「……っやっと見つけた……!」
海にぽつんと浮かぶ小さな小さな島。地図にも乗っていない未踏の地に長年探し求めていた答えは眠っていた。
鬱蒼と茂る原生林を抜けて、島の中央へ向かう。かつてここには小さな社があり、神事の際のみ神主が来ることを許されたという。しかし、長い時間の後にその一族も途絶え忘れ去られていった。
人が訪れなくなった今、朽ちた柱が僅かに残るのみで、人が作った建造物はもはや影も形もない。島の中央には船からも見えた大きくそびえる大木が立っていた。
「……っ、」
焦る気持ちを抑えながら木の根本に立つ。
首をぐいっと後ろへ反らさないと見えないほど高く、枝の広がった大木だった。80メートルはありそうな高さと人が30人はいないと届かなそうな太さの幹。樹齢1000年は優に超えている。おそらくギネスに乗っているどの木にも引けを取らないだろう。風が吹くと青々と茂った葉が擦れてざわざわと音が周囲に響いた。ゾクッとするような感覚に思わず息を呑む。
「かいと……オレ、なんて言うかさ……」
「…………うん」
「初めて来た場所なのに、そんな気がしないんだ。なんでだろ……ああ、そうだ……アルカイドと似た感覚がする。でも同じじゃない。凄く……怖い。嫌な感じではないんだ。でも……なんていうかさ、」
「……アルの言うこと、なんとなく分かるよ」
恐怖や嫌悪ではない。真っ先に感じるのは畏怖の念だ。思わず後ずさりそうになる足にぐっと力を入れた。これより先に立ち入ってはいけないと本能が告げている。人ではないナニカがそこにはいるのだと誰に言われるでもなく分かった。
「……アルはここで待ってて」
「海人?」
肩に乗る相棒を手に乗せて地面に下ろす。見上げる小さな茶色い瞳にそっと微笑んた。
「……呼んでるみたいだ」
声がするわけでも手招きされたわけでもないのに、何故か理解した。引き寄せられるような感覚。だが、何があるか分からない。アルは置いていこうと離れた手。一瞬ムッとした表情を浮かべたアルだが、次の瞬間には足から器用に駆け登り元の定位置へつく。
「お、おい」
「なーに言ってんだよ、最後まで付き合う」
「アル」
「オレはその為に外の世界へ出てきたんだ」
澄んだ瞳と真っ直ぐな視線がこちらを向く。ぐっと手を握りしめると俯いた顔を上げた。
「…………そうだな」
「よしっ、行こう!」
気合を入れ、木の幹に手を合わせる。
何もしていないのに、大地のボンゴレリングから柚子色の炎が出た。それが合図かのように硬かった幹がぐにゃりと変化し、木の中へと招かれる。転がるように木の中へと飛び込んだ。
「……っ、」
「珍しいこともあるものじゃな」
「…………キミは……」
木の中へ入るとそこは、一面草原が広がっていた。遮るものがなくどこまでも続いているかのような、緑。目の前の巨木だけが、先程見たものと同様だと感じる。
そんな木の根本に腰をかけて座っているのは若草色髪をした幼き少女。海人に気づくと星のように輝く金の瞳がこちらを向く。外見は夏希と出会った頃の歳と同じくらいだろうか。見た目とはそぐわない口調で口を開いた少女は、そっと微笑んだ。
「お帰り、大地の子よ」
「っ……」
「ここまで辿り着くものがおるとは……久しいのう」
脳に直接響くような、優しく澄んだ声だった。微笑みを浮かべる顔は聖母のようで、絵画に描かれるように美しい。だが、近づくのは躊躇われる。人ではないと瞬時に悟った。
「……っ、アル……」
不意に先程まで共にいた相棒がいないことに気づき、周囲を見渡す。足首ほどの高さの草原ばかりで見落とすことはなさそうなのに、見つからない。
「ん?お主と共にいたリスであれば、ここへは入れぬ故に元いた場所におるじゃろう」
「……」
「なんじゃ、安心せい。島には植物以外の生き物は少ない。虫なんかはいるかもしれぬが、リスを襲うようなものはおらんよ」
「…………キミはいったい……」
「我か?そうじゃな……お主と近しいものだよ、大地の子。大地の神よりこの地に遣わされて、そなた達大地の子らを監督する責を受けておる。この場から動くことはできぬが、故にお主等の目を通して外の世界のことは大体把握しておるよ」
「……っ、」
ぶわりと風が吹いて、海人の髪を揺らして通り過ぎた。バクバクと心臓が鼓動を早める。緊張で握った手が湿っているのを感じる。
「ここへ来たということは、何か望みがあるのであろう、言うてみよ」
「……大地の波動を持つ者の、短命の呪いを解きたい」
「ほう」
「アルカイドから聞いた。大地の波動が使えるものは能力使用の有無に限らず短命だと。俺も30を超えられないと言われている」
「ふむ、また懐かしい名前が出たのう。そうじゃ、お主等大地の子は代々短命で間違いない。そなたも……見たところ残りは少なそうだ」
「…………っ」
「まどろっこしいのは嫌いでな。結論から伝えよう。解呪は可能だ。ふむ、そうじゃの……」
