「ふ、ぇ……っ…」
どれくらいこうして泣いていただろうか。
泣きはらして真っ赤に充血した目を擦りながら、空を見上げる。
ここへ来たときには暑い夏の青空が広がっていたはずなのに、気づけばすっかり茜色の雲に変わってしまった。
家族で遠く山沿いの避暑地へ旅行に来た最終日。
宿へ行く途中で見えたひまわり畑がどうしても気になって、お昼寝から起きると内緒で見に行くことにした。
来年から小学校入学する予定で、お母さんもすっかりお姉さんになってきたねって言ってたから1人でも大丈夫。両親や兄に秘密にして外出するのは初めてでドキドキした。
宿から30分ほど歩いて見えてきたひまわり畑。はしゃいでひまわりを見ていると、係のおじいさんから1輪小さなひまわりをもらった。
「ほら、小さいお嬢さん。1つどうぞ」
「うわー!ありがとう」
「風で1つ折れてしまってね。背丈も他より随分と小さいから、お嬢さんでも持てるだろう。ほら、それを持って暗くなる前には帰るんだよ。もう1時間もするとここもおしまいにするから」
「はーい!」
両手で受け取り、落ちないようにギュッと握る。
ふふ、と笑いながら見上げれば黄色い花と目が合う。ひまわりも笑って見えるのは気のせいだろうか。
ひまわりはお兄ちゃんの大好きな花だった。
お兄ちゃんに渡したら、きっと喜んでくれる。
早く家族に見せよう、そう思って回れ右をしたときだった。カラフルな大きいゲートが見える。どうやらひまわりの迷路になっているらしい。家族連れや恋人同士がゴールから出て行くのが見えた。
ワクワクとした気持ちで、思わず足を踏み入れた。
それが間違いだった。
「う…っお、おにい……ちゃ」
大好きな兄の名前を呼びながらとぼとぼと、自分の背丈の倍ほどはありそうなひまわりに見下されながら、土の道を歩く。
どこまで行っても、見える景色は変わらない。
真っ直ぐに進むと、行き止まり。戻って左に曲がってもひまわりの道が続くだけ。右に曲がってもひまわりだけ……。
大きな緑の葉っぱと太い茎。足元は平らに整地された地面。見上げれば黄色い大きなひまわりが、こちらをじっと見ているかのようだった。
「……っ、」
思わずごくりと唾を飲む。
太陽の方を向いて真っ直ぐに立つ姿は、綺麗でカッコよかったはずなのに、今はなんだか落ち着かない。
迷路に入った時はワクワクが止まらなかったはずなのに、今はどんよりとした気持ちで歩く。
このまま誰にも見つからず、ずっと一人ぼっちだったらどうしよう。
知らない場所なのに、みんな私のことを忘れて置いて行っちゃったら……。
「……っ…や、…だっ」
次々とこぼれ落ちる涙がピンクのワンピースを濡らす。焦って何度も転び、土が付いてスカートの裾を飾ってくれている白のレースはすっかり茶色に変色している。
お気に入りだった。
旅行に行くからと、お母さんにおねだりして新しく買ってもらったのに。
「…………あっ!」
おじいさんからもらった、小さなひまわり。
不安からか、知らず知らずに力強く握っていたために、萎れてしまっていることに気づく。
悲しくて、寂しくて……よけいに涙が溢れてきた。
「うわぁ…ん……っ」
嗚咽を上げながら、その場に立ち尽くす。
足も疲れて、お腹も空いた。
もう一歩も動けない……そう、思ったときだった。
「…………どうしたの」
「……っ!」
真っ直ぐ迷路を進んだ先に声の主はいた。
逆光で顔がよく見えない。背丈は…私よりは大きく、お兄ちゃんよりは小さい。
久しぶりに聞いた人の声にびっくりして、涙が止まる。
「…………」
ゆっくりと近づいて来たその人は、そばまで来ると同じように立ち止まった。
「…………ぁ…」
目をぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、眼の前に来た人をまじまじと見る。
真っ直ぐで少しツンツンした短い黒髪。真っ白なTシャツに青いズボン。汚れた黒いランドセルを背負っている、綺麗な顔立ちの男の子だった。ランドセルの色が黒でなければ女の子と間違えたかもしれない。
