お兄ちゃんの大事な用事

「陽人ー、今日はサンキューな!助かった」

上げられた右手に合わせて自身の手を上げて、パシンと気持ちのいい音を立たてハイタッチを交わす。

野球部のユニフォームを来た男子生徒が、陽人と呼んだもう1人の男子生徒に向かい笑みを浮かべる。

「あそこで逆転ホームランするなんて、流石だぜ!」

「感謝の気持ちは、ジュース1本で頼むよ」

「ハハッ、りょーかい!その代わり来月もまた頼むわ」

「いいよ」

額を流れる汗を拭き、飲んでいたスポーツドリンクをゴクリと飲み干す。

夏の暑さは、8月を半ばを過ぎた今日も続いており、今日の最高気温は36℃予想。野球の試合中の体感気温としてはもっと上をいくだろう。雨も暫く降っていないため、グラウンドの地面は土埃が舞っていた。母さんも元気のない庭の草花を眺めては、ため息をついていた記憶は新しい。

いつになったら秋の足音が近づいてくるのか……気配を微塵とも感じない強い日差しにため息をつきながら空になった水筒の蓋を閉める。

「あ、でも来月はバスケ部に応援頼まれてたからどうかな……後で日にち確認してみるわ」

「……ほんと、陽人って運動神経いいから羨ましいよ」

「代わりに勉強はイマイチだけどな」

「そうだっけ?」

「知らないことを知っていくこと自体は嫌いじゃないんだ。どうして空が青いのか、海は広いのか。言語が多様化していったのか……知れば知るほど世界が違って見える。ワクワクするよ。でも、テストみたいに興味のないことを無理矢理覚えるのが好きじゃないっていうか……」

「ふーん……」

「特に文章問題とかさ、読んでるはずなのに内容が頭の中に入ってこないんだ……分かる?」

「あー……確かに俺も読書感想文とか嫌いだけど、ゲームの攻略本ならどんなに厚くても最後まで読めるし、内容も覚えようと思った訳じゃなくても忘れないかもな」

「そうそう、そういう感じ。どっちかっていうと、勉強は弟の方が得意だから」

「朔人か、」

「そうそう。朔人は文武両道で、どっちも卒無くこなすから凄い」

水筒や使ったタオルを鞄に入れながら、頷く。タオルで拭いたくらいでは汗のベタベタ感は消えない。こりゃー帰ったら、シャワーだな。

「あ……そういやさ、こんなこと聞いていいか分からないんだけど」

「ん?」

少し言いづらそうに視線を泳がせる友人に、バックのファスナーを動かす手を止めて向き合う。

「朔人、大丈夫か?最近あいつクラスで浮いてる……っつーか、あんまいい噂聞かないからさ。俺は、小学校からお前達のこと知ってるから朔人がいいヤツだって分かってるけどさ。半分以上は別の小学校からだから……誤解、してるんじゃないかって」

「………」

「心配なんだよ。入学して暫くは普通だったのに、急に態度変わってさ。しかも、1年なのに風紀委員長になって……応接室占拠したって噂になってるし」

「あー……」

「本人と話をしようにも、なんか……聞きにくいしさ、陽人なら知ってるんじゃないか?」

本当に心配してくれているんだろう。不安そうに瞳を揺らす友人の肩に手を置き、苦笑する。

「風紀委員長の件は気にしなくていいよ。雲雀恭弥って知らない?多分親に聞いたらわかると思うけど、昔並盛中で伝説になってた人でさ、縁あって俺ら小さい頃から仲良いんだけど、特に朔人は憧れてるんだよね。だから、中学入ったら風紀委員長になるのは昔から言ってたことだよ」

「へー、雲雀恭弥……帰ったら聞いてみるわ」

「うん。素行の問題はさ……うん、まぁ……長い目で見てやって欲しい。ありがとな、気にしてくれて」

「いや、俺はいいんだけどさ。朔人がいいヤツなのに、誤解されるの勿体ないからな」

恥ずかしそうに照れて頭をかく友人にもう1度笑みを浮かべ、リュックを手に取る。肩に持ち手をかけると片手を上げた。

「んじゃ、俺もう行くわ」

「あれ?この後コーチの奢りで皆でアイス食べに行くけど……行かないの?」

楽しみにしてたじゃん、と首を傾げる友人に手を振りながら応える。
 
「今日、ちょっと用事入ってさ」

「用事?」

「うん。大事な用事」

ニカッと太陽のような笑みを浮かべる。右目の金眼が光に反射してキラキラと宝石のように輝いた。呆気にとられる友人に背を向け、迷いなく歩き出した。







「みーつけた」

並盛商店街の奥にあるゲーム屋の前でたむろする数人の中学生。ブレザーをだらしなく羽織り、ワイシャツを着ること無く赤や黒の派手なTシャツを着ている。髪が黒いものは1人もいない。

