可能性があるといわれてます

もしこの話が確かならば
ねこは人の言葉を理解して

人の言葉に反応した
動きをとっていても不思議で
なくなります

ねこ派の僕には
嬉しい情報でした

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
賢いねこです

ガリレオの思考実験


アインシュタインの言葉に
「ただ思考のみが
集められた事実を真理へと
関係づける」があります

「思考実験」とは
現物で実際に実験するのでなく
頭のなかだけで
実験を組み立てるものです

具体的な思考実験として
古代ギリシャの哲学者
アリストテレスは

「重いものと軽いものを
同時に落下したら
重いものが先に落ちる」とし
それがガリレオの
時代まで信じられてました


ガリレオは古代からの
この問題に
自分の考えを当てはめて

アリストテレスの考えを
否定します

ガリレオは自ら
思考実験を行います

「ならば重いものと
軽いものを
ひもで結んで落下させたら
どうなるだろうか」


この「思考実験」が
理論上の法則の
構築や証明に

「思考実験」が初めて
科学的な道具として
使われたもので

ガリレオの思考実験の
傑作とされています

ガリレオは思考実験の中で
「重いものと軽いものを
ひもで結んで落下させたら」


「早く落ちようとする
重いものに対して
軽いものはそれにブレーキを
かけるので
落下の速度は2つのものの
落下速度の
中間位の速度になる」

しかし2つのものは
ひもで結ばれているので
1つのものと
みなすことも出来ます

であるならば
合体した物体の落下速度が
重いものより
速度が早くなるのには
矛盾が生じてしまう

したがって
物体の落下速度は
重さに関係なく
同じ速さで落下すると
結論出来ます

ガリレオの思考実験でした
(ちなみに
ピサの斜塔からの
落下の実験は
のちの創作みたいです)

from Itsuki


↑スゥィートくん
お食事の準備中です

アドラーの心理学:嫌われる勇気


アドラーの心理学の
重要なキーワードでもある

「嫌われる勇気」ですが
自分が嫌われる事も
ストレスのになると考えますが

アドラーは
必ずしも
そうは考えていません

アドラーは逆に
そう考える事が出来ない人は
変わる事は
出来ないと語ります


様々なSNSなどで
「いいね!」や「Good」を
押さないと
嫌われると考えるならば

とりあえず一週間
SNSを休んでみるとか

そうしたお試し期間を
設ける事は出来るかもしれません

しかしその事で
SNSの友達の輪から
外されるかもしれません


アドラー心理学では
それを良かったと判断します

何故ならどんな人でも
24時間SNSを
見るわけにはいけません

そうしたプレッシャーから
解放されたのですから
自由になれたのです
楽になったと考えます

アドラー心理学は
そのように語ります


アドラー心理学は
カウンセリングから考えると

悪い状況に陥った
相談者に対して
「その選択をしたのは
あなただからあなたを悪い」と
言います

これはカウンセリング的には
冷たい対応に思われますが

「未来に実現したい幸せを
イメージして
それを目的にすれば
いろんな事が出来る」と語ります

〜次回 アドラーの心理学に続く〜

from Itsuki


↑スゥィートくん
探し物中です

お知らせ


本日多忙のため
blogを休ませて頂きます

代わりに


今日の一樹と


見上げるしらゆきちゃんです

from Itsuki

長崎の歴史:高島秋帆 1


高島秋帆は日本初の
西洋式砲術
(大砲を撃つ技術)を
創立した人物で

秋帆の砲術は高島流砲術と
呼ばれました

秋帆の家は代々
町役人である町年寄の家で
秋帆は11代目にあたります

秋帆は1798年に高島四郎衛の
三男として生まれます


秋帆の父四郎衛は
長崎港の防衛強化の幕府の
方針から
長崎 出島の大砲場(台場)を
任されており

砲術のひとつでもある
荻野式砲術の
師範でもありました

秋帆も父から荻野式砲術を
学び師範になり
1814年に町年寄見習いになり
出島台場を受け持ちます


当時荻野式砲術をはじめ
和流砲術は軽砲に
限られていて

外国の武装艦にはまったく
役に立ちませんでした

そこで秋帆は次第に
西洋式砲術に
注目するようになります

秋帆は出島のオランダ人を
通じてオランダ語を学び

実戦経験があり
陸軍大佐の出島商館長の
スチュルレル等から
様々な情報を仕入れていきます


そこから町年寄の特権を使い
砲術関係から
馬術、自然科学、医術などの
オランダの書物を手に入れます

貪欲に西洋式砲術を学んだ
秋帆は次第に
高島流砲術を確立していきます

1840年にアヘン戦争が
勃発して
清国がイギリスに敗れたと
知ると秋帆は

大砲術の近代化を訴える
「天保上書」を
幕府に提出します

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


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