夕日が背に当たり、キラキラと眩しくてまるで人じゃないような……アニメで見た神様や妖精のようにも感じる。
何故か右手でハンカチを頬に当てていたことだけは、違和感を感じた。
「………どうしたの、」
じろじろと見ていたにも関わらず嫌な顔1つせず、もう一度、最初と同じ言葉を繰り返す。
澄んだ落ち着いた声色だった。
「……っ、出口わからなく、なって」
再び込み上げてくる涙。なんとなく人前で泣くのは恥ずかしくて堪らえるも、視界はすぐ目に溜まった涙でボヤケてくる。
「…………っはやく帰らないと、なのに…っ…」
「……」
「……ど、うしよ……うっ…」
うつむくと、瞳から我慢した涙がこぼれ落ちた。
ポタ、ポタと地面に小さなシミを作る。
「………ひまわりも、元気なくなっちゃった……」
まるで自分みたいだと、萎れたひまわりを優しく抱きしめる。
ごめんね、と呟いた。
その時だった。
ぼん、と頭に温もりが乗る。
驚いて顔を上げれば、男の子が頭に手を乗せていた。じわりと柔らかな温もりが染みていくようだった。
「……だいじょーぶ、俺が出口まで連れて行ってあげる」
「っほんと!?」
「嘘言ったってしょうがないだろ、ほら」
温もりが離れていく。
男の子はくるりと後ろを向くと、足を前に進めた。
「ま、待って!」
置いていかれないように、慌てて男の子の左手を掴んだ。
「…………」
「……?」
「…………いや、まあ……いいや」
一瞬こちらを振り返り、何か言い出しそうにする男の子。言葉をかけるよりも先に再び前を向いた。
迷いなく進むその後ろ姿に、先程まで感じていた恐怖はすっかり消えていた。
ふと、何も言わない男の子の横顔を見る。
やっぱり綺麗な顔立ちだ。お兄ちゃんも学校ではイケメンだと言われているらしいが、正直お兄ちゃんよりもこの男の子の方がカッコいいと思う。
「……あ、」
「……」
「め!」
「目?」
キラリと夕陽に反射して光った瞳。
初めてみた金色だった。立ち止まり、じっと見つめる。
「目の中に、ひまわり見つけた!」
「ひまわり?」
「すっごく、きれい」
中心の濃い部分からぐるりと回るように、黄色い花びらが見える。しかも光が当たる瞬間だけ見える大輪の花。
「きれい……」
見惚れて言えば、少し照れたようにそっぽを向いた男の子。その姿にふふ、っと笑みが溢れた。
「着いたよ」
「やった!出口だっ!」
1人ではあれだけ探してもたどり着かなかったゴールが、あっという間に見つかった。
久しぶりにひまわり以外の景色を見て、思わず大きく伸びをする。視界の端に黄色いものが見えてハッとした。
「ひまわり!!」
くたっと元気のないひまわりを見て、再び落ち込む。迷路なんかに入らず、真っ直ぐ宿へ帰っていれば元気なままだったのだろうか。
「お兄ちゃんにあげようと思ったのに……っ」
こんなに萎れてしまえば、プレゼントにはならない。
何よりひまわりさんに申し訳ない。
「……ちょっと貸して」
「……え……?」
落ち込んでいると、ひょいっとひまわりが男の子に取り上げられる。
男の子は、右頬に当てていた水色のハンカチをおもむろにひまわりの茎に当ててクルリと巻いた。
「ハンカチ、濡れてるからこうしておけばさっきよりはマシだと思う。あとは家に帰ってからきちんと水につければ元気になるよ」
「ありが…………っ、ま、待って!」
「…………」
「け、怪我してるの!?」
ハンカチを外した男の子の頬は、痛々しい程に赤く腫れていた。ハンカチが濡れてるということは、傷を冷やしていたんだろう。
「…………大丈夫。俺、痛みとか感じにくいから」
そっと頬に触れて、事もなげに答える男の子。
表情1つ変えず、まるでそこに傷がないようだ。
「っ………」
「…………どうして、君が泣くの」
「だっ、て……」
どうしてかは自分でも分からない。
男の子の痛みが飛んで、自分の心に刺さったようだった。