夏の昼下がりの暑い道には、人通りは少なく不良の姿が余計に目立つ。

「あぁ?」

「誰だ、テメェ」

陽人の声に怪訝な顔で振り返る不良。1番手前にいた下っ端だろうか、茶髪の生徒が立ち上がってガンを飛ばす。

「いち、にー、さん……うん、6人みんないる」

睨みつける不良など目に入らないのか、人数を数えた陽人は満足そうに頷いた。

「やっぱ、掃除は一度にするに限るよな。何度もしてたら面倒だしさ」

「何言ってんだコイツ」

うんうん、と頷く陽人。噛み合わなさに怪訝な表情を浮かべる不良達。

「ぶっ殺すぞ、テメェ!」

前に躍り出てきていた茶髪の生徒。勢いのままに何もせず立っているだけの陽人に向かって、拳を振り上げる。

「オラッ!!」

強く握りしめられた拳を顔面目掛けて、振り下ろす。腕の力がこめられた拳は風を切って陽人の頬に……当たるはずだった。パシンという音と共に拳が止まった場所は、手の平だった。

「なっ!」

「おいおい、こんなヘロヘロパンチじゃ障子すら破れないんじゃない?」

「っふざけんな!」

「おーっと」

額に血管を浮かべ真っ赤な顔をした不良が、止められた拳で今度は陽人の胸ぐらをつかむ。そのまま反対の手で殴りつけた。

すかさず陽人がその手を掴むとそのまま足払いをして、地面へ転がす。勢いよく地面に叩きつけられ、苦痛の声が上がるが、それには構わずそのまま倒れた不良の局部を蹴り上げる。

「ッグハ!!」

痛みにもだえ苦しむ様子を物ともせず、不良の身体をわざと踏みつけて乗り越える。呆気にとられる他の不良達の前に立つとにっこりと笑った。

「なあ、この顔≠ニ猫≠ノ覚えは?」

「ハァ?てめえ急に現れて訳わからねーこと言ってんじゃねーよ!!」

「こんなことしてタダですむと思うなっ!」

「ふーん。まあ、いいか」

全員思い出すまで、手伝ってあげる
それが、戦闘開始の合図だった。



「ッおらぁあ!!」

残る5人が一斉に陽人に襲い掛かる。多くは拳で向かってくるが、2人ほど金属バットを持った不良もいた。

圧倒的不利な状況にも関わらず、終始余裕な表情を浮かべる陽人。襲い掛かる2つの拳を避けつつ、振り下ろされたバットに回し蹴りを入れて軌道をずらす。固いアスファルトの地面に打ち付けられたバットが、カーンと高い音を響かせた。

驚く不良達を気にすることもなく、今度は別の拳を避けつつ、姿勢を低くして蹴りをかわす。空を切った足が地面に付く前に掴むと、そのまま遠心力に任せて回してパッと手を離す。バランスを崩した不良の頬を思いっきり殴り飛ばした。人を殴る不快な感触と共に不良の身体が地面に吹っ飛ぶ。アスファルトに擦れてできた裂傷と、殴られた痛みに絶叫する。地面には抜けた歯がコロリと転がっていた。

「あああぁ!!」

「はぁ……こういうの、俺好きじゃないんだよね」

仲間の叫び声に、恐ろしいものを見るような視線を向ける残りの不良達。ため息をつく陽人。

「だってさ、弱い物いじめみたいじゃん」

「ってめぇ!!!」

残る4人の内、勢いよく飛び出したバットを持った1人。振り上げたバットをバク転してサラリと避ける。再びバットを振り上げて走ってくる男。今度はバッドの軌道を完璧に読み取りすれすれで避けると、がら空きの胴体に回し蹴りを入れる。

唾液を吐いてうずくまる不利の頭部に、肘打ちを入れるとそのまま成すすべもなく崩れ落ちた。

「あと3人」

真っ直ぐで長い指をピシッと3本立てて笑う陽人。
残りの不良は倒れた仲間と陽人を交互に見ながら、初めて焦りの表情を浮かべた。

「正直さ、こんなことしてるなら早く家に帰ってシャワー浴びたいわけ。今日恭弥にーちゃんが来る日だから遅れたら噛み殺されるし。そもそも、俺は喧嘩とか好きじゃないんだ。身体動かすならスポーツしてたい」

「な、なに言って、」

「でも、今回は別。言っても分からないやつにはお仕置きが必要だよな?」

陽人の右目がギラリと光る。昼間だと言うのに、金の輝きが離れた不良達にも分かった。左は黒色なのに、右目は金瞳。日本人には異質なその輝きを見た瞬間、不良の1人が声を上げる。

