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長崎の歴史:隠れキリシタン 5


キリシタン弾圧のきっかけの
ひとつとなる
「サン・フェリペ号事件」が
1596年10月19日に起こります

事件の概要は現在の高知県の
土佐沖に
スペインの帆船が漂着します

船は航行中に台風に遭い
大破した状態でした

豊臣五奉行の一人
増田長盛は
船の荷物から
お金まで全て没収します


無一文の状態で幽閉された
船員たちは
豊臣秀吉に会うために
都に上がろうとしますが
許可はおりません

増田長盛は秀吉に
「彼らは海賊であり
日本を占領するための
調査にやって来てる

その第一歩として
宣教師を送り込んでいる」と
秀吉に吹き込みます

結局 サン・フェリペ号は
修繕が許されて
1597年9月に日本を出航します


この「サン・フェリペ号事件」と
この時期に
すでに宣教師が秀吉の拠点である

大阪 京都に進出していたことが
秀吉の勘に触りました
これがさらに
弾圧のきっかけになります

そして秀吉は再度禁教令を
公布して
京都に在住している
キリスト教宣教師と信徒の
捕縛を命じます

そしてポルトガルに寄進
されたことから
最もキリスト教信徒が多い
長崎での処刑を命じます


この「二十六聖人殉教」が
信仰を理由に
国の最高指導者の命令により
日本で初めて
処刑が行われた出来事になります

二十六人の信徒たちは
まるで見世物かのように
京都から大阪に行き
歩いて長崎へ向かいます

そして1597年 2月5日
長崎は西坂の丘で
十字架に張り付けられて

4000人を超える群衆が
見守る中で
処刑されました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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