11月14日の朝。
起きたら、背中が重くて娘でも乗っているのか?と思うくらいの重圧感で目がさめた。
でも娘は隣にいて、叫んでも叫んでも声が出なくて泣くしかなくて、娘にパパを呼んでもらって
起き上れた。
痛みが鈍いので、もしかしたら胃か心臓だったらいやだなと思い、お休みをもらいそのままじぶんとこに受診をしにいった。
その日は自分が定期受診をしている先生がいたので、お願いすることにした。
待合室で、もう今なにが起きているのかもわからず、とにかく背中が痛いしかなかった。
診察に呼ばれ、先生にみてもらって内部的ではないけど、大丈夫?話してごらんよ。
と言われ、ついてでた言葉が

『もう消えたい。もうここから消えてなくなりたい。夜になるともうどうしたら楽になれるのか、
どうしたら死んでしまえるのかしか考えてない。消えたい、消えたいんです。』

先生に泣きながら訴えた。
でもその時に泣いている自分と初めて私を外から見ているもうひとりの自分を見た。
なんで泣いてるの?どうしたの?と思いながら見ているもうひとりの私。
ここまではっきりとした解離は初めてだった。
そのことは誰かにいっている?と聞かれ、パパには話していると。
自分の職場や自分に関して一番近くでみてくれていた先生なので、

『頑張ったでしょ。もう苦しまないでいいんだよ。』

そういって上司を呼んで私が『うつ病』であることを診断したと話した。重度であり、休職が望ましいと。
当時大きな仕事を抱えていたので、休みたくないという気持ちも強く、そうはいったものの、
薬を飲みながらでもやるといったけど

『何を言ってもダメ。君の命を救いたいんです。死んではだめ。生きるための力の充電をするだけ。
だから僕はいつもの君でいてほしいんです。』

その言葉に救われた。早い判断が職場は受け入れなければいけないという気持ちにさせてくれた。
命の恩人である。
その日から週1回の受診をすることと、絶対に死なないと約束してその日は帰宅した。
そしてその日の夜、義理母が突然の脳梗塞となる。
そこから自分がうつ病だとか考える暇もなく毎日が過ぎて行った。

義理母は対応だ早かったので、まったく奇跡的に近い状態で回復。
後遺症も少しは残りましたが、対処の早さを入院先の先生から褒めてもらえた。
毎日、入院先に通っていてやっぱり自分はこの仕事が好きなんだなぁって思うようになって、
義理母のこともあり、自分の担当の先生から電話をもらい、今のとこ大丈夫だよと話した。
受診日にそのことを改めてはなしたら、私のスキルはここでとどめておいても宝の持ち腐れになるだけで、開花してもそれをいとも簡単にへし折られそれでおしまいになる。
だったら、もう一層のこと退職を考えてもいいのかもしれないよ。
そういわれた。

NEXTにつづく。