結希※BL表現あり

「…………お、」



携帯片手にソファでくつろぎながらネットサーフィンをしていると、ブブっと軽い振動と共に着信を告げる通知が画面上に出た。表示された名前に思わずガバっと身体を起こす。

雲雀恭弥

「珍しいな」

いつもは自分からメールすることが殆どで、返信以外で恭弥からメールが来ることは殆どない。かつて並盛中を統べていた風紀の王は、今は日本を拠点に各国を行き来する生活をしている。海人くん程ではないが、並盛で過ごす時間は以前より少ないらしい。なんの仕事をしているのかは謎だが、偶に会うと満足そうな顔をしているので充実した日々を過ごしているのだろう。

恭弥とは小学生からの出会いだが、大人になった今も細々と交流は続いていた。偶にメールしたり、電話したり。直接会うのは年に数回の時もあれば、家に泊まりに行くこともある。俺は友人だと思っているが、彼奴はどうだろうな。そもそも友人という定義が恭弥の中にあるかどうか怪しい所だ。はっきりと言葉にするのは難しい関係だが、それでも途切れることなくここまで続いていることが答えの1つではないだろうか。

通知画面をタッチすれば、短い文面のメールが来ている。【明日、11時並盛駅前】なんて、飾り気も無ければ詳しい説明もない。恭弥からだと分かっていなければ、新手の詐欺か果たし状かと思うほどだ。相変わらず淡白なメッセージだと思わずクスリと笑った。

「……了解、っと」

直ぐに返信のボタンを押して、メール画面を操作する。今はメールよりも簡単な通話アプリが主流になり、メール自体あまりすることはなくなった。仕事の連絡もアプリのグループを作って管理されている。なのでメールの受信ボックスは通販やカード支払いの案内が殆どで、こうしてメールで連絡を取るのは恭弥くらいだ。


なぁ、恭弥はこのアプリいれてないのか?既読とか分かって便利だけど

必要ない

お前なぁ……

第一、読んだかどうか一々僕が気にすると思う?

…………いや、全く

でしょ


(……彼奴らしいよな)

何処までも自分らしさ≠ェ恭弥にはあって、自身の軸がブレることはない。群れるのが嫌いだといいつつ、実は手の内に入れた者は大切にしている。一見クールなのに誰よりも胸に秘めた思いが熱いことに気づいたあの日から、俺の心はジリジリと焦がされていた。男相手にこんな気持ち……と思っていたときもあったが、出会いから何十年たっても想いは変わらず、今は受け入れている。

(とはいえ、恭弥に伝えることはきっとないだろうな)

最近は、そう言うことへの差別も減ってきているとはいえ、一般的にはまだまだ少数派だ。それに恭弥を困らせたい訳じゃない。拒否されたり、軽蔑されるかもと想像するだけで怖い。そんなことになるくらいなら、今のままでいい。それで……いい。

「…………」

ブブッ

「!」

不意にまた着信を告げる振動。携帯画面に視線を下ろせば、恭弥からのメールだった。タップして開けば、端的な一文が目に映る。

【遅刻したら噛み殺す】

「……ッハハ」

思わず吹出した。
相変わらずな物言いと文章だ。仏頂面でメールを返信する姿が目に浮かび思わず頬が緩む。

「お兄ちゃん、次お風呂どうぞ」

「お、ありがとう」

「…………」

「ん?」

不意に後ろからかかった声に振り返る。お風呂上がりでほんのり火照った顔をして、湿った黒髪をタオルで拭きながら妹がじっとこちらを見つめていた。視線に気づいて首を傾げれば、ふっと柔らかな笑みを浮かべる。

「なにか良いことあった?」

「そりゃあナツが帰って来てるんだから、嬉しいに決まってるさ」

「もう、お兄ちゃんってば……」

呆れ顔に変わる夏希。ハハッと軽く笑うと頭を撫でようとして……その手を引っ込めた。いけない、いけない。結婚して海人くんの奥さんになった妹。いつまでも幼い子どもじゃない。手を引いて歩くのも、涙を拭うのも……もう俺の役割りではないのだから。

(あんなに小さかったナツがなー)

大学入学と同時に一人暮らしを始めて実家を出たときは寂しかったが、ずっと見守ってきた2人が結婚式で幸せそうに寄り添う姿を見て心底嬉しかったし安堵したのも事実だ。それでも寂しさを感じてしまうのは、どうしようもないけれど。

「さーて、お風呂に入ってきますかね」

「いってらっしゃーい」

妹の笑顔に見送られ、携帯片手にソファから立ち上がった。



早めに就寝したはずなのに、何度も夜中に目が覚めた。時計を見てはなかなか進まない時刻に、まだか、まだか……と焦らされる。いつもは朝までぐっすり眠れるのに、ベッドでゴロゴロと寝返りを打つが直ぐには眠れない。原因は……分かりきっていたけれど、まるで思春期の男子のようでため息をついた。