見定めるかのように、自身と同じ金色の瞳がこちらを向いた。心の奥底まで見られているようで落ち着かない。ごくりと知らない内にツバを飲み込む。
「……よかろう」
「!」
「呪いを解こう」
少女は立ち上がると、数歩前に出て海人へ近づく。無表情のまま両手のひらを上へ向け左右へ広げると、大きく手を打った。パチンと静寂な空間に音が鳴り響く。
「……っ、」
「大地の子よ。今この瞬間、短命の呪いは解かれた」
「……………っ…」
微笑みを浮かべて少女は話すが、呆気なさ過ぎて実感がない。ここにたどり着くまでの苦労や時間がかかっただけに、慎重になってしまう。だが実際短命でなくなったかどうか確かめる術はない。
(けど、本当であれば……あの子達はもっと生きることができる)
大地の波動を受け継いだ空。そしてまだ幼くて分からないがもし陽人や朔人が大地の炎を受け継いだとしても、人として当たり前の年月を生きることができる。様々な出逢いと別れを繰り返して、好きな人や大切な仲間を見つけて共に過ごす、そんな当たり前の人生を送ることができるはずだ。
「……よかった…」
ぽつりと言葉が溢れた。安堵からホッと息が漏れる。間に合った。自身の血を受け継いだせいで子供にまで呪いを背負わせてしまうところだった。それだけはなんとしてでも避けようと、子どもが生まれてからはそれまで以上に短命の呪いを解く手掛かりを探した。探して、探して、探して……ようやく辿り着いたのだ。
海人さん
優しく微笑む愛しい彼女とも、もっと一緒に過ごすことができるのだろうか。諦めていた先があるなんて、望んでもいいなんて……夢のようだ。ポカポカと心臓に温もりが染みていく。
「……こんな日が……くるとは思ってなかった」
「よかったのう、これも善行を積んだそなたの功績故じゃ。これからも精進することじゃな」
ほほ、と朗らかに笑う少女。名前も、何者なのかも分からないが敵対心がないのは伝わる。もっと話せば教えてくれるのだろうか。
「これから先、大地の炎を使う副作用はどうなる。寿命と関係するのか教えて欲しい」
そう問うと、少女は一瞬目をまん丸にした後、鈴を転がしたような声を上げて笑った。その姿は絵になるほど美しいのに、何故か背筋が凍る。嫌な汗がぶわりと沸く。
「ふふ、おかしなことを言うなぁ」
「……は、」
「短命の呪いは解かれたのじゃ。許しを得たそなたは、これより永久の時を生きる」
「え、いきゅう……?」
「いくら癒やしの力を使おうとも、老いることも、病むことも、死することすらない。そなた達人間が、古来より追い求めていた不老不死と呼ばれる存在じゃな。元より大地の子は永遠の命をもたない人間を憐れんだ大地の神によって、傷ついた人を癒やすという役割を与えられて産まれてきた。しかし人の身で大地の炎を扱うには、寿命が足りない。故に始めから不老不死であったのだ。昔の話になるがある大地の波動の持ち主が罪を犯した。罰としてそれ以降の大地の子どもらを短命に処したが、今そなたが許しを得て元に戻っただけのこと。短命にも関わらず更に自身の命を削って癒やしの力を使い、人々を救って我まで辿り着いたそなただからこそ許された。手に入れたのは輝かしい未来≠カゃ」
「……っ……ぁ……」
思わずその場に崩れ落ちた。
天国から地獄へ落とされたような絶望感。ポタリ、ポタリと涙が雫となって頬から流れ落ちる。そんな気持ちを梅雨とも知らず、少女は不思議そうに海人を見つめる。
「何故泣くのだ、愛しい大地の子」
「……っ、そんなものが……欲しいんじゃない。俺が探していたのは、大切な仲間や愛しい人と共に生きて老いて死んでいく未来だ……っ永遠なんて望んでない!」
「……分からんのう。短いより長いほうがよいじゃろう。まあ、人ではない儂には理解できぬことだな」
首を傾げて困ったように答える少女。言い争っても分かりあえないと悟る。見た目は可愛らしい少女でも、やはり人ではないのだろう。
「……ッ子どもは……俺には大地の炎を使える子がいる。子ども達はどうなる!?」
「子ども?……そうじゃな。大地の力をどれだけ受け継いだかによるが、遺伝から得た力であれば恩恵は半減するじゃろう。つまり、只人よりも長生きはするだろうが、完全な不老不死ではない。肉体の成長が止まるまでは普通に成長し、その後は徐々に歳を取らなくなる。うーむ……その場合は1000年もすれば死ぬだろう」
「…………っ」
突然の情報量に思考が追いつかない。少女の言葉を反復する間に、ふと空を見上げた少女が残念そうな表情を浮かべた。
「さあ、大地の子よ。別れの時がきたようだ」
「っ、まだ話は終わってない!」
「儂にはもうないのじゃ。それに、いいのか?」
「……っ?」
「ここで過ごす時間は外のそれとは異なる。外はここよりもずっと早いスピードで過ぎていく。お主の大切なものと別れを言う間もなく離れることになるぞ」