「っ、気持ちわりー目してんじゃねーよ!!バケモン!」

「…………」

「思い出したぞっ……テメェ、1年の継峰だな?お前の弟には、仲間が散々世話になったんだ!このまま引き下がると思うなよっ!」

「ハハッ」

「っなにが可笑しい!?」

「ああ、ごめんごめん。俺、怒りが込み上げてくると逆に笑っちゃうんだ」

「ふざけてんじゃ、」

言い終わるより先に不良の身体が吹っ飛んだ。自販機のゴミ箱に突っ込み、頭からジュースの空き缶をかぶる。その体はピクリとも動かない。

「…………っ、」

「あと、2人」

「ひ、卑怯だぞ、話してる途中だったじゃねーか!」

残された不良は、うわずった声で陽人を指さして非難する。陽人は乾いた笑みを受かべながら、気絶した不良が持っていたバットを手にとった。

「スポーツじゃないんだから、スポーツマンシップに則って正々堂々するとでも思った?冗談だろ、これはただの復讐。よーいドンで始める競技じゃないんだわ」

「っ、グハァ!」

バットを振り回すと、一撃で不良を落とす。残された不良は、恐怖の表情を浮かべて後ずさる。

「アンタで最後だな」

「っ、ひ、」

動けずにその場で固まる不良に冷たい視線を送る。無抵抗の相手にも関わらず、思いっきりバットを腹部へ振り回した。

「っ、ぐぁあ!!」

「ねぇ、聞こえてる?」

おーい、と口元に手を当てて話すも返答がなく、小首を傾げる。倒れた不良の前髪を掴むと、強引に引っ張った。

「っあ……、…っやめ…」

「これに懲りたら、野良猫で遊ぶの止めるんだな」

「っや、止める!だから、もう勘弁し、」

「俺は優しくないからさ、次は……ない。誰も見てないと思ってても、見てる%zは沢山いるんだぜ?」

「わ、分かりました……っ!」

恐怖でブルブルと震える不良の頭から手を離す。勢いよく地面にぶつかり、再び悲鳴を上げる。

「あ、それと」

「っ、は、はい!」

「これ、父さん譲りの大切な目で、俺と朔人の宝物なんだ。結構俺は気に入ってる」

「っ、はい」

「性懲りもなくまた弟に余計なこと言ったら……お前等、こうだから」

右手親指を首に当て、スッと横にスライドしてにっこりと笑う陽人。涙を浮かべながら必死に頷く不良。

「よし、じゃあ解散ー!」

明るい声で終わりを告げた陽人。
恐怖から開放された不良は、あっさり意識を手放した。







「遅かったね。3分遅刻だよ」

「え、まだ7分前じゃん!」

「10分前行動は基本だ」

「えー」

走って家に帰ると、黒い車が玄関の前に止まっていた。家の中に入ると案の定、渋い顔をしたスーツ姿の男性がダイニングチェアに腰をかけてコーヒーを飲んでいた。

「あれ、朔人は?」

「二階の戸締まり。朔人、なんだか今日は機嫌良かったけど知ってるかい?」

「えー、なんだろ……。なぁ、恭弥にーちゃんシャワー浴びてきていい?汗で気持ち悪くて」

「……それはスポーツでの汗?」

陽人の動きをじっと見ていた雲雀が、呆れたような表情を浮かべて問う。

「当たり前じゃん、恭弥にーちゃんや朔人じゃないんだから、俺は戦闘には興味ないの」

「陽人……いい度胸だね、久しぶりに稽古つけてあげる」

「ちょっ、止めろってー!」

仕込みトンファーを避けながら、浴室へ駆け込む。ため息とともに雲雀の気配が消えた。

「5分であがりなよ」

「無茶言うなー……」

汗でベタつく服を脱ぎながら、呟く。

今日の夕飯、どこ連れて行ってくれるんだろう?
期待に胸を膨らませ、自然と頬が緩んだ。






***

継峰家、双子兄のお話。前作の裏側。
双子弟と違って喧嘩よりスポーツ派。でも、喧嘩も得意。普段はのほほんとしていてツナ達と遊んでる時の海人くんに似ている。クラスでもムードメーカー。ただしキレたら怖い。

朔人くんが喧嘩漬けになったきっかけの1つに、不良の並盛生徒から言われたお前の目、バケモノみたいで気持ち悪い≠ェあって。朔人くん自身も負けずとボコボコにしてますが、弟大好きお兄ちゃんも、ちゃんと復讐してます。猫ちゃんを虐めてたりしてたので、その復讐も兼ねています。(陽人くんには父譲りで生き物と会話が出来て、猫から事情を聞いた)

……なんて、妄想話でした。楽しかった。
乱文失礼しました。

父と息子

「冷蔵庫にお昼用意してあるからね。あと午前中に庭の水やりお願い」

「……姉貴達は?」

「もう部活行ったよ。暑いから午前中で終わりにするとかで早く出て行ったみたい」

「ふーん……」

「夕方雲雀さん来るって言ってたかな。ご飯連れて行ってくれるって。出かけてもいいけど16時までには家にいてね」

「わかってるって、」

忙しそうに鞄にお弁当を詰め、自動車の鍵を手にする母。眠そうに欠伸をすれば、苦笑して頭をガシガシと少し乱暴に撫でる。

「ちょ、止めろっ!」

「ふふ、いいじゃない。あ、もう行かなきゃ……」

時計を見た母は、優しく笑うと手を頭から離した。

「じゃあ、行ってきます」

「…………行ってらっしゃい」

明るい声で手を振り、青い軽自動車の運転席に乗り込む母。エンジンが付き、軽快な音をたてて発進した。今日は遅番だから、帰って来るのは20時過ぎだろう。

誰もいなくなった家の玄関の鍵をかける。
ガチャリと音が響いた。

顔を洗ってリビングに戻ると、ダイニングテーブルに腰をかける。誰もいない部屋は広く、夏だと言うのに寒く感じた。テーブルの上のリモコンを手に取り、エアコンの設定を1℃上げる。電子音が響くと同時にエアコンが動いた。

