待ち合わせしていた駅前のカフェの看板が見えた。慌てて入り口のドアを開けて中へ入ると、ふんわりと優しい笑みを浮かべた店員さんが「お好きな席へどうぞ」とレジから声をかける。お昼時も過ぎ、人も疎らになった店内にお客は少ない。キョロキョロと見渡せば、テラス席から手が上がると同時に声が聞こえた。よく知っている声に安堵すると同時に足早にそちらへ向かった。
「夏希!こっち、こっちー」
「あかり、ごめんね。待った?」
「んー、15分くらい?」
答えるあかりに、もう1度ごめんと謝ると席に着いた。
「電車の遅延じゃ仕方ないよ」
「余裕を持って出たはずなんだけどね……」
今日はいつもより風が強かった。安全のため速度を落として運転していた電車。ハラハラと時計を何度も見ていたが、約束していた待ち合わせに遅刻してしまった。待たせて申し訳ない思いが溢れるが、あかりは気にしてないと明るく笑い飛ばした。
「それより、ご飯食べよ。もうお腹ペコペコだよー。夏希は、何食べる?」
「あ、待って。確かここに割引のクーポンが入ってて……」
メニューを手に取るあかりに、慌ててカバンの中から財布を取り出す夏希。家を出る前に用意したものがあるはずだ。財布のレシートを入れるスペースの隣に入れておいた小さな券をテーブルの上に4枚出した。
「え、なになに?」
「ランチメニュー限定で10%オフになるクーポンと、ドリンク1杯無料になる券なんだ。お兄ちゃんが職場の人から貰ったらしくて。今日ここに行くって言ったら、使っていいって」
「やった!ランチメニューもあと30分以内に注文すれば間に合うね」
「ね。これ、あかりの分」
「ありがとう」
2枚券をあかりへ手渡す。残りを手元へ置くと、メニューとにらめっこする。ランチメニューはパスタやビザなどの複数のメインから1つ選び、サラダ、スープがついてくるというもの。それを考えるだけでもワクワクするが、ドリンク無料券もあるため、飲み物だって選べる。
メニューには見ているだけで美味しそうな食べ物や飲み物の写真が沢山あった。あかりがオススメするだけあって、フォトジェニックなメニューも多く見られる。
「んー悩むね」
「ね、別々のやつ頼んであとで、シェアしない?ここ取り皿とか用意してくれるらしいよ」
「うん!いいね」
ワイワイとそれぞれ手にしたメニューを見ながら、雑談を交えて決めていく。木製のテーブルの上に用意されていたベルを押せば、先程レジにいた店員さんとは別の店員さんが注文用紙を手に現れた。
「ご注文はお決まりですか」
「ランチセットを2つお願いします。えっと、メインは菜の花パスタとマルゲリータで、飲み物は……」
代表してあかりがテンポよく注文を伝える。2人それぞれで伝えてもいいのだが、この方がややこしくなくていい。聞き漏らすことなく、紙へメモした店員さんは再度注文を繰り返した。
「以上で大丈夫でしょうか?」
「はい」
「あ、あかり!」
「あ……そうだった!」
小声あかりへ声をかければ、思い出したように慌ててメニューの後ろのページを指さした。
「デザートも注文いいですか?」
「ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます」
食後のデザートも堪能し、最後にお願いしていた飲み物を受け取る。私はホットのカフェラテで、あかりは冷たいアイスティーだ。
ふーふーと冷ましながらゆっくりとカップの縁に口をつけて、ゴクリと飲む。甘くてほろ苦い飲み物が、喉の奥から胃の方へ流れていくのを感じる。初夏とはいえ冷房の効く室内では温かい飲み物だって悪くない。じんわり、じんわりと少しずつ身体の中から温まる感覚が好きだったりする。
「そう言えばさ」
「?」
「噂で聞いたんだけど、3年の先輩から告白されたって本当?」
「っ、な、なんで知って……」
「へへん、あかり様の情報網を侮ってもらっては困るな」
腰に手を当て、えへんとポーズするあかりに苦笑し、まだ温かいコップを両手で握る。
「まあ、夏希には大好きな彼氏がいるから、当然断ったんだろうけど。別の中学からの人だと夏希が彼氏持ちだって知らない人もいるもんね」
「………そう、だね」
「なんか、浮かない顔」
どうしたの?そう言って、真っ直ぐこちらを見る黒い瞳。そう尋ねてくれるのを、内心期待していたのかもしれない。重い口がゆっくりと開く。
「……明日ね、誕生日なんだ」
「知ってるよ。確か、継峰先輩日本に帰って来てるんじゃなかった?付き合ってから初めて一緒に誕生日を過ごせそうだって、喜んでたよね」
「……うん」
