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長崎の歴史:浦上二番崩れから


浦上二番崩れは
1842年に発生しました

その発端は浦上村の村民が
キリシタンであると
密告が長崎奉行所にあり

浦上 隠れキリシタンの
組織の指導者である
帳方の利五郎ら主な幹部たちが
摘発されました

しかしこの時は誰一人
自分がキリシタンとは認めず
長崎奉行所の役人の
増田土之助も事を
大きくしないように進言したため


捕らえられた者たちは
注意を受けただけで
釈放されました

浦上三番崩れは
1856年に再び密告があります

今回は密告者の中に
キリスト教を棄教した転び者が
いたことから

1856年9月18日に
帳方の吉蔵ら
キリシタン15人が捕縛されました


今回は証拠不十分だった
一番崩れや
慎重論で終わった
二番崩れとは違い密告者に

転び者がいたことから
取り調べは
大規模かつ徹底的に行われ

帳方の吉蔵以下役人たちは
ほとんど拷問などで
命を落としました


これにより浦上村の
隠れキリシタンの組織は
壊滅状態になります

しかし長崎奉行所は
この事件を
浦上村の村人が代々受け継いだ

キリスト教によって起こった
事件とは知らない
異教の出来事として
処理しました

この曖昧な処理が
1867年の「浦上四番崩れ」に
つながっていきます

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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