「真っ直ぐ歩け」
「……っ、……」
グイっと、強引に身体を押される。転びそうになりながらも、足を前に進めた。後ろ手に拘束され、口元には呪力を封じる呪符が貼られている。逃げるつもりも、抵抗するつもりもない。ただ、あの人が無事かどうかが心配だった。
「……おかかッ!」
「棘、落ち着けっ」
事情を聞いたのだろうか。兄が廊下の向こう側から勢いよく走ってきた。心配と困惑、焦りが混ざった表情の兄と視線が合う。こちらへ駆け寄ろうとする兄を、真希さん達が必死に止めてくれていた。
兄の姿を見た瞬間、安堵からか泣きそうになる。同時に誰よりも優しい兄にあんな表情をさせて申し訳ない思いで苦しい。けれど理由を言葉で話すことも、ジェスチャーで伝えることも勿論出来ない。補助監督に背を押されるようにして尋問用の部屋に入った。
バタン、
背中に扉の閉まる重い音が響く。
「…………」
狭く薄暗い部屋に、床に固定された椅子が1つ置かれていた。拘束されたまま椅子に座るよう促される。言われるがままに椅子に座ると、手の拘束を1度外して今度は椅子と拘束される。
「すぐ尋問が始まるだろう。それまで大人しくしてるんだな」
「…………」
鋭い視線で睨みつけて補助監督は部屋から出ていった。扉が閉まれば、自分の呼吸音しか聞こえない静寂に包まれる。
(…………っ……)
色々なことが一気におきて、気持ちが整理できない。感情もごちゃ混ぜで、何から考えればいいのかも曖昧だ。
「…………」
こみ上げてくる涙を、唇を噛み締めてただ堪えるしかなかった。
「おかかッ!!」
「棘、止めろ」
「こんぶ!!」
今にも飛び出してしまいそうな棘を後ろから羽交い締めにする形で止めるパンダ。それすら抜け出してしまいそうなほど抵抗が強い。普段の様子からは考えられないほど青ざめた顔に、胸が痛む。だが、ここで棘を行かせる訳にはいかない。事情はよく分からないが、正当な理由もなく突入すればペナルティを食らうのは棘だ。
「今ここで争っても仕方ねーだろ、それより五条先生探した方がいい。癪だが、あの人がいればなんとかなるかもしれない」
「……ッ、」
「棘!!」
肩を掴み、鋭く名前を呼ぶ。紫の瞳が迷うように揺れた。葵希が連れて行かれた部屋の扉を強く見つめた後、一度瞼を閉じて小さく息を吐き出す。
抵抗していた身体から力が抜けた。
「………………しゃけ」
小さな、小さな声だった。
「……よしっ、五条先生探しに行くぞ!」
「この時間だと職員室か?」
「もしくは1年の教室か……どちらにしろ、まだ高専内にいるはずだ」
「しゃけしゃけ!」
「そうだな、じゃあ手分けして行こう。棘は職員室、パンダは教室。私は外見てくる」
「おう!」
「何かあれば携帯で連絡!」
「しゃけ」
お互い顔を見合わせ、頷く。
次の瞬間には、その場に誰もいなかった。
「…………いやー、残念だよ」
ガチャリと静寂の中に響く音。反射的に視線を向ければ、白い頭の青年が見える。コツコツと軽い足音をたててこちらへ来ると、椅子の手前で止まる。口を開いたのは、五条先生だ。
見下ろす、先生。
見上げる、私。
今日会ったときは黒い布で目を隠していたのに、今はその布が外されて青い瞳が見えた。何処までも続くような晴天の空、もしくは珊瑚礁や色取り取りの魚が泳ぐ澄んだ海の色だ。サファイヤのように輝き、じっと見ていると吸い込まれそうにも感じる。
……とても綺麗な瞳だと、普段の私なら思っただろうか。
「…………」
「…………」
けれど、先生の視線は冷たく表情は硬い。
誰に言われる訳でもなく、心配したり助けに来てくれたのではないことはすぐに分かった。先生は、右手を伸ばすとビッと音を立てて口につけられていた呪符を強引に外した。
「っ、」
無理に剥がした痛みで、生理的な涙が瞳に浮かぶ。
「……きみには期待してたんだ。呪力が多く、ポテンシャルも高い。後は殻を破ってくれれば、強い呪術師になるんじゃないか……ってね」
「…………、」
「でも、それも勘違いだったのかな」
「…………」