結局予定の時刻より早く起床することにした。まだ朝日の登りきらない薄暗い部屋で大きく伸びをすると、いつものジャージに着替えてそっと家から抜け出した。

「っ……は、……はぁ……」

朝の空気は格別だ。澄んでいて気持ちがいい。

小学生のころから野球一筋だった俺は日々のロードワークとしてよくジョギングをしていた。始めは心配してついて来ていた両親も、次第に距離が伸びると諦めて家で待つようになった。もう学生の頃のように早くは走れないが、毎年開催している並盛市民マラソン大会に出れる程には、練習を続けている。趣味として続けている野球にもその練習は活かされていると思う。

近所の河川敷を一周し、帰路に着く。一汗かいてシャワーを浴びればモヤモヤとした気持ちが晴れて寝不足気味の頭がはっきりとしてきた。さて、着替えようとしてハッとした。そして、うーんと悩む。

「…………」

自室の部屋にある全身鏡に映る身体。黒のストレートズボンは履いたが、程よい筋肉がついた上半身はまだ肌色のままだ。日々の筋トレのお陰か、アラサーにも関わらず筋肉が衰えることはない。ボディビルダーを目指している訳では無いが、これも野球に必要な筋肉を維持するためだ。

ベッドの前で腕を組み、目の前に置かれた2種類の服を眺める。左にあるのはズボンと合わせた黒いジャケット。スーツほど硬すぎないが、レストランにも入れるようなお洒落な組み合わせだ。右は白のパーカー。カジュアルを売りにしているお店の服で、このまま運動できるほど着心地はいい。どちらにしようか……左右に何度も視線が行き来した。

「……お兄ちゃん?」

「ナツ」

「朝ご飯出来たよ」

「ん、あ……もうそんな時間か」

開けっ放しのドアの向こうから夏希が声をかける。視線を時計に向ければ、7時になろうとしていた。

「今行くよ」

「うん……洋服、選んでたの?」

「え、あー……そうだ!ナツならどっちがいい?」

「え?」

部屋のドアからベッドの前まで手を引き、タイプの違う2つの服を指差す。妹は左右を見比べ首を傾げた。

「うーん……何処に行くの?それにもよる気がするけど」

「いや、それが分かんなくてさ。やっぱ、無難にこっちかな。いや、でもお洒落なとこ行くとしたらパーカーは不味いだろうしなぁ。まあ、どっちにしたって彼奴は気にしないんだろうし、気づかないんだろうけど。俺は気にするんだよ……あーもう……」

「ふふ」

「ナツ?」

「お兄ちゃん、楽しそう」

ふんわりと笑う夏希。1つに後ろで纏められた髪がつられてサラリと揺れた。真っ白な項が目に入り、続いて朝ご飯を作った後なのか黄色のエプロンが目に映る。可愛い、可愛いと思っていた妹はいつの間にか綺麗な女性になったのだと今更ながらに実感した。

「そーか?」

「うん。今日は天気もいいし、楽しんできてね」

「……ありがとう」

お礼を伝えれば、部屋を出た夏希が思い出したようにクルリと振り返った。

「あ、そうだ。今朝ね海人さんから帰国が早まりそうだって連絡がきたの。夕飯食べてから帰る予定だったけど、色々準備もしたいしお昼食べたら家に帰ろうと思って」

「そっか。良かったな」

「うん、嬉しい」

はにかむような笑みを浮かべ、血色のよくなった頬を緩ませる。海人くんへの想いが言葉にしなくても伝わってくるようだった。そんな妹の笑顔を見てこちらまで幸せな気持ちになる。決して順風満帆な事ばかりではなかったことを知っているからこそ、今妹が幸せそうで本当に嬉しい。

「ナツ、」

「なに?」

「……海人くんに宜しくな」

「うん。またお邪魔するね」

「いつでもどうぞ」

「ふふ、ありがとう」

どうか、末永く幸せでいて欲しい。
そう願わずにはいられなかった。






「……やばい、早く着すぎたか」

携帯の時計を確認し、ふうっと嘆息する。結局、服は動きやすいパーカーの方に決めた。よく考えたらお洒落な所にいく可能性の方が低いし、カッコつけた所で気づいてもらえないだろうから。

約束した時刻の30分も前に着いてしまい、辺りを見渡すも当たり前だが恭弥の姿はない。休日のお昼前で駅前ロータリーは混んでいる。いつもは空いているベンチも既に先客で埋まっていた。家族連れやカップルを避けるように広場の端へ移動する。ドキドキと高鳴る心臓を宥めるように深く長く深呼吸をした。

(落ち着け、落ち着け……)

恭弥が来るまでにはいつも通り≠フ俺でいなくてはならない。野球の試合前で緊張しても、暫くすれば落ち着く心臓が何故か言うことを聞いてくれない。それでも俯いてふーふーと呼吸を続けていると、目の前に影ができて高い声が聞こえてきた。

「あのぉー、すみません」

「え、……はい?」

顔を上げれば、夏希より少し幼いだろうか。20代前半の女性2人組がこちらを見つめていた。茶髪と金髪という明るい髪色。4月に入ってから急に気温もぐっと上がった為か大分短いスカートを履き、上もトラブルに巻き込まれそうな程前が空いた面積の少ない服を着ている。今どきの学生さんといった所だろうか。