絶対痛いはず。
なのに何もないようにしている姿は、逆にとても痛々しく感じる。
「……っあ……そうだ!」
ふと思い出し、肩から下げていた小さなポシェットを開ける。
中から取り出したのは、絆創膏。
急いで外側の袋を破るようにして開けると、背伸びをして男の子の腫れた頬の真ん中に貼った。
絆創膏に書かれたピンクの髪をした女の子が、ニコリと笑っている。
「…………」
「いたいの、いたいの……飛んでいけー!」
こちらを見ていた男の子は、ポカンとしている。
そっと頬に触れて、再びこちらを見た。
「なに、これ」
「早く良くなる魔法の呪文だよ。しかもね、魔法少女リリーちゃんの絆創膏だから特別なの」
ふふ、と笑いながら答えると、何故か男の子は黙ってしまった。やっぱり、男の子は恐竜とか車の方がいいのかな。
「あとね、これあげる!」
「…………」
先ほどポシェットを開けたときに入っていた事を思い出して、出したものを男の子の手の上に乗せる。
コロン、
「レモン味だよ」
黄色い包み紙に包まれた小さな飴玉。
「…………ありがと、」
「へへ、うん。こちらこそ、たくさんありが――」
「ナツー!!!」
「っ、お兄ちゃん……っ!!」
お礼を男の子に伝えてようとした時だった。駐車場の方からこちらに向かって走ってくる人影。
聞き慣れた声に、こちらも駆け出す。
走って、
走って、
「こら、ナツ!!し、心配したんだ、ぞっ!!」
「っ……ご、ごめんなさい…」
沢山額に汗をかいた兄の胸に飛び込んだ。怒りながらも、声はどこか震えているのは気のせいではないだろう。
ああ、安心する。間違いなく、大好きな兄だ。
「…お前、何処で何して……」
「あっ!」
慌てて、後ろを振り向く。
ひまわり迷路のゴールにはもう誰もいなかった。
「…え……」
「ナツ?」
「…あのね、私のこと助けてけれた子がいたの」
「そうなのか。名前は?どこに住んでる子か聞いたか?」
「……ううん、」
「そっか」
兄に手を引かれて宿への帰り道を進みながら、もう一度後ろを振り返った。やはりどこにもあの男の子の姿はない。
(また、会いたいな)
もし次会えた時は、お礼の言葉を沢山伝えよう。
見返りのない優しさをくれたあのひとに、私もできる限りのことをしたい。沢山頑張ったら、今度は笑ってくれるだろうか。
「…………また、ね」
届かないと思いながら、風に乗せて言葉を伝えた。
「ナツ?」
「…………え、あ…何、お兄ちゃん」
「いや、ボーっとしてるから……もしかして、まだ傷が痛むか?」
「ううん。無理しなければ、痛くないよ」
不安そうな顔をする兄に首を振って笑ってみせる。
それでも、心配そうな表情は消えない。
「こんな直近で2回も入院するなんて……最近の治安、悪すぎるな」
「……そう、だね」
「今回は恭弥が近くにいたから良かったけど……暫く1人で外出するなよ」
「……うん」
返事をして、そっと空を見上げた。
夏はまだ、遠い。
(何か……大切なこと、忘れてる気がするんだけどな)
あの日水族館で……刺された痛みと出血で意識が朦朧とする中、なにか夢を見ていた気がする。
病院で起きたときには思い出せなかった。
モヤモヤする気持ちを抱えながら、そっと息を吐いた。
***
先日アップされたダークサイドを拝見して、あまりにも切なくて涙なしには読めませんでした。海人くんの苦しみを分かって、山本……。
……本当にどうでもいい女の子だったら白蘭に話た通りに壊しちゃうんだろうし、強盗に襲われたって助けないかもしれない。なによりあの場面で刀を止める程の何かが海人くんの中で無意識にでもあったりしたのかな、それとも海人くんだからかな…なんて考えてたら勝手にポチポチしちゃってました。どっちも覚えていないでもいいし、どっちかだけ覚えていても尊い…。最近よくスーパーなんかでひまわりを目にするので『ひまわりの約束』を聴きながら書いてました。完全に私の中での妄想話です。毎回勝手に書いてすみません。
乱文失礼しました。