ニコリと微笑む顔が怖い。もれ出る呪力の圧で息が苦しい。背中を冷汗がポタリと伝うのを感じた。椅子に拘束されていなければ、とっくに逃げていたかもしれない。
「……家入海月」
「っ、」
「知っているはずだ。きみが呪言を使った相手。倒れてから眠り続けていて声をかけても起きない。僕が知っている限り君たちは初対面だったはずだけど……」
「……、」
「あ、気にしないで話してもいいよ。呪言が邪魔しないように呪力で聴覚の保護をしてある。思う存分話してくれて構わない」
笑う顔は爽やかで、話す声は落ち着いているのに、雰囲気がそうではないと告げている。
「何故、家入海月を呪った?」
「……っ、」
「答えろ」
低く、鋭い声。刺すような視線が痛い。説明しようにも恐怖で身体が震える。10年以上戦闘以外で話してこなかった喉は、咄嗟に上手く動かない。圧倒的な呪力が、チリチリと肌を刺すようだ。蛇に睨まれた蛙、猫に追いかけられた鼠のように何も出来ない無力な存在だと思い知る。どんな呪霊よりも、目の前の先生が怖いと本能が告げている。
(ど……すれば……)
どこから説明して話せばいいのか、冷静に考えられない。怖い、そんな感情だけが頭の中をぐるぐると回る。
「……っ……」
口を開くだけで言葉にできない私に舌打ち1つ。スッと右手を伸ばすと、次の瞬間には身体が浮いていた。
「……っか……」
「僕はさ、気が長い方じゃないんだ」
椅子に固定されていたはずの鎖はいつの間にか外れ、喉元を掴む先生の手だけで浮いている。足すら付かず、負担は喉のみにかかる。息が思うように出来ず、苦しい。確実に締めてくる圧迫感に涙が浮かんで視界が歪む。
「……っ、……ぁ……」
「言え」
「…………ぁ、く……っ」
このまま死ぬのかな、ふとそんなことが頭に浮かぶ。
全てを1から説明した所で、きっと理解してもらえない。前世の記憶があって、もしかしたら家入海月さんに前世で会ったことがあるかもしれない、なんて。馬鹿げた話だと、どうせ苦しい言い訳だと笑われて罵倒される。
だから、こうして終わるのは仕方ない。わざとではないにしても家入さんに呪言を放ち、呪ってしまった。私のせいで傷ついた人がいる。やったことの責任は取らなくては。
(……っ、)
涙が頬を伝って流れ落ちた。
両親は呪術師になることを反対していたし、呪言が使えるようになってからは急によそよそしくなって離れていった。友達と呼べるほど仲の良い人もいない。呪言で間違って呪うのが怖くて逃げ続けた人生だった。変わりたいと思ったけれど、端から無理だったのかもしれない。きっとだれも……あ、兄だけは悲しんでくれるかもしれないな。
夏希ちゃん=@
「っ、」
酸欠でボーッとする頭に、何故か先輩≠フ声が響く。優しい眼差しで、愛おしさを込めて口から紡がれる言葉に何度胸をときめかせただろう。不安を吹き飛ばし、幸せな気持ちにさせてくれる魔法のような声。
(最期に思い出すのが、貴方なんて)
手の力が抜ける。意識が混濁していく。
目の前が暗くなって…………。
「悟……!」
「……っ、みつき」
「止めろ、生徒相手に何やってんだ!」
突然響いた第三者の声。それと同時に首の圧迫感が一気に離されて解放する。待ち望んでいた酸素のはずなのに、むせ返り上手く吸えず身体も力が入らない。その場に倒れ込んだ。
「…っげほッ……」
「……大丈夫、もう大丈夫だからね。ゆっくり、ゆっくり息を吸ってごらん。ん、……そう、上手だ」
身体を支えてくれた人の顔を見上げる。茶色い瞳と交差した。驚きで目を丸くする。そんな私に微笑みかけると、そのまま身体を抱き上げた。驚きで身を固くするも、包まれるような温もりに自然と力が抜けていく。
(……っ……)
「……」
「……悟、彼女は連れて行く。そもそも治療の途中だった。これ以上は身体に障る」
「……海月、だけど」
「悟」
「……っ、」
短く名前を呼ばれ、動揺したような表情を浮かべていた先生は開きかけた口を閉じて、無言で一歩後ろへ下がった。
「…………上層部には僕から上手く言っておく」
「ああ、頼んだ」