「お兄さん、ちょっとお願いしたいことがあってー」

「写真撮って欲しいんですけど」

そう言うが否やピンクの派手なスマホケースに入った携帯を強引に結希に押し付け、駅前の桜の木の下でポーズを決める2人。

(おいおい……)

呆気に取られた結希だが、まあ写真くらいはと思い直して携帯の撮影ボタンを押した。念の為に、2枚ほど多めに撮ると携帯を返す。

「ありがとうございます!」

「どういたしまして」

微笑みを浮かべて答えれば、キャッと黄色い悲鳴。それと同時に携帯を渡した手ごとガバっと握られる。一瞬ゾワッと悪寒が走った。僅かに強張る顔には気づかず、女の子達は結希を囲む。

「っ、」

「ね、ね!お兄さん。一緒にお花見行かない?」

「今日並盛公園で桜まつりしててー、私達2人だけだと寂しいなぁって思ってたの」

「…………えーと……」

握られた手をさり気なく離し、半歩後ろへ下がる。

「俺、待ち合わせしてるんだ。だから、無理かな」

「待ち合わせ……もしかして彼女さんですか?」

「……いや、友人だよ」

「なら、その人も一緒にどうですかぁ?」

「大勢の方が楽しいですよ!」

一歩前につめられて、結局元の距離に戻る。全く諦める様子のない2人にキラキラとした黒い瞳を向けられて、さて困ったと眉を下げたその時だった。

「結希」

「!」

「待たせたね」

「恭弥……っ、」

肩に乗る温かい手と低い声。驚いて振り返れば、濃紺の単衣と羽織に身を包んだ雲雀恭弥が目に入る。最近はスーツ姿が多かっただけに久しぶりの和服に目が離せない。呆気に取られてポカンと口を開けていると、恭弥は肩に置いた手をさり気なく腰に回して引き寄せた。密着する身体と身体。着物の良い匂いが鼻を擽る。ドキリと心臓が大きく跳ねた。

「っちょ……き、恭弥!?」

「なに」

「何って……」

「さあ、行こうか」

「はぁ……?」

そしてそのまま身体の向きを変え、歩き出そうとする恭弥。突然の行動に困惑していると、同じように目を丸くしていた女子2人が慌てて声を上げた。

「あ、あの!」

「お兄さんも良かったら一緒に……」

「見て分からない?」

「え、あ……」

振り向いた恭弥の鋭い視線が、2人に注がれる。息を呑んだと同時に、一言。


「邪魔だよ」


メールのような短い言葉を残して、今後こそ振り返らずに駅前の広場を通り抜ける。

「ちょ、恭弥……」

後ろを振り返りつつ、押されるままに歩く。広場を抜けると腰にそえられた手が離れ、1人先に行ってしまう。慌てて追いかければ、駅前のロータリーに出たところでやっと追いついた。

「恭弥!」

「…………」

「ま、待てってば」

「……はぁ」

後ろ姿に声をかければ、嘆息と共に振り返る。腕を組み、眉間にシワを寄せて機嫌の悪そうな表情をする恭弥に思わずうっと声を上げた。この顔をするときの恭弥は面倒くさいことが多い。しかも何に怒っているのかも分からない。

(そっちから呼び出したのに何だよ……)

「…………」

「恭弥?」

「…………」

「恭弥さーん?」

「…………こっち、」

数歩先を歩く恭弥の後ろ姿を追いかけながら、結希もそっとため息をついた。





「相変わらずモテるね」

「へ、」

「……」

続く沈黙を最初に破ったのは恭弥だった。先導するように先を歩いているので、表情までは伺えない。だが、雑談する程には機嫌も良くなったのだろうか。

「ああ、さっきのか。あれはモテるとかそんなんじゃないって。あれくらいの年の子は年上のお兄さんに憧れるもんだろ。もしくは、男の人と一緒にいると自分のステータスが上がると思っているか……深い意味なんてないさ」

「そう。それにしてはヘラヘラ楽しそうにしてたようだけど」

「どの場面を見たらそう見えるんだよ……ナツと同じくらいの年の子だと思うとさ、邪険に出来ないだけだって」

「ワオ、相変わらずの妹バカだね」

「それは否定しない」

「ハッ」

きっぱりと答えれば、声に出して短く笑う恭弥。一歩前に出れば、貴重な恭弥の笑みが見えた。残せるものなら写真で撮りたいくらいだが、生憎それは出来ないため記憶のシャッターを押して心に刻み込む。

「……そういうお前こそ、モテるんじゃないか。カッコいいんだし、強いしさ。彼女とかいたりして」

直ぐに否定の言葉が来ると思って出した軽い言葉だった。しかし、沈黙と共に振り返った恭弥の黒い瞳と自身の瞳が交差する。

「…………」

「恭弥?」

「……どうだと思う?」

「どう……って……」

「僕に彼女がいると思う?」

「……いや……、どうだろうな」

「…………」

自分から聞いたくせに、否定しない言葉に傷つくなんて勝手だと自嘲気味に笑った。心の奥底まで見透かすような視線に耐えられず、自分から目を反らす。

見上げた空は、自分が消えてしまいそうなほど綺麗な青空だった。沖縄の海のように透き通る青い空にポツンと浮かぶ白い雲。高くて遠くて……どんなに背伸びしても届かない。

(……っ、)

