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豊臣秀吉とナポレオン・ボナパルト

以前、楽天ブログでチェーザレ・ボルジアと織田信長の比較をしたことがありました。

強烈な個性といままでその地・その時代に現れたことの無いバランス感覚。
実妹の政治的に利用と、共通点も多い2人でした


織田信長の後の豊臣秀吉、チェーザレ・ボルジアの後のナポレオン・ボナパルトも微妙に似ていますよね
   
   
成り上がりなところと子供が中々できなかったところが。
軍事的な才能は素晴らしかったかもしれませんが、どうみても、2人の子供は彼らの子供とは思えないのです。
豊臣秀吉は言わずもがな、ナポレオンはジョゼフィーヌとの間に女の子すらできなかったではありませんか。
ジョゼフィーヌには、前夫のド・ボーアルネ子爵との間に男の子と女の子がいたのに。

ジョセフィーヌの後にオーストリア、ハプスブルク家から嫁いで来たマリー・ルイーズは、ナポレオンの失脚とともにオーストリアに帰ってしまいました

名門ハプスブルク家のお姫様にとって、やはりフランスの一地方であるコルシカ島出身のナポレオンとは、合わなかったと思われます
そんな、田舎者のナポレオンと子供を作るかな〜?

ナポレオンの子供と言われているナポレオン2世は、21歳で亡くなってしまうそうですが、最期まで父に憧れていたということです
   


母子間で会うことも稀だったということから、ナポレオンを慕うナポレオン2世を彼女は疎ましく思っていたのだろうと思います



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