【キスひとつ】
「……………あー……」
ダルい、しんどい、やる気が出ない。
…ただ…何もしたくない。
(ガチャ)
「…ふぁ…ぁ、…帰ってたのか?おはよう、って野分…寝てんのか?なら布団で寝た方が…」
「……寝てません。」
「おい、大丈夫か?しんどいのか?」
「…はい。ちょっと…」
ああやっぱり…俺がソファーにぐったりうつ伏せながら呟いたらヒロさんは顔面蒼白になりながらワタワタし始めた。
「え、えっと。津森か?呼んだ方が良いか?病院行こう?野分、な?」
ガクガク揺さぶる訳でもなく俺が寝るソファーの横にしゃがみ込み、泣きそうな顔をしながら頭を優しく撫でてくれる。
あー…申し訳ない。騙してる訳じゃないが、このダルさはただの疲労だ。
深夜の四時あたりに帰宅し、今日は休みだから寝ようと思って寝たはいいが、ついつい仕事の癖で早朝に目が覚めたから…ヒロさんの朝ご飯を作った。
そしたら完璧に目が覚めてしまい、ヒロさんが起きるまでソファーに居たがやっぱり疲労が抜けきらずだるいだけなのに。
「…いえ…大丈夫ですよ。…朝ご飯出来てますからどうぞ。」
ゴロンと凝り固まったままの体に少し力を込め寝返りを打つ。
クッションに首を預け仰向けになれば目の前に心配そうに潤むヒロさんのきれいな瞳があった。
「あ、朝ご飯は有り難いけど……お前は無理し過ぎなんだよ、バカ…ほら、病院で診察して貰おう?な?」
優しく優しく撫でるヒロさんの暖かい手にほんわかするのは良いが、ヒロさん…俺が大きな病気だと勘違いしてるかも…。
「大丈夫ですって。本当に…寝不足で…でも気が張ったままなのか寝付けなくて…ちょっとだるいだけです。」
「本当に?…でもしんどいのはしんどいんだろ…」
ユラユラ…ゆらゆら…綺麗な瞳が俺を見つめてくれるだけで…
俺は単純だ。こんなにもドロドロした気分が晴れてゆくのだから。
「ヒロさん。…大好き…」
「………」
その瞳に自分を映して貰えてるだけで幸せ。
そっと握ったヒロさんのシャツ。
優しく撫でてくれる暖かで綺麗な指。
じわじわと染み渡ってゆく幸せに、俺がゆっくり目を瞑ればヒロさんに小さな声で“今日は休みだよな?”と問われ目を合わせる。
「はい。呼び出しもないですね…相当でない限り、人も居ますし。」
「…そうか。わかった、ちょっと待ってろ。」
「えっ?」
俺の答えにウンと一つ頷いたヒロさんがゆっくりと立ち上がり電話へ向かう。
その背中に俺は上半身を起こし眺めるしかないのだが、どこかに電話を掛け始めたヒロさん。その彼の口から出た言葉にギョッとした。
「…あ、おはようございます教授。…あの、えぇ…はい…はい……その、今日ちょっと同居人の具合がよくないようなので…世話をしたいので…はい…はい…」
「ひっ、ヒロさん!?」
もしかして、が的中したか。
やはり宮城教授に電話をしだしたヒロさんの口からは“休みます”の言葉にだるさも吹き飛び慌てて電話をする彼に走り出した。
すると片手で俺の口を塞ぎ“しー”と口を窄められ戸惑う。
「はい、今日は先週やったテキストの復習予定でしたので、プリントはもう刷ってデスクにあるんで……はい。お願い出来ますか?本当にすみません…はい、えぇ……じゃあ、お願いします。すみません…えぇ…はい、では失礼します。」
(…かちゃ…)
電話…終わってしまった…。
「あ、あの俺そんなに具合悪い訳じゃっ」
「…うるさいな。…こい。」
「えっ、ちょ…ヒロさん?」
俺の口から離れたヒロさんの手。その手に腕を掴まれ有無を言わさず引っ張られ寝室に運ばれる。
「あの…あのヒロさん…」
「…ほら、こっちこい。…はーやーくー…」
「は、はいっ」
「よしよし…」
自室についた途端そのままベットに強制連行され…ぐいぐい押されて寝かされてしまった。
自分がダラダラしてたせいでヒロさんに心配を掛け、仕事を休ませてしまった…
「…ヒロさん…ごめんなさいっ」
「…うるせぇな……自分が疲れてんのくらい判るだろ?それに、お前にはいつも世話かけてるんだし…たまには、な。」
布団に潜り込み、かけられた掛け布団の上からリズムよくポンポンと叩かれた。
そして優しいヒロさんの少し低めな声音で諭されて――
ほわほわする気持ちのまま彼を見つめていれば少し考えたヒロさんが徐に布団の中に入ってきて…
「しょうがねえな…一緒、寝てやるから休め。朝飯…また起きたら食うし」
「ヒロさ…………キスして…欲しいです…」
「…ったく!……んッ………おやすみ!」
ヒロさんは優しくて強くて格好良くて…可愛い。
俺のちょっとした甘えにも、真っ赤になりながら応えて…
疲れも何も、忘れるように……ギュッと抱き合って眠った。
そんな日常――
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End.