もし恭弥に好きな人ができた時、俺は笑っておめでとうと言えるのだろうか。

「…………」

「結希」

「…………」

「結希」

「っ、あ……わ、悪い。考え事してたわ」

「これ、つけて」

「ヘルメット……?」

いつの間にか目的地についていたようだった。投げられた丸いものを反射的に受け取れば、それは黒いシンプルなヘルメットだった。そして恭弥の目の前には見覚えのある黒い大型バイクが停められている。

「乗って」

「え、どこ行くんだよ」

「早く」

「あー、はいはい」

これ以上質問しても無駄なことは長年の経験から知っている。じろりと鋭い視線に押されるままヘルメットを頭につけた。

バイクに着物で乗れるのかと不思議に思ったが、着崩れることなく器用にシートへ跨る恭弥。どこからともなく取り出した紐でさっと袖をまとめてたすき掛けをし、グローブをはめる。気づかなかったが、下はしっかりブーツを履いていたようだった。銀色の鍵を鍵穴に入れて回すと、ブルルッと軽快な音が辺りに響き、目的地も知らないまま勢い良く走り出した。





「…………」

40分ほど走らせたバイクを駐車場に止め、エンジンを切った恭弥。ヘルメットを外して視界が一気に広くなる。それと同時に澄んだ山の匂いが鼻腔を擽った。ここへ来るまでの道中もまさか……と思っていたが、見覚えのある場所に目を丸くする。

「恭弥……ここって、」

「行くよ」

「え、ちょっと……待てって」

先にヘルメットとグローブを取っていた恭弥は、着物を直しさっと鍵をしまうと数メートル先にある鳥居へ向かって歩いて行った。慌ててヘルメットをバイクに置き、追いかける。

走り出せば、すぐ恭弥に追いついた。赤い鳥居を抜け、神社の参道を進む。真っすぐに何処までも続いているかのような石畳の道を会話もなく進んでいく。遠くで鳥の鳴く声が聞こえてきた。参道脇に植えられた背の高い松に見下されているような気持ちになり、思わず早足になる。

暫く歩くと、開けた場所に出た。真っすぐ進めば手水舎が右手側にあり、そこからさらに歩けば古い本殿が見えてくる。確か縁結びの神様が祀られているはずだ。

「…………」

「…………」

しかし、そちらへは行かずに左へ反れた脇道へ入る。石畳の道から砂利道へ変わり、歩くたびに石が擦れてジャリジャリと音がした。3分ほど歩いただろうか、再び開けた場所に到着する。その場に立ち止まる恭弥。

「着いたよ」

「…………」

そこは、ピンクの絨毯が一面に広がっていた。視線を上げれば寄り添うように立つ二本の桜の木が見える。2つの木を繋ぐようにしめ縄がぐるりと回され、紙垂が風で揺れていた。

桜の花弁がふわりと宙を舞う。ただ真っすぐ桜の木を見つめる恭弥。単衣の袖が風と共に穏やかに流れる。黒とピンクのコントラストが美しい。



幻想的な空間が、そこには広がっていた。



「……っ、……どう、して……」

「…………」

震える声で、恭弥に問う。
偶然で片付けるには、あまりにも……タイミングが合いすぎている。

「……どうしてって?」

「なんで……っ恭弥が知ってるんだよ……」

俺はこの光景を知っている。ただ知っているなんてもんじゃない。もう何年も前からここへ通っている。何時間も、それこそ朝から晩までいたこともあった。この木の美しい瞬間を見逃したくなくって。だって、

「……写真コンテスト、入賞したんでしょ」

「……っ、」

核心を突く言葉にビクリと肩を震わせた。

カメラは、家族にも友人にも誰にも話したことのない趣味だった。きっかけは……確か大学生の頃。本屋に並んでいたある写真家の写真集に衝撃を受け、気づけば写真の世界にのめり込んでいった。

しかしそれで稼げる人はごく僅かだと言うことも直に理解した。すでに大学へも進学しており、子どもの頃にお金も沢山使わせてしまっている。今更進路を変えたいなんて言えるはずもなかった。幸い、諦めるのは慣れている。趣味の範囲で続ければいい。そう自分を納得させて、今の会社へ就職した。

仕事が始まればカメラへの情熱も覚めるかと思ったが、気づけば野球の集まりが無い休みの日はよく出かけるようになっていて、ふとした情景に心を揺さぶられた。この瞬間を形にしたい、そんな思いが胸を熱くした。

「まぐれだって。たまたまスマホで上手く撮れたから送ってみただけだよ」

「結希らしくないね」

「……っ、なにが……」

「14回」

「っ!」

「それだけ落選しても、諦めなかったんでしょ」

「…………」

趣味の範囲で続けるはずだった。けど、気づけばのめり込む自分がいてもっとカメラについて学びたい、知りたいと願う気持ちを抑えきれなくなっていた。けど、今から学び直すとすれば専門学校のない並盛からは離れなくてはならない。家族や友人……想う人と過ごす穏やかな日常を思えば、そんなことできなくてカメラのことは誰にも言わずにいた。

