スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

長崎の歴史:唐人屋敷 1


オランダ商人たちが出島に
幽閉されるように
出入りなどを制限されたのと
同様に

中国との貿易についても
長崎唐人屋敷に
中国商人たちも一括に
住まわされました

当初キリスト教徒ではない
中国商人たちは
長崎の町に雑居してましたが

密貿易などが頻繁に
されるようになり
長崎奉行所の判断により
中国商人の居住も制限されました


それは長崎の郊外の
十善寺郷に
江戸幕府が所有していた
薬草園に

1688年から建築を始め
翌1689年に完成し
広さは約9400坪
約2000人が収容出来ました

周囲は塀と掘で囲まれて
唐人屋敷の大門には
番所が設けられてました


ただし出島のオランダ商人に
比べて
唐人屋敷の中国商人は
比較的出入りは自由だったと
いわれています

また出島が長崎の商人たちの
出費で賄われたのに
対して
唐人屋敷は幕府からの借金で
建てられました


1698年に長崎の
五島町や大黒町に点在していた
倉庫が火事で焼失したため

唐人屋敷の前の海を埋め立てて
倉庫地域を建設しました

これが現在の新地になり
後の新地中華街になりました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
草むらに隠れています
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2017年05月 >>
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
カテゴリー