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長崎の歴史:じゃがたらお春 2


1639年に
パタヴィアに追放された
お春が日本を恋い慕い
日本へ送った手紙が

今回のテーマの
その「じゃがたら文」になります

このじゃがたら文は
常に真偽が論争されており

現在では後の人が書いた
創作ではといわれていますが


その問題を改めて考える場合
やはりじゃがたら文は
実際にあったから
考察してみたいと思います

この場合乗り越えなければ
ならない問題があります

日本から追放されたのだから
お春が日本と
連絡を取り合うことすら
禁じられていました

じゃがたら文は創作とする
人たちの
起点もここにあります


そもそも外国との手紙の
やりとりは禁じられてたので
外国から入ってくる
文書なども厳しく調べられたはず

また読み書きが出来た
賢明な人物とはいえ

14歳の少女に
あの達筆の文字と流麗な
文章は書けないだろうでした

更にお春はパタヴィアの
裕福な家に
引き取られたために


日本を恋い慕うような
手紙は書かなかっただろうです

この各ボイントは
検証の
価値があると思います

確かにお春は遺産相続に関して
遺書に書き残すなど
それなりに裕福だったようです

しかし14歳の少女が
時の政治の都合で
強制的に外国に追放されて
母国を懐かしく慕わないでしょうか

次回引き続き
考えていきたいと思います

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
考えています
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