そんな時、カメラを好きになったきっかけになった写真家が主催する写真コンテストがあることを知った。今回だけ、今回だけ……そう思いながら年2回開催されるコンテストへ写真を送り続けた。そしてついに先月、コンテストへ送ったこの桜の写真が入賞を果たした。



「おめでとう」



一言。
そのたった一言を聞いただけで不意にこみ上げてくる温かい涙。隠すように後ろを向いた頬を静かに伝って落ちていく。

「……っ誰にも言ってないのに、なんで恭弥が知ってるんだよ……本名だって出てなかったはずだろ」

「ワオ、僕に隠し事が出来ると思っていたのかい」

「はは……っホント……恭弥には敵わねーわ」

強引に涙を拭いて、クルリと振り返った。ニカっと笑えば、恭弥の頬にも優しい微笑みか浮かぶ。

(……うわっ、ちょ……それ反則……っ)

「っ、」

「あれ、結希顔赤いけど」

「き、気の所為だって」

「ふーん?」

覗き込むような視線に赤面して顔を背ければ、笑い声が響く。孤高の存在と言われている男が、俺の側で笑っていてくれる。

(……嗚呼、)

幸せだ、と胸の奥がジーンと暖かくなっていく。



「……恭弥」

「ん、」

「ありがとう」



この縁≠ェずっと続きますように。
二本の夫婦桜にそっと祈った。





***

夏希ちゃんの兄、結希さんのパラレルワールドの1つだと思って頂けたら…と思います。お兄ちゃんの日常というか、結希≠ウんに焦点を当てたお話です。雲雀さんと結希さんのお話にしたかったのに、前半兄妹メインのやり取りです(←あれ?)前回はほんのりでしたががっつりBLのお話を書くのは初めてなので、温かい目で読んで頂けたら幸いです……。
結希さんにとって、雲雀さんは憧れで、友人で、好きな人。雲雀さんにとっても結希さんは特別枠だけど、それが友愛か恋愛かは定かではない……そんな感じです。お目汚し失礼しました。

夢枕

「……よんじゅう……」


ピピッと聞こえた電子音。気だるい身体で脇から出した体温計に表示された数字を読む。

(やっちゃった……)

昨夜から嫌な予感はしていた。熱は無いのに体が重く、普段と変わらない生活リズムのはずなのにやけに疲れやすかった。喉の違和感や痛み、鼻水はなかったので単に疲れが溜まっただけかと思いつつも、念の為マスクをつけた。幸い子ども達はすぐに寝息をたてて寝てくれたため、残った家事を済ませてもいつもより早く寝ることができた。

日付けを跨いだ頃だろうか。寒気で目が冷め、思わず布団を抱きしめた。季節は冬も終わりを迎えて春間近。夜でも気温はそこまで下がることはなく、普段なら朝までぐっすり寝れるはずだった。起きて体温計を取りに行く気力もなく、朝まで何度か目が覚めては寝るを繰り返した。いつもの目覚ましアラームで怠い身体を起こし、今に至る。

「……はぁ……」

どうしよう、それが始めに頭に浮かぶ。熱でボーっとする思考。これからしなくてはならないことを指折り数えてリストアップする。時間になったら職場に連絡して、子ども達にも熱が無いか確認、保育園に送ってから医院に受診して……ああ、でも車運転できるかな……。

リビングの戸棚を開けて、透明の小さなケースを取り出す。パカッと開けて中に入っている常備薬の中から解熱剤を探す。子供用のキャラクターの書かれた薬の箱、絆創膏、湿布、包帯、目薬、塗り薬……量はまちまちだがどれも入っているのに、解熱剤だけが見つからない。

「…………あ、」

おかしいな、と考えて不意に思い出す。最後に使ったのは確か昨年の夏頃だっただろうか。季節外れのインフルエンザに罹った子どもの看病をする内にどうやら移ってしまったようで、子どもが解熱する頃に発熱したんだっけ。確かその時無くなって、元気になったらまた買いに行こうって思ってたけど……それどころじゃなくなって。

「………、…」

そこまで思い出して、冷たくなった手をぎゅっと強く握った。左手の薬指に光る銀の輪を確かめるようにそっと指でなぞる。無機質な金属のつるりと滑るような感触。こみ上げてくる何かをぐっと堪えた。

解熱剤が無いようでは、送迎は危険かもしれない。かと言って頼る人も……いない。両親は旅行へ行っているし、兄は県外へ出張中だ。ファミリーサポートに登録はしているが、今は双子の人見知りが凄く利用は難しい。仕事をしている友人に頼むのも……気が引ける。海人さんが亡くなってから何かと気にかけてくれている雲雀さんや山本先輩、沢田さんも数日前から会議でイタリアへ行くと言っていた。

(いっそ、保育園お休みさせようかな……)