「後で医務室へ行くから、待ってて」
「りょーかい」
ひらひらと手を振ると重い扉に手をかけ、廊下へと出た。
「……ごめんね」
「……!」
「悟は高専時代の同級生で、友人なんだ。最強なんて言われてるけど……本当は誰よりも仲間思いで真っ直ぐで、優しい奴なんだ。でも、あれは……怖かっただろう。ごめん」
柚子色の炎のような反転術式が、喉元を覆う。心地良い温もりにボーッとベッドに横たわったまま天井を見つめていたが、不意にかかった声に視線を向けた。頭を下げて謝る家入さんの姿に、思わず起き上がる。
「っ」
違うと言うように、必死に頭を横に振る。家入さんが謝るようなことは何もない。五条先生だって、怒るのは当然だ。むしろ謝らなきゃいけないのは……。
「……っ、」
人差し指で耳介を指さす。声を出さないように気をつけながら口を開けて、パクパクと動かした。
「……?……もしかして、聴覚を呪力で保護して欲しい?」
「!」
正解だと、何度も頷く。家入さんが呪力を耳に当てるのを確認し、拳をぎゅっと握って力を込めた。
「…………っ、」
「……」
「……ご、ごめんな、さい」
情けなく震える口元。戦闘以外で久しぶりに話す声は拙い。それでも気持ちが伝わるように、万が一でも呪いがこもらないように言葉としては不自然に区切って話す。それと同時に深く頭を下げた。許されないことをした。けど、謝罪することでしかこの気持ちを伝えられない。家入さんが先輩≠ゥどうか今は関係ない。不用意に話したせいで家入さんは倒れた。謝っても、謝りきれない。
「……っ、」
「俺は何ともないよ。むしろ最近忙しくて中々寝れてなかったから、ぐっすり眠れて良かったかもしれないな」
頭にポンと乗る温かい手。家入さんの優しさが声や温もりから伝わってくるようだ。先輩≠フ手もいつも温かかったなと思い出し、こみ上げてくる涙を堪える。
「……聞いてもいい?」
「…………」
家入さんの問う声に、顔を上げて視線を合わせるとこくんと頷いた。
「あの時キミはかいと先輩≠チて言ったけど、もしかして知り合いだった?」
「……っ……」
「俺に似てたりしたのかな」
「…………、」
(っ覚えて……ない?それとも、勘違いだった?……)
首を傾げる家入さん。その反応に愕然としたショックと、ホッとした安堵のような相反する気持ちが胸の中で渦巻いた。動揺を隠すように俯く。
「もしかして、まだ具合悪い所がある?」
「……っ、」
心配するような声に、失礼だと思いながらも顔を下げたまま横へ振り否定する。今は真っ直ぐな瞳を見る勇気がない。先輩≠ニ重なる所を見つける度、高鳴る心臓。やっと逢えたと思ったのに……。
先輩≠ヘここにはいない。
その事実だけが、ズシリと身体に伸し掛かる。
もう少し横になって休もうと促されるまま、ベッドに身体を預ける。寝れるようにそっと毛布を掛け、幼子にするようにトントンとリズムよく身体をさする大きく細い手。家入さんからは見えないようにそっと涙を拭う。今は、心地良い温もりに身を任せようとそっと目を閉じた。
「海月」
「ああ……悟か。どうし、」
彼女が寝て30分ほどたっただろうか。突然ノックもなく医務室のドアが開き、入ってきたのは白髪の友。入ってくるなり、いきなり抱きついてくる。そしてそのまま無言で、身体を預けてきた。思わず半歩後ろに下がったが、そこでなんとか踏ん張って堪える。
「…………」
「悟?」
「…………」
高身長の彼だが、何故か今は子どものように小さく見えた。名前を呼んでも応えず、代わりにギュッと回された腕に力が入って少し痛いくらいだ。
「……悟、」
「…………」
「心配かけてごめん」
応えるように腕を彼の背に回して、そっと力を込める。すると、長いため息をついた後にやっと腕の力が抜けた。
「心配した」
「だから、ごめんって」
「いーや、海月は分かってない。昔から変わってないよ、ガキの頃からずっとお人好しだ。特大のバカがつくほどのお人好しめ!」
「はぁ?」
「……ったく……もう……ホントにさ、」
「…………」