中学1年生の頃。初恋だった継峰先輩から告白され、付き合い始めて3年になる。付き合い始めてすぐ先輩は海外と日本を往復する日々が始まり、半年なんてまだ短い方で長いと1年近く会えないこともあった。だから、今月帰国すると聞いて驚いた。初めて一緒に誕生日を過ごせるかもしれない。それだけで胸が高鳴った。けど、
「……先輩から、連絡がなくて」
「え、誕生日明日でしょ!?」
「……うん」
「ありえない……」
「っあ、でもね!先輩こっち戻ってきてからも色々やらなきゃいけないことあるみたいで、会うの難しいかもって言ってたし、沢田先輩達も忙しそうで……だから、」
「……」
「……仕方ないよ、」
先輩は会う度に背が伸び、髪が伸び、筋肉がついてカッコよくなっていく。英語だけでなくイタリア語や、その他の言語もどんどん流暢に話せるようになり、知らないことや想像もできないようなことも沢山経験してきている。夢に向かって突き進む先輩の姿はとても……とても素敵で尊敬している。
それに、海外へ行っている間も、日本へ戻ってきているときも先輩は優しくしてくれる。彼女としても、本当に……大切にしてもらっていると思う。
「…………」
でも、たまにふと思うのだ。
先輩だけ、どんどん大人になっていく。大人の世界へ行ってしまう。どうしたって、先輩には追いつけない。
私はこんなにもまだ子どもなのに。
もし、先輩が旅先で素敵な女の人に出会ったら?
一人でいる方が楽だと思うようになったら?
そんなたらればを考えても仕方ないのに。
でも、そんな不安をそのまま先輩にぶつける勇気なんてなくて。見た目も中身も幼い私が出来ることといえば、理解ある大人な彼女を演じることだけだ。
寂しいなんて、
もっと逢いたいなんて、
ふれあいたいなんて、
……ずっと側にいて欲しいなんて、
「…………」
言えるわけない。
「……夏希さ、」
沈黙を保っていたあかりが、ゆっくりと口を開く。アイスティーが入ったコップに刺さるストローをクルリと回しながら、こちらを向く。
「相手の立場や気持ちを考えるのは良いことだと思うよ。夏希の良いところでもある。でも、相手の気持ちを推し量るばかりでは前へ進めないんじゃないかな」
「…………」
「相手の気持ちだって、見誤ることだってある。私達は人の心の中まで見える訳ではないんだから」
「………、…」
「夏希」
「…………うん」
何故か今は真っ直ぐ見つめるあかりの目が見れない。避けるように、冷めてきたカップに手を添えた。
「今日夏希が幸せそうなら、これ……渡すつもりじゃなかったんだけど、」
ガサリ、鞄の中から何か紙を出す音がした。視線を向ければ、真っ白な紙に数字が書かれたメモ。
「夏希が告白された、3年の先輩から渡されたんだ。友達からでもいいから、夏希と連絡とりたいって。これ、携帯番号。気が向いたらでいいから電話でも、ショートメッセージでもして欲しいって」
「……困るよ」
「まあまあ、難しく考えなくていいんじゃない?まだ16……いや夏希は15か。世の中男は継峰先輩だけじゃないんだし、交友関係広めてみたら?」
「…………」
強引に手渡された紙。
ノートの切れ端のような小さなメモなのに、何故かずしりと重く感じた。
「………ナツ、もう少しかかりそうだからテレビでも見て待ってて」
「はーい」
誕生日当日。
母は夜勤で、父は県外出張中。珍しく仕事から定時で帰ってきた兄がケーキを買ってきてくれた。駅前に出来た新しい人気のケーキ屋さんだ。夕食の後に食べようと、冷蔵庫で出番を待っている。
兄手作りのいつもより少し豪華な夕食。仕事で疲れているだろうに、誕生日だからと一人で作業をこなしていく。そんな後ろ姿をボーッと見ながら携帯電話をチラリと見る。
通知を告げる音はないのだから、メッセージがあるわけないのにそれでもトーク画面を開く。落胆すると分かっていながら、繰り返される行為。小さく溜息が溢れた。忙しくて会えないのは仕方ない。今までだってそうだったんだから。でも……。
(誕生日、忘れられたことないのに)
メッセージの1つくらい送ってくれてもいいのにといじける気持ち半分。まさか、忘れられちゃったのではと不安半分。
「…………はぁ…」
溜息をつきながら、何となくネット記事を見ていると不意に目に飛び込んでくる文字。
付き合って3年目の倦怠期
愛から情になって浮気が増える
「…………」
いや、まさか。
そう思うも、ドキリと心臓が跳ねた。
もし、先輩に他に好きな人が出来たら……。
私は素直に先輩を応援出来るのだろうか。離れることが正解だと分かっていても、幸せになって下さいと笑って言える……?