そう思うも自身に熱がある中、まだ幼い3人の子供をつれての受診は正直きつい。空も卒園まであと数日。お友達と先生で過ごせる時間を大切にしてあげたい。それに感染症かどうかも確かめてもらう必要があるし、小さい子どもにママだけ寝かせて欲しいと頼むのは難しいだろう。

「……どうしよう…………」

八方塞がりで携帯片手にため息をつく。熱で頭痛が酷い。頭を抑えながらアドレス帳をスクロールした。

(だれか…………)

「!」

六道骸

あいうえお順に並んだ携帯の1番下に登録された名前。最近登録された電話番号に、思わず指が伸びる。受話器のマークを押そうとして、指が止まった。

「…………」

迷惑じゃないだろうか。ふと、そんな心配が過る。確かにあの時から六道さんとは少し距離が近くなった。何度か会う内に子供達も慣れている。でも、急にこんなことをお願いしてもいいのだろうか。

「うーん……」

「ママ?」

不意に近くで聞こえた子どもの声。驚いて振り返れば、1人起きてきた空が眠そうに目を擦りながら立っていた。

「ごめんね、起こしちゃった?」

「んーん。おしっこ行ってきたの」

「そっか、まだご飯用意してないんだ。着替えて待っててね」

「うん。ねえ、ママお顔赤いよ?」

「あ……えと、ちょっとお熱が出ちゃったんだ」

「だいじょうぶ?」

「うん、ありがとう」

心配そうな顔をする娘の頭を優しく撫でると、携帯をテーブルに置いてキッチンへ移動する。とは言っても身体は怠いし、正直卵1つ焼くことすら億劫だ。申し訳ないが皿に盛るだけのパンとヨーグルトにしてもらおうと冷蔵庫を開けた時だった。

「……あ……よ」

「?」

娘の話し声が聞こえてくる。自分に話かけているのかとキッチンのカウンターから顔を出せば、携帯を片耳に当てて話している娘の姿が見えた。

「え!」

慌ててキッチンから飛び出した。ふらりと身体が傾き熱があることを思い出す。足に力を入れて踏ん張り、娘の近くへ駆け寄った。

「あ、ママ」

「そら!?誰とお話して……っ、」

「むっくんだよー」

「え、」

パジャマ姿のまま嬉しそうに口角をあげて、携帯の画面を見せる娘。肩甲骨まで伸びる柔らかな黒髪が寝癖で跳ねていて話すたびにひょこひょこと動く。父親譲りの金の瞳がきらりと光った。

見せられた携帯の画面には六道骸≠フ名前と、通話中の表示。そういえば、アドレス帳を開いたまま携帯を置いたような……。

「…………」

「…………」

しばし沈黙。
思わず現実逃避したくなって目を瞑る。

(……いや、いや!駄目)

上手く働かない頭を必死に動かして、空から携帯を預かると右耳へそっと当てた。ごくりと唾を飲み込む。

「ろ、六道……さん?」

「はい」

「……すみません。空が勝手に通話ボタン押しちゃったみたいで……こんなに朝早くから申し訳ないです」

「……いえ」

電話越しに聞こえてきた低音。怒っているのかいないのか……声だけでは、まだ付き合いが浅い私には判断が難しい。電話だと分かっていても思わず頭を下げた。

「本当にすみません」

「別に……気にしてません」

初めより幾分柔らかな声にホッと息をつく。自然と頬が緩むのを感じた。

「そう言ってもらえると、助かります」

「それより、…………」

「?」

言葉を伝えようとして、何かを迷うような声。首を傾げると、暫く沈黙した後で再び声が聞こえてきた。

「……空から聞きましたが、体調が悪いんですか」

「え、」

「熱があるとか」

「…あー……」

六道さんの声に、思わず顔をしかめる。目の前の空を見れば、ソローっと外される視線。お喋りが大好きな娘は、もうそのことを伝えてしまったらしい。

「今朝から少し……でも、大した事ありませんよ」

「何度ですか?」

「え……」

「熱は何度だったのか、と聞いています」

「…………」

「…………」

無言の圧が電話越しに伝わってくる。観念して、ゆっくりと口を開いた。

「え……えと、確か40……℃だったような……」

「…………はぁ」

盛大なため息が聞こえてきた後、「一旦電話を切ります」と一言告げてツーツーと通話終了を告げる音へと変わる。

「?」

「ねぇ、ママ。むっくん何だって?」

「んー、電話切れちゃったから……あ、そうだ!朝ご飯用意しなきゃ。空、着替えたら陽人と朔人起こしてきてくれる?」

「はーい」 





怠い身体を動かして何とか食パンにジャムを塗り、牛乳をコップに入れて、ヨーグルトを器に盛った。シュガースポットが出たバナナを切ってヨーグルトの中へいれる。トレイにお皿を乗せて、スプーンを用意したら完成だ。簡単な朝ご飯だが、3人分用意しただけでもうヘトヘトだ。

ダイニングテーブルに移動して、子ども達が食べている様子を眺めながら椅子にもたれ掛かる。もう立ちたくないし、何もしたくない。食欲なんてないから早く横になりたい……そう思うが、そうはいかないのが現実だ。職場へ連絡は入れたが、結局この後どうするかも決めていない。

