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長崎の歴史:浦上四番崩れ 1


「浦上四番崩れ」は
4回あった浦上崩れの中でも
最大規模のものです

その経緯ですが1864年に
「日仏修好通商条約」に基づき

長崎 大浦に居住する
フランス人のために大浦の丘に
大浦天主堂が
建設されました

1865年4月12日に浦上村の数名が
大浦天主堂を訪れ
キリスト教の信仰を告白します


これが「信徒発見」になり
このニュースは
世界に発信されました

信仰を告白した信徒たちは
神父の説得に勇気を得て
公然とキリシタンを
明らかにするようになり

浦上村の菩提寺である
聖徳寺の檀家を離れ
幕府の寺請制度を拒否する
態度に出ました

これは庄屋から
長崎奉行所に届けられ
信徒代表として呼び出された
高木仙右衛門らは
自らキリシタンだとはっきり
表明しましたが


逆に奉行所は戸惑い
一旦信徒たちを
浦上村に帰します

その後長崎奉行所は
浦上村に密偵を送り込み

浦上村の信徒組織を調べ
1867年7月14日未明
長崎奉行所は浦上村を急襲します

奉行所の捕方170名は
浦上村のキリシタンたちの
中心人物など68名を逮捕します


逮捕収監された
68名の信徒たちは
厳しい拷問に
遭い改修を迫られました

しかしこの出来事を聞いた
フランス領事
ポルトガル領事
さらにアメリカ領事などから
厳しい抗議を受けます

これに苦慮した幕府は
信徒たちを釈放しました

こうして未解決のまま
この事件は
明治政府に引き継がれます

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃんと
スウィートくん
仲良しです
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