「…………」

テーブルに用意された朝食。
焼き立てのフレンチトースト。ブロッコリーのサラダが小鉢に乗り、バナナが1本傍に置かれている。透明のコップの中には冷たい牛乳がたっぷりと入っている。

「……いただきます」

誰もいないのに、自然と口から出る言葉。
たいして食欲がないと思っていたが、目の前にあると何故かごくりと唾を飲む自分がいた。





朝ご飯を食べ終えて流しに運ぶ。蛇口から水を出して食器を軽くすすぐ。しっかり洗うのは後でまとめてすることにして、リビングから続く庭へ出た。

夏は折り返しとはいえ、日差しはまだまだ強い。ジリジリと頭頂部が熱くなってきた。帽子を持ってくればよかったかと今さらながらに思う。しかも、炎天下で温められたサンダルは火傷するんじゃないかと思うくらい熱くなっていた。

早く済ませようと、花壇脇に設置されている立水栓につけられたホースを手に取り引っ張る。シュルっと軽やかな音と共に水色のホースが足元に溜まっていく。ある程度引っ張った所で蛇口を回し、シャワーを出した。

母さんの趣味であるガーデニングは1つの植木鉢から始めたという。それがあれよあれよと多くなり、今や近所で知らない人はいないし、特にバラの咲く時期は家の前を通り過ぎる通行人ですら足を止めるほどだ。今はひまわりを中心に、夏の花々が庭を彩っている。

だが、夏のガーデニングは楽ではない。

夏の暑さが続き雨が降らないため、毎日水遣りが必要な上、夏は雑草も多く抜いても2日もすると生えてくる。虫も多く、晩は蚊も出る。

それでも、休みの日になると母が早起きして楽しそうに手入れをする姿は継峰家ではもはやおなじみの光景だ。

「……あちー」

ぐるりと時計回りで一周しながら、水をあげていく。自然と米神に汗が流れてくる。タオルは家の中だ。取りに行くのも面倒で手で拭う。

そこまで広い庭でもないので、5分もすると水やりも終わった。慣れた手つきでホースをしまい、あとは栓を閉めるだけ。ふう、と一息ついた時だった。


ボン!


何かが破裂するような音が響き、反射的に音の方へ視線を向ける。中庭から続くリビングから聞こえてきたようだ。目を凝らせば、リビングの奥の方で煙のような白い物が立ちこめていた。驚きでその場に固まる。

「ゲホ、っ……」

徐々に晴れる煙の向こうから聞こえる青年の声。
心臓がドクンと大きく跳ねた。

(まさか、泥棒……?)

玄関の鍵を閉めた記憶はある。だが、水やりをしていたためピッキングされていたとしたら気づかないかもしれない。

慌てて携帯を手に取ろうとするも、ズボンのポケットには何も触れない。水やりで濡れるのも嫌だから、テーブルの上に置いてきたことを今さらながらに思い出す。

「……っち、」

思わず舌打ちすると、辺りを見渡した。
閉まったばかりのホースの他にあるもの……園芸用のスコップと、朝顔用に購入した支柱のあまりが数本目に入る。

なにもないよりはマシだと、スコップをポケットに突っ込み、1m程の支柱を1本手に取った。慎重にリビングへ続く窓へ近寄る。

ドクドクと心臓が煩く鼓動を早める。
緊張や不安が押し寄せてきて、大きく、長く息を吐いた。息と一緒にマイナスな感情が出ていく。次第に鼓動が遠くに聞こえるようになる。

緊張感は人間のあって然るべき生理的な反応だ。だけど、それに飲まれてるようじゃいつまでも草食動物のままだよ

(分かってるって、)

何度も言われた言葉が不意に脳内に聞こえてきて、ここにはいない師に応えるようにごくりと唾を飲んだ。

ここは、俺の家だ。
父さんが遺してくれて、母さんが守ってくれているただ1つの我が家。他人に壊されてたまるものか。

「…………っ、」

カーテンの隙間から覗くと、泥棒はリビングの中心でボーっとしているようだった。

身長は、母さんより20cmほど高いだろうか。短い黒髪に、スラリと伸びた体。筋肉質ではないが、服の裾から見える腕には程よくついた筋肉が見える。Tシャツにズボンと泥棒らしからぬラフな格好をしている。30代くらいの青年だ。見たところ武器の類は見当たらない。

「…………っ、」

手に持つ支柱をギュッと握りしめ、ゆっくり数を数える。

(いーち、)

(にー、)

男は後ろを向いたままだ。
チャンスを逃す訳にはいかない。

(さんっ!)