ピーンポーン

「……あれ?」

「お客さんだー!」

突然鳴るインターホン。時刻はまだ朝の8時だ。こんな朝から宅急便は来ないだろうし、誰だろう……とぼんやり考えていると、来客が嬉しいのか空が駆け出す。双子は我関せずでむしゃむしゃとパンを頬張っていた。

玄関へかけていった空を追いかけ、リビングの戸をくぐる。玄関を見た瞬間、思わず固まる。

「ろ、六道……さん!?」

「お邪魔します」

「ママ、むっくん来てくれたよー!」

そこにいたのは、サラサラと流れるような長い藍色の髪を後ろで1つにまとめ、黒い薄手のコートを着て立つ六道さん本人だった。

「どうしたんですか?」

驚いたように問いかければ少し眉間にシワが寄り、口角が下がる。機嫌が悪いのだろうかとも思うが、向けられる視線は鋭くはない。

「…………」

「?」

「貴女、熱があるんでしょう。早く横になったらどうですか」

「あ……えと、でもまだやる事が……」

「僕がやります」

「……へ、」

「入りますよ」

「え、あ………」

そういうと真っ黒な靴を脱いで、嬉しそうな空に手を引かれたまま家の中へと入っていった。呆然とその様子を見送り、ハッとして慌てて追いかける。

「ろ、六道さん?」

「まだそこにいたんですか、早く寝てください」

「で、でも」

「保育園の送迎くらい僕でもできます。空が小さい頃海人と行ったことがあるので、なんとかなると思います。保育園へ連絡だけしておいて下さい。それと、9時にタクシーが来るように連絡してあります。乗って受診してきて下さい。子どもたちの帰りも僕が迎えに行きますので」

「けど、六道さんのご迷惑じゃ……」

朝食を食べていた陽人と朔人と挨拶を交わし、空を椅子に座らせて食べるように促す六道さん。遠慮がちに聞けば、ギロリと鋭い視線が向けられる。

「構わないといったはずです」

「っ、でも」

「海人に……線香を上げるついでですよ」

「六道さん……」

反らされた視線。けれど、その不器用な優しさがじんわりと胸に染みていく。熱で緩んだ涙腺から涙が浮かぶ。涙が流れ落ちそうになるのをぐっと堪えて頭を下げた。

「……ありがとうございます」

「……」









「夏希」

辛そうだね、と心配そうな表情を浮かべて見下ろす金の瞳。熱でとろんとした視線を向ければ、細くて長い指先が額に触れる。

「まだ熱いね」

誰よりも温かい心をもった愛しい人。
洗い物をしてくれていたのか触れる手はいつもより冷たく、熱で怠い身体には気持ちいい。

「おかゆ、美味しかったです……」

「良かった。薬は飲んだ?」

「はい」

「じゃあ、また少しおやすみ」

風邪を引くと必ず作ってくれる海人さん特製のおかゆ。出汁が優しい味にしてくれていて、混ぜられた卵の黄色が可愛い。真ん中には鮭フレークや梅干し、しらすなどその時の食欲に合わせて変えられた具材。少しでも食べれるようにと工夫された海人さんの優しさが嬉しかった。

海人さんはいつも優しいが、風邪を引いたときは特別甘やかしてくれる。家事は勿論、氷枕の交換から水分の用意、着替えの手伝いまで。少し過保護だと感じるほどだ。普段は素直に気持ちのすべてを伝えることは難しいけど、熱がある時はついつい甘えてしまう。

「かいと、さん」

布団から手を出して、重ねるように手に触れた。自分以外の温かさが心地よい。強請るように金の瞳を見つめれば、優しい微笑みで頭を撫でてくれる。いつもは他の人にも向けられる視線が私1人だけに注がれていることに、愛しさが募る。

(……だいすき)

包み込むような安堵感。
鼓動を早めるときめき。
一秒でも離れたらバラバラになってしまいそうな不安。

海人さんに対する沢山の溢れる気持ちに名前をつけるとしたら、なんと呼べばいいのだろうか。

「夏希?」

「…………寝るまで、側にいてくれますか?」

食事を終えて薬も飲んだからか、再び眠気が襲ってくる。けど、1人で寝るのはちょっと怖い。熱があると眠りが浅くなるせいか悪い夢を見るのだ。それは決まって同じ、海人さんがいない世界で、一人ぼっちになってしまう夢。夢だと分かっていても、また見るのが怖くて寝れない。

目をこすりながら海人さんを見上げれば、布団をめくり隣に横になった。自然と枕から腕枕へと変わり、優しく抱き締められる。

「か、かいとさん……」

「ん、」

「風邪……うつっちゃいますよ」

「それで夏希が治るなら移ってもいいよ」

「海人さん!」

「ハハ、」

軽い笑い声が聞こえる。
先程よりも近くなった金の瞳。覗き込めばそこには自身の姿が映し出されている。私の瞳にも、海人さんが見えているのだろうか。お互いにお互いしか見えない。そんな小さなことでも、普段は閉まったままの独占欲が嬉しいと感じてしまう。