想像するだけで、胸が苦しくなる。
携帯をギュッと強く握りしめた時だった。
ピンポーン、と来客を告げる音がリビングに響く。一瞬驚くも、そう言えば母が通販で買った雑貨が届くと言ってた気がする。兄は料理中で手が離せない。出るね、と声をかけて足早に玄関へ。サンダルに足を通し、鍵を回して、戸を開ける。
「はーい…………っ、」
目に飛び込んできた光景に、思わず後ずさる。
なんで、どうして、
そんな言葉ばかりが思考を邪魔する。
「夏希ちゃん」
そう告げるのは、珍しく黒いスーツを身につけた黒髪の青年。最後に会ったときよりまた髪が伸びているようで、後ろで1つにまとめられている。ずっと、ずっと会いたかった、大好きな人。
変わらない金の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「……海人せんぱ、い……?」
「突然ごめんね、連絡しようと思ったんだけど携帯充電切れちゃって。この時間なら家にいるかもって押しかけちゃった」
「え、あ……そう、だったんですね」
呆然と答えれば、すまなそうに眉を下げる先輩。その顔は一目で分かるほど疲労感で満ちていて、慌ててドアを大きく開ける。
「とりあえず、中入って下さい。今日母も父もいなくて……兄はいるんですけど、ちょっと料理中で……」
「お、海人くん久しぶり!」
「お兄ちゃん!?」
後ろからかかる声に驚いて振り返れば、ニヤリと笑った兄がお玉を持ったまま立っていた。
「結希さん、お久しぶりです」
「おう、海人くんは……ナツを迎えに来たのかな」
「……え?」
「あれ、違う?」
兄の言葉に戸惑っていると、不意に腰に手を回されて引き寄せられる。赤面する私を他所に「20時までには送ります」「帰ってきたら夕食食べていってくれよ」「ありがとうございます」と次々に話しが進んでいく。
「え、あ、あの!」
「夏希さん、お預かりします」
「おう、いってらっしゃいー!」
バタン、
混乱する中笑顔の兄に上着を渡され、ドアを閉められる。何が起きているのか思考が追いつかないまま、先輩に手を引かれて道路へ出る。
「先輩……?」
「はい、これ」
思わず先輩を見上げれば、黒くて丸いものを渡される。
「……ヘルメット?」
疑問を含んだ声に、微笑んだ先輩。気づけば同じように先輩の手にもヘルメットが握られていた。そして、先輩の指差す方には兄が乗るような真っ黒な大型バイクが1台止まっていた。
「夏希ちゃん」
「は、はい」
「ちょっと、ドライブしようか」
そう言いながら優しく差し出された手。
未だに混乱していたが、迷わずそっと右手を重ねた。
「しっかりつかまっててね」
兄以外でバイクに二人乗りするのは初めてだった。落ちないように、腰に手を回すため自然と密着する身体。先輩の背中ってこんなに大きかったっけ、なんて見上げてふと思う。普段こんなに強く、長い間先輩とくっついていることはない。愛おしさが溢れて泣きそうになる。先輩の顔が見えないのがせめてもの救いかもしれない。
ビュンビュンと風が身体を吹き付けては、流れていくのを身体で感じる。ドライブを楽しむというよりも先輩と1つになってどこまでも一緒に行けそうな感覚が、嬉しい。未だに知らされていない目的地だが、まだ着かないで、と願ってしまう。
「着いたよ」
時間にしてみればあっという間だったのかもしれない。それでもまだ、もっとと強欲になってしまうくらい、幸せな時間だった。
「ここ……」
「前にお兄さんに教えてもらって来たことがあるんだ」
