地下に潜伏する形で
「隠れキリシタン」として
信仰を継承していく
道を選択した浦上の信者ですが

断続的な摘発などは時折
あったようです

また長崎奉行所では
五人組など
取り締まりを目的として
町人の組織を作り

隠れキリシタンの発見や
密告を促していました


更にキリシタン発見に
長崎奉行所が
利用したのが「踏み絵」です

木製や金属製の板に
イエス・キリストや聖母マリアを
描いたものを
踏ませるというもので

踏み絵は1629年から年に数度
行われ踏み絵を
拒むとキリシタンとされて
処罰されました


踏み絵も始めた当初は
効果はありましたが

次第に信仰は内面だけで
踏み絵は行うが
後から神に許しを乞うなど

踏み絵も形式的なものに
なっていきました

こうして江戸時代の
およそ250年
信徒たちは信仰を守ります


しかし宗教上の指導者を
持たない信徒たちは

長い年月の間に信仰の
中身を次第に
変容させていきました

明治時代になり「浦上崩れ」と
いう大規模な
キリシタン弾圧があり

諸外国から非難を受けた
明治政府は
1873年 禁教令を取り止めます

1616年の禁教令から
257年目でした

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
前進してます