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長崎の歴史:本木昌造 1


本木昌造は
近代活版印刷の父とされています

金属製の活字は豊臣秀吉に
伝えられたとされます

しかしアルファベットでなく
文字をつなげるように書く
かな書きなどの
日本文字は木版が向いたため


江戸時代は通じて木版による
製本が用いられてきました

秀吉から250年後
再び金属活字が
長崎から脚光が当てられます

本木昌造は本来は昌三と
書くらしく
昌造は誤りとされてました


本木昌造はオランダ通詞(通訳士)
本木家の親戚に当たる
北島家に1824年
誕生します

昌造11歳の1834年に
オランダ通詞家系の
本木家へ養子に出されます

これが昌造の人生の転機に
なりました
本木家に入った
昌造はオランダ語を学び
オランダの書物に接しました


その中で昌造はオランダの
書物の印刷の美しさ
そして印刷技術の高さに
惹かれていきます

また通詞としても
ロシア船入港の際に
通訳として場に立ち会い

ロシア船修繕の際は
その交渉を担当するなど
有能ぶりを発揮していました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑町ねこさん
有能ねこです
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