心の中の掛け声と共に、一気に窓を開ける。ガラリと大きく音が出るが気にしない。リビングに入ると同時に履いていたサンダルを投げた。音に気を取られてこちらを向いた男の顔を狙ったつもりだったが、手で払われてしまう。

(ハッ、やるじゃねーか)

「だが……っ!」

支柱を思いっきり強く突き出す。太さもたいしてない支柱を振り回した所で攻撃力はたいしてない。だが、突き技であれば細さが逆に役立つ。しかも、振り払うために手を使った状態では防ぎきれないはず。

「……っ」

「……な、っ!」

しかし次の瞬間、突き出した支柱はすでに自身の手にはなかった。ブンッと風を切る音と共に支柱が宙を飛び、リビングの床を転がっていた。

回し蹴りで防いだのだと頭が理解すると同時に、ポケットに手を入れる。この体格差では、力勝負では勝ち目はない。不意打ちが防がれた時点で負けは濃厚。それでも、負けるわけにはいかない。

「んのやろ……っ!!」

スコップを掴む。どこでも良い、刺して痛みを与えれば逆転のチャンスもある。

スコップを大きく、振り上げて…………






「さく、と………?」







手が止まった。
そこだけ時が止まったかのようだった。

スコップを持つ手が震える。
声の主を確かめるように顔を上げた。

困惑したように驚いた表情を浮かべているのは、整った中性的な顔。そして、太陽のように力強く輝く金の瞳≠ェ瞬きもせずこちらをじっと見ていた。

「……っ、」

そんな、はずない。
だって……あり得ないだろ。







「…………とう、さん…」







いつからか分からない。
でも、気づいたときには俺の心の隅には黒く汚いモヤモヤが巣食っていた。

朔人くんって、どうしてお父さんいないの?

何気なく、悪びれもなく聞かれる質問。小さい頃は返答に詰まっていたが、いつからかニコリと笑ってかわせるようになった。それでも、父の日が近づくにつれて町のいたるところにポップが出て嫌でも目に入っては、気持ちが落ち込んだ。

姉は、外見が若い頃の父さんそっくりだという。
双子の兄は、性格が父さんに似てるという。

姉は大地の炎を受け継ぎ、兄は生き物に愛される才を受け継いだ。

俺には……何もなかった。

唯一父さんと似ている所は、左の金眼のみ。
それだって、兄は右が金眼だし、姉に至っては両目が金だ。俺だけじゃない。

このモヤモヤがなんなのか分からないまま、中学生になった。中学に入って少しは気持ちが晴れるかと思ったが、逆だった。

継峰くんって、母子家庭なんだっけ?

関係性がリセットしたせいで再び質問が飛び交う。今までのようにニコリと笑って交わせたはずなのに、何故か笑顔の変わりに舌打ちが出ていた。もう、どうでもよかった。あることで上級生に絡まれ返り討ちにしてからは、喧嘩三昧な日々を送っていた。勝っては負け、負けては勝つを繰り返した。雲雀兄ちゃんには呆れられたが、稽古したり喧嘩してる時が1番呼吸が楽だった。

俺が3歳の頃に死んだ父さん。

幼すぎた俺には父の記憶が殆どない。ただ父さんの写真や映像は沢山あったし、母さんからも耳にタコができるほど聞いているので、知識としては知っている。思い出ではないけれど。

リビングには父の写真が飾られている。毎日母が丁寧に掃除をし、庭の花や買ってきた花を生けている。今日はも朝起きて小さなひまわりを花瓶に生けていた。

アルバムには家族5人で写っている写真もあるが、何度も見ても記憶のない俺にはどこか他人事のように思えてしまう。

(やっぱ、似てねーな、)

同じ家族なのに、何故自分ばかりこうなのだろう。

モヤモヤ、モヤモヤ

嗚呼、また1つ黒い塊が増えた。






「やっぱり、朔人なんだな。ということは……10年バズーカか……」

写真に映る父そっくりな青年は、朔人の顔をじっと見つめると何か考えるようにブツブツと呟いている。

呆然と目の前で動き話している父≠上から下まで見つめる。

「…………幽霊?」

「違う違う!ほら、ちゃんと足あるだろ?」

「……足は……ある、けど…」

「な!」

慌てたようにその場でジャンプして両足があることをアピールする父。優しく笑う姿に呆気にとられた。緊張が一気に解け、その場に蹲る。

「ちょ、朔!大丈夫か!?」

「あ、ああ…」

「ごめん、あまり時間がないんだ。あと3分ほどでバズーカの効果が切れて10年前に戻らないといけない」

「……よくわかんねーけど、本当に父さんなんだな…」

座り込む俺に手を貸し、立たせた大きな手。その指には今は姉が持つ大地のリングがはめられていた。

「夏希……母さんはいる?」

「母さんは、仕事。空姉ちゃんも、陽人も学校」

「……そっか」

少し寂しそうに揺れる瞳。ズキリと胸が痛む。

「悪かったな、いたのが俺だけで」

「………なんで?」

「だって、俺なんかより母さん達に会えた方がいいだろ」

モヤ……、
まただ。また、汚い部分が増える。

ギュッと胸を押さえて俯く。なんで、こんなに可愛げがないんだろう。父に会えて嬉しいのに。驚きと喜びで膨らんだ風船がどんどん萎んでいくようだった。

「…………朔、」

「っ、」

「朔人」

ふわり、春の陽だまりのような温かさが身体を包む。まるで微温湯に包まれているかのような、干したての布団にダイブしたかのような心地よさ。

見上げれば父の腕に包まれていた。

「俺は朔人に会えて嬉しいよ」

「……っ、」

「ああ……大きくなったな。10年前の……俺の知ってる朔は、まだ3歳になったばかりでさ、陽人と一緒になって肩車せがんだり、いたずらしたり、遊んだり……今朝なんておねしょしてさ」

