時々すごく腹が立つ。だけどそれって期待してたり相手のためになるから怒らないつめたさ。
だれもこころから愛したりしないから生きていけるんだよ。僕らは。
兄様に怒ってるわけではないから誤解なく。

時々、鵺は僕をわすれる。子どものときのような寄り添いがなくなってしまう気がして怖い。
生きてみてわかったことは僕と鵺は信じ合えるけれど、肉が別の時点で他人とは相容れない。よいおこないもわるいおこないも等しく神の前では愛されてしまうから、僕らは常にそこから反骨?反発心で息をする。絶対に誰かを許してはいけない。それは甘え、愚かさであるもの。 
わたしはわたしを許すし、僕は僕を許すのだから。
他人の肯定はすべてになんかなりっこない。
ぼくはぼくだ。
鵺はぼくのもの。
だれにもあげたくない。
だれにもころされたくない。 

えさをつばむ小鳥のように見つめられるとくるしくなる。
そこに優しさをみいだすのも全部だよ?