「なっ、」
「またな」
絶句している間にパチンと手を打つ音がして、気づけば元いた大樹の根本に戻っていた。
「…………っ、」
混乱する頭で、どうしたらいいのか考える。先程のように大樹の幹に手を当ててもなにも行らない。招かれていないということだろうか。
ここで過ごす時間は外のそれとは異なる
「っ、アル」
少女の言葉を思い出し、慌ててその場を探す。だが、何度呼んでも泥だらけになりながら探しても、相棒の姿は見当たらなかった。
「…………っ、」
一瞬、鏡を見ているのかと錯覚した。
「……っとうさん……」
見慣れた家の玄関。その前に立つのは、自身と同じくらいの背丈の青年。夏希のように柔らかな黒髪。金と黒のオッドアイの瞳が驚きと動揺で揺れていた。最後に見た姿は3才になったばかりの幼い姿。パパ行かないでと、泣いてしがみついていた記憶は新しい。だから、こんなこと……あり得ないはずなのに。けれど、目の前の青年が誰なのか答えを言われずとも分かる。
「さ…くと……?」
「……ッ」
呆然と名前を呼べば、キッと鋭い眼光がこちらを向く。
「……今更、何しにきた」
「……っ」
「今までずっと母さんを放ったらかして、どの面下げて来たんだって聞いてんだよ!」
ぐいっと胸ぐらを掴む手。記憶の中の朔人は自身の手よりもずっとずっと、小さくて。簡単に抱っこ出来るほど身体だって軽かった。こんなに……大きく、ましてや青年であるはずがない。
けれど、目の前の青年が朔人であることもまた事実。
(ああ……)
信じたくなかった。
けど、もう認めざる得ない。
「答えろっ!」
ここへ来る前に空港の新聞で確認した日付け。それは、大樹の中へ入った日から60年後≠フものだった。
「朔人?…………っ、」
騒ぐ声が聞こえてきたのだろう。玄関の奥から若い女性の声が聞こえてくる。パタパタとスリッパの音がして、長い黒髪の女性が顔を出した。朔人と同様にこちらを見ると驚きで言葉を失う。金と金の瞳が交差する。
「……父さん」
「姉ちゃん、こいつッ!」
「朔人、止めなさい」
「……っだって!」
「朔人」
「……ッ……」
言葉で制されて、俯く朔人。一歩前に出ると、真っ直ぐ海人を見つめた。大きくなった、そんな当たり前の感想しか浮かばない。外見は俺と酷似していたが、こちらを見つめる柔らかな視線は夏希と似ている気がした。
「……空」
「……入って、父さん」
「……っ、」
空に促されるが足が前に出ない。勢いのままここまで来たが、玄関の敷居を跨ぐ資格なんて俺にはないのではないだろうか。未だにこちらを睨むように見つめる朔人。朔人の言う通りだ。俺にはほんの少し前の出来事でも、家族にとっては60年ぶりの再会なのだろう。それまで放ったらかして、短命の次は長命なんて呪いを押し付けて。合わす顔がない。
「……っ」
「母さん、ずっと待ってたよ。父さんが行方不明になってからも帰って来るって信じてた。アルくんも、沢田さん達も最期まで信じてた。もう、母さんね長くないの。最期はここで過ごしたいって病院から帰宅してきた。このまま会わずにいなくなるなんて、酷いこと……娘の前でしないでね」
「ッ、」
「入って」
有無を言わせない圧力を感じた。促されるまま、玄関の扉をくぐる。家の中は、記憶の中の自宅と殆ど変わりなかった。幾分古くなって、使い古された家具や壁。リビングには60年分の思い出が可愛らしい額縁に入れられて飾られている。すんと鼻をくすぐる匂いは、夏希が気に入っていたアロマの芳香剤だ。
「…………母さん」
リビングから中庭が見える窓の近くにベッドが用意されていた。先を行く空がそっとベッドで横になる人物に話しかけた。
「……っ」
足が竦む。震える手と霞む視界。思わず俯く。知りたくない、受け入れたくない気持ちと葛藤する。夏希を見てしまったら、今度こそこの現実を受け入れないといけないような恐怖と絶望。
「…………父さん」
「……っ、」
空の声だけがリビングに響く。
一歩、また一歩と初めて歩く子どものようにゆっくりとベッドへ近づいた。
「……なつき」
共に笑い、泣き、最期まで一緒にいると誓ってくれたかけがえのない女性。怯えて拒絶しても諦めずにしがみついて、愛を教えてくれた。幸せのかたちそのもの。
「…………っぁ……あ……」
大粒の涙が零れ落ちる。
短命の呪いを解いた代償は、あまりに大きかった。
***
もし海人くんが背負う呪いが短命ではなく長命だったら……と想像したお話です。大地の波動に関してかなり想像で書いた部分があります。すみません。パラレルワールドの1つだと思って頂けたら……。
本当は過去の思い出を大事にしながら、何代目かのアルデバランくんと終わりのない旅を続けているお話のはすが、気づけば救いのないお話になりました……。あれ?
海人くんごめんよ……。
駄文失礼しました。