「大丈夫、ここにいる」

「……っ、」

「……たとえ見えなくても、触れ合うことができなくても。夏希が必要とする限り、ずっと側にいるよ」

「……海人……さん?」

「おやすみ、夏希」

額に落とされる小さな温もりとリップ音。
親鳥に包まれる雛の如く、愛しさの溢れる胸の中でそっと瞳を閉じた。





「…………ぁ……」

目を開けると、見慣れた白い天井と照明が見える。
涙で視界がぼやけて、泣いていることに気づいた。直前までどんな夢を見ていたのか思い出せない。確か幸せで……覚めてほしくないと思ったことだけは覚えているのに。

夢なんてそんなものだ。
曖昧で、不確かで……現実じゃない。

「……っぁ……ふ、」

なのに、

何故だろう。涙が止まらない。寂しくて仕方がない。幸せだけど苦しくて、嬉しいのに辛い。心がバラバラになってしまいそうだ。胸が張り裂けそうで思わず胸元の服を強く握る。

「……ぁ……っ…」

雨のように次々と流れ落ちる涙を拭う。クリアに見えた視界の先には、1つの枕が見えた。主がいなくなってしまった青い枕。お揃いにしようと一緒に買いに行ったっけ。海人さんの形見の品は少しずつ整理しているが、どうしても寝室は片付ける気持ちになれなくて、寝具やクローゼットの服はそのままだ。海人さんの枕にそっと頭を乗せれば、微かに海人さんの匂いがする気がした。


「……っかいと、さん」



本当に、俺と居て後悔しない?



いつか問われた言葉の重みをずしりと感じる。けれど海人さんと過ごした日々に後悔はない。例えあの日に戻ったとしても、私は何度でも同じ答えを出すだろう。

それでも、この寂しい気持ちを飲み込むにはまだまだ時間がかかりそうだ。

「……っ、」

唇を噛みしめ、痛いほど指輪を握りしめた。







ひとしきり泣いた後、熱があるのと泣き疲れたので気づけば再び眠っていた。次に目が覚めたとき外は夕暮れで、不思議なことに少し身体が軽くなっていた。枕元に置いていた体温計で測定すれば、37.6℃と表示されている。朝は40℃あったことを考えると、大分下がってきていた。午前中に受診した医院でも普通の風邪でしょうと言われている。

「良かった……」

ホッと息をついて、リビングへと向かう。ガチャリと扉を開ければ楽しそうな声が聞こえてきた。

「あ、ママ!」

「「だいじょうぶー?」」

駆け寄る3人の子どもたち。自然と笑みが溢れる。それぞれの頭を撫でれば嬉しそうに笑う。

「六道さん……ありがとうございます」

「体調はどうですか」

「熱も大分下がりました。1日ゆっくりできたお陰です。六道さんが来てくれて本当に助かりました」

「そうですか」

素っ気ない口調。それでも、子どもたちを見ていれば分かる。六道さんがいかに気を配って今日1日を過ごしてくれたか。六道さんの優しさが伝わる。

「既製品ですが、無いよりはマシでしょう」

「夕ご飯まで……本当にありがとうございました」

ダイニングテーブルに並べられた食事。スーパーで買ったものだろうか。すでに食べ始めていた子どもたちの好物のものばかりだ。

「ママ」

「なに?」

空がそろりと歩きながらお椀を持ってこちらに来た。しゃがんで目線を合わせれば、少し照れたような顔。

「むっくんとね、調べながら作ったんだ。ママ朝ご飯食べてなかったから。どうぞ」

「!」

受け取ると、ほんのりと温かい。器に入っているのは真っ白なお粥に卵が混ぜられたシンプルなもの。お米の優しい美味しそうな匂いが鼻を通り抜ける。

良かった。薬は飲んだ?

「…………っ、」

思わず、涙が溢れた。
空が不思議そうにこちらを見る。小さな頭をそっと撫でた。

「ママ?」

「ごめんね……っうれし、嬉しくて。空が作ってくれたお粥、大事に食べるね」

「うん!」

涙を拭いて空を抱き締める。お日様の様な温かくて心地良い体温。私の大切な、家族。

「じゃあ、僕はそろそろ帰ります」

ガチャリと扉を開ける音がした。思わずハッと振り向いて、頭を深く下げた。

「っ六道さん、ありがとうございました」

「……お大事に」

スッと消えた藍色の影。
今度、きちんとお礼をしよう。何がいいだろうか……。

悩みながら、子どもたちと夕飯の席につく。
手を合わせて、口を開いた。




「いただきます!」











***



悠汰さんの海人くん亡き後のお話を拝読して、思い浮かんだ話でした。久しぶりに一気に書けたので、内容が迷子にならなくて良かった……。

大切な人を失った悲しみはきっと、癒えるまでとても時間がかかりますよね。ふとした時に思い出しては悲しくなったり、苦しくなったり。けど、夏希ちゃんの周りには海人くんが繋いでくれた人が沢山いるから、笑顔にもなれそうですよね。子どもたちはボンゴレメンバーやお兄さんなど皆に支えられて大きくなるイメージです。

駄文失礼しました。







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