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ながさき紫陽花まつり


現在開催中の
「ながさき紫陽花まつり」に
出かけてきました

あいにくの雨でしたが
修学旅行に観光客などで
眼鏡橋は溢れてました


紫陽花は花の形や色
咲き方でニックネームが
あるそうです
例えば下の画像の
紫陽花は
「ムックローサ」です


更に下の画像の
お馴染みの紫陽花は
「プリンスブルー」です


そして下の画像の紫陽花は
「城ヶ崎」です


紫陽花も様々ですね

雨の中でしたが
有意義な一時でした

from Itsuki

町ねこさん写真集


町ねこさん写真集です

やはり長崎はねこの町です


まず中華料理店の
ねこさんです


このねこさんも
中華料理店のねこです

ご飯には困らないでしょうね


こちらは飲食店街のねこさんです

駐車場がねこさんたちの
集合場所です


こちらは公園のねこさんです
先ほどの駐車場の近くです

やはりご飯に困らず
人気の町ねこさんです

from Itsuki

紫陽花の風景:早出し編


長崎の紫陽花も
ようやく咲きだしました

長崎では
現在「紫陽花まつり」が
開催されてます


紫陽花の風景 早出し編では
植え込みの
紫陽花を撮影して見ました

紫陽花では定番の
青色に紫色の紫陽花に


鮮やかな赤い紫陽花も
見事に咲いてます

植え込みとはいえ
手入れが
されているのでしょう


毎年きちんと
咲かせてくれます

そして紫陽花では
難しいとされる
白の紫陽花も咲きました


この白の紫陽花は
ここの植え込みでは 
昨年は咲きませんでした

嬉しい誤算でした

長崎はこれから
雨と紫陽花の季節になります

from Itsuki

長崎の歴史:本木昌造 1


本木昌造は
近代活版印刷の父とされています

金属製の活字は豊臣秀吉に
伝えられたとされます

しかしアルファベットでなく
文字をつなげるように書く
かな書きなどの
日本文字は木版が向いたため


江戸時代は通じて木版による
製本が用いられてきました

秀吉から250年後
再び金属活字が
長崎から脚光が当てられます

本木昌造は本来は昌三と
書くらしく
昌造は誤りとされてました


本木昌造はオランダ通詞(通訳士)
本木家の親戚に当たる
北島家に1824年
誕生します

昌造11歳の1834年に
オランダ通詞家系の
本木家へ養子に出されます

これが昌造の人生の転機に
なりました
本木家に入った
昌造はオランダ語を学び
オランダの書物に接しました


その中で昌造はオランダの
書物の印刷の美しさ
そして印刷技術の高さに
惹かれていきます

また通詞としても
ロシア船入港の際に
通訳として場に立ち会い

ロシア船修繕の際は
その交渉を担当するなど
有能ぶりを発揮していました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑町ねこさん
有能ねこです

たいせつな


寂しいと口にすれば
全ては寂しくなる

喜びと悲しみは光と影
いつも
寄り添っている


幸せと口にすれば
不幸せばかり目に映り

何故かこの世に生まれて
迷いながらも
生きていく
あなたに届くように


その手を離さないで
不安が終わるまで

星や月や花や鳥や海や空よりも
あなたは際立っている
愛しくて大切な人


その手を離さないで
不安が過ぎ行くまでは

悲しみのほとりで出会った
その温かい手を

悲しみのほとりで出会った
その大切な人を

〜さ◯まさし
たい◯つなひと
より 引用〜

from Itsuki


(↑町ねこさん
大切なねこです)
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