ハハッと底抜けに明るい声で話す父。
抱きしめる手はやっぱり母より大きくて。自身をすっぽりと覆う身体と広い背中に、どうしても父を感じてしまう。

それは初めての感覚ではなかったから。


「……っ、ど…して……」

「朔?」

「……なんで、死んじゃったんだよ、どうして、俺の傍にいてくれないだ……っ」

「…………」

「……今さら、……っこんな気持ち、思い出すなんて、」

パパ!

父をそう呼んでいた頃、確かに俺は愛されていた。

大切に抱きしめられた記憶が一気に蘇る。父が好きで、帰ってくるのが待ち遠しくて。愛してくれるのに兄弟差なんてなかった。帰ってきた父の隣で寝るのが何よりも楽しみだった。

「…………朔、」

「おれ、父さんが好きだった。大好き……だったんだ」

「うん」

「ずっと一緒に……一緒にいたかった……っ」

「……ごめん。ごめんね」

そっと、身体が離れていく。
その代わりに頭にポンっと温もりがのる。見上げれば、金の瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。

「朔人、愛してるよ」

「っ、」

「俺の大切な息子」

「……っ、ぁ…」

言葉が、身体の奥まで染みていく。
温もりが、心の奥の汚い部分を洗い流していくようだった。

ずっと、この言葉を待っていたのかもしれない。

似てないなんて、言い訳してたけど本当は……本当は、父にも愛されていたと実感したかっただけなのかもしれない。思い出がないと思っていたから、父との繋がりを欲していただけなのだろう。

「……父さん、」

「ん、」

「父さん、」

今度は俺から父に抱きつく。よろけることなく抱きしめ返してくれる大きな身体。安堵感と幸福に包まれる。

「朔、」

「なに?」

「……、そろそろ時間みたい」

その言葉にハッとする。
顔を上げれば、父が煙に包まれていっていた。

「父さんっ!」

「朔、これ……もらってもいい?」

「……え、あ……うん」

苦笑する父が手にしたのは、写真の前に生けてあったひまわり。頷けば、そっと手に取り大切に抱えた。

「ありがとう」

「っ、それ母さんが種から育てたひまわりなんだ。母さん、父さんのこと、ずっと……ずっと大切に思ってて!」

「……うん、知ってるよ。朔、」

「……っ、なに?」

「朔人」

ああ、これがきっと最後のなんだろう。
白い霧のような煙に巻かれ、父の姿が消えていく。






「愛してる」






「……っ、父さん…」

まるでそこにはなにもなかったかのように、父の姿は消えていた。ただ、夢じゃなかった証拠に床にはスコップや支柱が転がっていて、花瓶の花は消えていた。

ポタポタと、涙が頬を伝って落ちる。

消失感と寂しさが胸を締めつける。
それでも、そこには確かに温もりがあった。

「父さん……っ、」

愛していた記憶。
愛されていた記憶。

思い出せなかっただけで、温もりはいつでもここにあったんだ。

「…………っありがとう」

澄みきった雲1つない夏空に、そっと思いを告げた。







***

知識としてある思い出と、記憶している思い出って違うなーふと思い……本当はお盆にアップしたかったお話。話の都合上双子息子くんの名前を出さなきゃいけないのに、なかなか思い浮かばず……お蔵入りにしようか迷い続けて結局お盆は過ぎてしまった(泣)そして勝手に命名&設定追加すみません。しかも前書いたお話とは設定が少し違います。ややこしくてすみません……。

思春期を迎えてちょっとややこしくなっちゃった次男くん(双子弟)のお話でした。本人は似てないと思ってるけど、周りからは似てると思われてます(戦闘センスなんかが)そして1番のパパっ子だったりする。喧嘩っ早いところもあるけど、夏希ちゃんのガーデニングを1番手伝ってるのは次男くんだったりしたら萌えます。
本当は夏希ちゃんにも会わせてあげたかったですが、5分じゃ足りなかった…。ごめんね。
駄文失礼しました。