強引に頭をガシガシと掻いた手で、黒い布を取る。シュルリと音を立てて外れ、青い瞳が見えてくる。六眼と呼ばれる五条悟を最強にしている瞳が、隠し事などさせないと言わんばかりに真っ直ぐこちらを見る。
「本当に、身体は何ともないんだな」
「なんともないよ」
「狗巻葵希とは、何があった?」
「……なにも」
「海月」
「……ただ、間違えて名前を呼ばれただけだ。倒れたのは……至近距離で呪言の乗った自身とは異なる名前を聞いたからだと思う。疑うなら彼女に確認してもらっても構わない」
「……分かった」
「ただし、聞き方と態度には気をつけろよ。さっきのは……流石にあり得ない」
「……、分かってる」
「呪言師として人生の殆どを生きてきた彼女が、説明したり話すことが苦手なのは悟も了承済みの筈だ。不用意に呪わないために普段は話さないし、呪言の効きを良くするために言葉に繋がる筆談や手話は出来ない。ジェスチャーも必要最低限で行っている。まだ高専に入りたての若い芽を、潰すような真似だけはするなよ」
分かってるともう一度答えると、青い瞳がキラリと光る。じっと海月を見つめた。
「今日初めて会った割に、葵希のことよく知ってるね」
「……これでも校医なんで、生徒のプロフィールくらいは頭に入ってるさ。それに、2年に狗巻棘がいるだろ。今度妹が来るんだって、耳にタコができるほど聞かされたよ」
「おにぎり語で?」
「おにぎり語で」
クスリと、五条が笑う。つられるように海月も声に出して笑った。心地良い笑い声が医務室に響く。
「あ、そうだ。今夜暇?硝子が珍しく夜は帰れるらしくて、皆で飲みに行こうかって話してたんだけど……」
「みんな?」
「いつものメンバーだよ。俺、硝子、伊地知さんに、七海と……」
指折り数えながら名前を呼ぶ海月。笑みを浮かべながら話す海月の顔を見ながら、仕方ないなーと大きく伸びをする。
「じゃあ僕も行くよ。そのメンバー、僕が来ないと盛り上がらないでしょ!」
「はいはい、悟も参加……っと」
「あれれ?なんか扱い雑じゃない」
「よし、そうと決まればさっさと仕事終わらせるか!」
「ねぇ、ちょっと海月!」
後ろからついてくる五条を強引に医務室から追い出し、嘆息する海月。視線を部屋の奥へ向ける。そこにはカーテンで仕切られた空間の中で眠る葵希がいる。
「………………」
(これでいい)
椅子に腰掛け、そっと目を閉じる。今でも鮮明に覚えている記憶℃Yまれたときから死んだ瞬間まで、忘れることなく覚えている。まるで忘れることは許さないと言われているようだ。
「―――――」
普段話さない彼女と同じように、音を乗せずに名前を呼ぶ。愛しさ以上の苦しさがが、息と共にふっと飛び出て消えた。
「おや、今日は皆お揃いで飲み会かい?呑気なものだね」
くくっと喉で笑い声を上げて、夜空に近いビルの屋上に1人佇む男。手にした携帯にはどこかの繁華街の防犯カメラ映像が流れている。
「…………おやおや」
カメラの前を茶色い短髪の青年が横切った瞬間、高鳴る心臓。ドキドキと自分の意思とは反して心拍を早める。身体に宿る記憶から、五条悟と行動をともにする男の身元、夏油傑との関係を思い出す。
「ふふっ、そうだったね」
離反すると決めた時より、差し出した手を弾かれたときの方が何倍も辛かった。彼なら分かってくれる、ついてきてくれると思ったのに、私ではなく悟≠選んだ。そういう意味ではないと分かっていても悲しかった。
「惨めだねぇ、夏油傑」
でも、キミの身体は僕が有効活用してあげよう。だから、安心してあの世でお眠り。
「夏油、いつまでそうしているつもりだ。早く弟達の敵をとらせろ!」
「腸相、駄目じゃないか。今日は休暇だと言ったはずだよ。のんびり過ごそう」
「っ、夏油!」
「まあまあ、焦らないで。開戦の時まで……あと少しなんだから」
「……嘘ではないな」
「タイミングは重要だ。焦っては事を仕損じるってね」
携帯を見つめながら夏油傑≠ヘ、口元に大きく弧を描いた。
***
思っていたより時間がかかった上に、短めです……。
ほんのり夏油→海月。
駄文失礼しました。