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長崎の歴史:岩崎弥太郎 5


1881年 岩崎弥太郎は
汽船の燃料を
安定確保するために
長崎 高島炭鉱を買収します

この高島炭鉱は
この後
三菱を支える
大きな収入源になりました

そんな中三菱商会にも
逆風が吹き始めます

そんな三菱商会にも
やがて逆風が吹き始めます


弥太郎の最大の理解者だった
大隈重信が政変で失脚し
大久保利信も
命を落としていたことから

三井財閥の渋沢栄一が
支援者の井上馨に働きかけて

有事の際には政府の御用船に
なることを条件に

政府の支援を取り付けて
三井財閥系が1882年に
共同運輸会社を設立します


大隈重信と対立関係だった
井上馨らは
海運業を独占していた

三菱商会批判を
徐々に強めていきます

三井財閥系の共同運輸会社は
イギリスから
最新鋭船を購入して
三菱商会に対抗します

この年から2年間
三菱と三井の
激しい闘いが始まりました


それは運送費を
競争開始前の
1/10まで引き下げられて

共同運輸会社が
速度を武器にすれば

三菱商会は燃費を度外視して
速度を上げるなど

最後は同時間に出発し
到着を競うようにまでになり

接触事故を起こすことなど
安全面にまで問題が生じました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
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