今さら、 ダークサイド

退院してから、1ヶ月がたった。
体調は問題なかったが、カウンセリングはまだ続いており、大学復帰は出来ていない。

家の中にいるだけでは筋力が落ちていくばかりなので、散歩がてら兄と夕飯の買い物に行くことにした。

「夏希!」

夕食を何にしようか話している時だった。
不意に後ろから名前を呼ぶ声。

恐る恐る振り返ると、全身いたるところに包帯を巻いた黒スーツの青年が立っていた。隣には、先日もお見舞いに来てくれた沢田先輩がいる。

自然と固まる身体。
庇うように兄が前に出る。

「今さら、何の用だ。ナツには金輪際関わるなと言ったはずだ」

「っそれは……」

「え、山本?どういうこと……?」

何も知らないのだろう。沢田先輩は困ったように結希と山本を交互に見る。

「っ、ありえねー話を聞いて、いてもたってもいられなくて……ッ夏希、海人と心中しようとしたって本当か!?」

「おい!」

兄が止めようと声をかけるが、山本先輩には聞こえていないのか、暴走する声は止まらない。

オブラートに包むことなく、ありのままの言葉をぶつけてくる。

「なあ、嘘だよな!?そ、そうだ!海人に脅されて無理矢理心中させられたんだろ!?怖くて逆らえなかったんだよな?そうだろ?」

「……違います」

「ナツ!」

兄の後ろからそっと身体を前に出すと、何故か傷だらけの山本先輩と対面する。

必死なその姿が、あの日と重なって手が震えた。

「違うって……どういうことだよ」

「……全部、私の意思です。私が、一緒に逝くと海人さんにお願いしたんです」

「なんで……」

「…………」

絶望した表情を浮かべる山本。すがりつくように前へ出るも、異常性を感じたツナに腕を引かれそれ以上前へ出ることはない。

「まさか……あいつが好きだなんて、言わねーよな…?」

「山本!もうやめ、」

「ッ、俺は振られたのに、なんで……なんで、あんなクソな奴……っ!!」

「いい加減にしてください…ッ」

叫ぶように、甲高い声が響く。
一瞬でシーンと辺りが静まりかえった。

ぽた、ぼた、
涙が地面に落ちる音で、はっとする。

「海人さ、んがどんな気持ちだったか、どんな思いで今まで生きてきたのか……少しでも、先輩は考えたことがありますか!?先輩が言っていることは、全部自分のことばかり。暴力で解決したことを自慢していた中学生の頃から、なにも……っなにも変わってない!」

大粒の涙がを拭うことなく流しながら、夏希が話す。抑えきれない怒りが込み上げてきているのを肌で感じた。

「海人さんは、過去を……憎んでいたはずなのに見ず知らずの私を何度も助けてくれた。気にかけてくれた。海人さんはとても、優しい人です!」

「ッ俺だってあの時のことは後悔したさ!でも、ずっと後悔したってもう過去は変えられない。謝罪したって、終わりがない。それなら、乗り越えていくしかないじゃねーか」

「ッ…乗り越えるなんて言葉を使って良いのは、被害者である海人さんだけです。加害者である先輩が使う言葉じゃない。何百回でも、何千回でも謝るしか……気持ちを伝えるしかないんですよ!例え許されなくても、恨まれても……それだけのことを先輩はしたんです」

「…っ、謝ってるのにいつまでも許さないのは傲慢だろ」

ぷいっと、不貞腐れたように視線をずらした山本。
そんな様子を見て、夏希は静かな声で告げる。

「なら、私は……あの日のことを許さなければいけませんか?」

「っ、」

「何回謝られても、あの時感じた恐怖や絶望の記憶は消えません。許されて前に進めるのは許された側だけ。許した被害者は、ずっと死ぬまで過去の傷を抱えて生きていしかないです。忘れたくても、忘れられない。今も兄以外の男の人と二人きりになるのは、怖くてたまらないんです」

「それは、……ッ本当にすまなかったと思ってるっ!」

夏希の言葉に一瞬食い下がる山本。
しかし、次の瞬間には顔に恐怖が浮かぶ。

「っけど、俺は仲間も親父も海人に殺されたッ!俺自身殺されかけた!昔は違うかもしれない。でも、今の海人はただの人殺しじゃねーか!」

「っやめて下さい!!」

「……ッ夏希」

「もし、そうだとしても……どうして、なんでって聞きましたか?理由も事実も確認しないで、またコイツが悪い≠ニ決めつけたんじゃないですか?それだけのことを自分がしたんだと、思いませんでしたか……?」

「俺はっ、そこまでされるようなことなんてしてない!」

「…………もう、いいです。帰って下さい」

「夏希!」

「沢田先輩も、帰って下さい」

「っ、そんなにアイツのことが好きなのかよ……」

「好きですよ、」

「っ!」

間髪入れずに答える夏希。
冷たい目で、山本を見る。

「最期を1人にしたくない。共に終わってもいいと思えるくらい、好きでした」

「嘘だッ!」

そんなこと、許されるはずがない。
俺が嫌われて、何回も話したことのないような海人が好かれるなんて。

感情が高ぶる。
勝手に口が開く。

「ッ、お前は騙されてるんだ!!あんな奴、死んで当然な」

パチンッ!!

