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長崎の歴史:けんか坂騒動 4


久しぶりの
「長崎けんか坂騒動」です

高木家の屋敷に向かったのは
けんか坂の当事者
深堀三右衛門と
柴原武右衛門の二名外
深堀藩士10名を含む
総勢12名です

現在の長崎銅座町にある
高木家の門前に着くと
まずは話し合いを持ちかけます

「先ほどの件で話しをしたいので
その者を出して欲しい」と
門の前で話します

しかし高木家からは拒否されます


すると深堀藩士たちは
門を破ると
門番を切り倒します

門は内側からかんぬきをかけて
外から入れないようにし
また裏門にも見張りをつけます

女性と子どもは
一つの部屋に集めて
手を出さないようにしました

高木家の人間も
応戦しますが
ここは武士と町人です
全く歯が立ちません


やがて高木家の番頭たちに
主人の高木彦右衛門も
討ちとられます

武士の本懐を遂げた
騒動の当事者
深堀三右衛門は
高木家の玄関で切腹します

もう一人の柴原武右衛門は
中島川にかかる橋で
(長崎くろがね橋)
切腹します

事の経緯は長崎奉行所から
幕府に報告がされます
またけんか坂周辺や
高木家周辺での
聞き取り調査が行われました


事件の後始末ですが

事件の発端となった
長崎会所の高木彦右衛門の家は
家財没収の上
長崎五里四方へ追放の上
江戸、大阪、京への居住禁止

また長崎深堀藩は
取り潰しの上
討ち入りに関わった藩士は
島流しとなり

10名の藩士は
やがて切腹となりました

つまりこれこそ
けんか両成敗の判決でした

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑通りすがりの町ねこ
ゆっくりしています
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