「ふふ、プライベートビーチって言ってる所ですか?」
「そうそう」
思い出し笑いをすれば、同じように微笑む先輩がいる。砂に足を取られないようにと、差し出された手を握り、波打ち際まで歩いた。私に合わせてゆっくりと歩いてくれる優しさが心に染みる。
「うわぁー……」
不意に立ち止まった先輩。同じように視線を前に向けると、真っ赤な夕日が目に飛び込む。眩しいほどの赤とオレンジと金の光が海に反射して、キラキラと光った。まるで宝石のような輝きと、圧倒される力強さに思わず息を飲んだ。
「夏希ちゃんと、二人でこの夕日を見たかったんだ」
「海人先輩……」
「お誕生日、おめでとう」
「っ、」
そう言いながら、先輩はポケットから小さな白い箱を取り出す。手のひらに乗るサイズの箱を開けると中から深い青色の加工された石がついたペンダントが入っていた。
「っ、これ…………」
「高いものでなくて申し訳ないんだけど、夏希ちゃんに似合うと思って」
震える手で箱を受け取り、中のネックレスをそっと手のひらに置いた。夕日に反射してキラリと光る金色の輝き。それを抱くように海のように深い青が優しく包み込む。
「嬉しい、です。っありがとうございます」
「……良かった」
笑みを浮かべてお礼を伝えれば、安堵したような表情を浮かべる先輩。プレゼントを買うとき、私のことを考えてくれたんだと、その表情を見るだけで伝わってきて嬉しくなる。
「……つけてもいいかな」
「っ、はい」
そっとネックレスを受け取ると、留め金を外して前から手を首の後ろへ回す。途端に近くなる距離に、身体中の血液が沸騰するのではないかと思うほど熱くなる。少し顔を動かせば触れる距離。先輩の呼吸音すら聞こえてきそうだ。
「っ、」
「はい、ついたよ」
やっぱり夏希ちゃんに似合う。
そういって笑う先輩に、愛しさが溢れる。少し前まで感じていた不安なんてどこにもなくて、今はただこの温もりに触れて包まれたい。触れていたいと欲求のおもむくままに手を伸ばして先輩の手に触れた。
「せんぱい」
「……夏希ちゃん」
こんなに幸せでいいんだろうか、
そう思いながら交差する金と黒の瞳。ゆっくり瞳を閉じれば唇に触れる温もり。
一緒にいたいと願うのは我儘かもしれない。
いつか、終わってしまう危うい関係かもしれない。
そんな不安が過ぎる時もある。
でも、そんな不安も憂鬱も一瞬で愛しさに変わる。
先輩の声を聴いて、
笑顔を見て、
触れるだけで。
「海人先輩、」
「夏希ちゃん?」
「……先輩、すきです。大好きです」
「……っ、」
目を丸くして息を飲む先輩。次の瞬間には、金色の瞳が濃くなって優しい輝きに変わる。頬に触れる手が熱い。
「俺も……夏希ちゃんが、好きだよ」
幸せの音が響いた。
「そういえば……先輩って、バイク持ってたんですか?」
「バイクは恭弥からの借り物。先月、やっと免許とってから1年経って、二人乗りできるようになったから始めに夏希ちゃんを乗せてあげたくて」
「っ、あ、あの……!」
「うん?」
「また、一緒に乗せてもらってもいいですか?」
「もちろん」
***
甘酸っぱい2人が書きたかったはずなのに、色々迷子になってしまいました……。海人くんはボンゴレ関連で本当に忙しくて、連絡出来ずにいたけど誕生日は忘れてなくて無理して仕事終わらせて会いに来てます。
好きな人とバイク二人乗り憧れます。ギュッとしたい。海人くんもバイク似合うけど、空人くんの方がカッコよく乗り回しそう。海人くんは手を繋いで徒歩が1番ほんわしていて似合うかな?
駄文失礼しました。