大きな音が響き、その場にいる全員の視線が山本へ向いた。いつの間にか兄の横から山本の前に立ち、目に大粒の涙を溜めて、赤くなった手を胸の前で握る夏希。

震える手を必死に握り、山本を睨む。

「ど、……して…」

自身の左頬に痛みが走り、ようやく現状を理解したのか、叩かれた頬を押さえて呆然とする山本。

「……っ、して……」

「……なつ、き」

「っ海人さんを、返して!!」
 
「っ、」

「ッかえして…よ…っ!!」

今にも掴みかかりそうになる夏希を、結希が抱え込むように抑える。

悲鳴にも似た叫びに、冷水を浴びせられたかのように一気に心が冷える。一歩もその場から動けない、目を反らせない。

彼女は、俺が知っている夏希なのだろうか。

「っそんな風に、みんなが海人さんを傷つけるから……っ!海人さんは1人で逝ってしまった。ねぇ、どうして海人さんが死ななきゃいけなかったの!?あんなに優しい人が……暖かい人が、冷たくて真っ暗な海で、苦しみながら1人ぼっちで逝かなきゃいけなかったの?……っどうして…、どう、して……っ」

優しく包みこんでくれた柚子色の炎。
そっと送られた色々取り取りの花。
自分の生は諦めたのに、それでも私には生きろと送り出した炎の煌めき。


全部、覚えているのに貴方がいない。
貴方だけが、ここにいない。


「っ、ぁ…………」

笑い合うような関係にはなれなかった。
沢山話せた訳でもない。

きっと、海人さんが抱えていたこと、苦しんでいたこと、本音の1%も私は知らない。

こんな風に先輩達を責めても仕方が無いのかもしれない。

でも、

もっと、一緒にいたかった。
話したかった。
そうする時間があれば、何か結末は変わったのだろうか。



「…………」

「……帰ろう、山本」

沢田先輩が、俯く山本の腕を引く。
夏希と結希の方を見て、深々と頭を下げた。

「すみません、俺が知らなかったことがあったみたいですね。山本を……ここへ連れてくるべきではなかった」

「…………」

「カイ……海人のことも、返す言葉がないよ。本当に、夏希ちゃんの言う通りだと思う。ごめん」

「……それを言う相手は、私じゃありません…」

「そう、だね」

苦笑する沢田先輩。ギュッと何かをこらえるように手を握りしめる。

揺れる瞳が、一瞬あの人を思い出させた。

呆然として何も言わない山本の手を引き、反対方向へ歩き出そうとする沢田先輩。その動きを止めることなく、ポツリと呟いた。

「……きっと、海人さんを救えたとしたらそれは私じゃない。当事者じゃない私の言葉では慰めにもならないから。先輩達が……先輩達がもっと早く変わってくれたら、振り払われても手を伸ばし続けてくれていたら……」

違う未来もあったのかもしれない。
所詮、たらればな話だ。過去は変えられない、そう言ったばかりなのに。

こんな呪いのような言葉を吐いて、沢田先輩が傷つくのは分かっているのに……それでも、誰も言わないなら部外者だろうと口にする。もう、二度と会わないかもしれないのだから。

「…………」

沢田先輩は、何かを話そうとして口を開け、言葉にならず再び口を閉じる。

「……お見舞い、ありがとうございました」

「夏希ちゃん……おれ、っ……いや、何でもない。身体、大事にね」

「沢田先輩も」

「ありがとう」

泣きそうな顔をしてもう1度深々と頭を下げた沢田先輩は、今度こそその場からゆっくりと立ち去った。





「ナツ、」

「…大丈夫だよ、お兄ちゃん」

後ろから抱きしめてくれる兄の手をそっと握り返した。

温かかった。
あの人とは違うけど、産まれた時からずっと傍で見守ってくれた温もり。

今は、この温もりに生かされている。

「ごめんね、私もお兄ちゃんに……謝らないといけないね。勝手ばっかりして……心配かけてごめんなさい」

「…………後悔してるか?」

「……ううん。それは違う、海人さんについていったことは……後悔してないの。いっぱい心配かけたのに、ごめんね」

「……今は、もう考えてないんだろ?」

「うん」

「……なら、いいよ」

「お兄ちゃん……」

「ナツが笑って過ごせれば……それでいい」

ほら、と伸ばされた手を取る。
ニカッと太陽のように眩しい笑み。

子供の頃に戻ったかのように、手を繋いで歩いた。

「……お兄ちゃん、だいすき」

「っ……久しぶりに聞いたな!俺もナツが大好きだ!」

「あ、でも早くお兄ちゃん、お嫁さん見つけてね。可愛い甥っ子姪っ子見てみたいなぁー」

「おいおい……相手もいないのに、気が早いって…」

「ふふ、」

笑みが溢れる。
きっと、私はこの先あの人ほど好きで、愛せる人はできないと思う。

家族や友人の幸せそうな姿を見ながら、いつか穏やかに終われればいい。


それでいい、
それだけで……いい。



「だって、」



愛したあなたから、
一生分の無償の愛を、もらったのだから。







***

悠太さんのダークサイドを拝見して、思わず書いてしまいました。ダークサイド山本に1言言ってやらねばと……はい、山本さんが不憫なほどボコボコですが、ダークサイド山本は救われちゃいけない気がするのでよしとします。(←酷い)夏希ちゃんにズバッと言ってもらってスッキリです。

駄文失礼しました。
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