「……あら、早かったわね」
ガチャリと屋上のドアを開ける音がした。ゆっくりと緩慢な動作でそちらを向けば、少し驚いたように目を丸くした少女が口元に笑みを浮かべながら入ってきた。肩をこえて腰付近まで伸びたサラリとした金髪が、風に揺れて整った顔にかかる。指で耳にかければ、日本人らしからぬ彫りの深い顔立ちがよく見えた。
彼女は、1ヶ月ほど前にイタリアから並盛中へ転校してきた転校生。卒業まであと半年ほどのこの時期に珍しいと思ったが、だからといって特別興味もなかった。周りの同級生はその中学生らしからぬ美貌に男女問わず息を飲んでいたし、どこからともなく歓声やため息も聞こえた。だが俺は週末デートの場所を考えるのに忙しかった。上の空で椅子に腰を掛け、窓の外の秋空を見ていた。どこへ行けばあの子は喜んでくれるだろうか。お昼はファミレスだと味気ないか……。考えることはたくさんある。
「静かにしろ、お前ら!」
ざわつく教室の中で、先生の怒号が響く。一瞬にして静かさが戻った。静寂に満ちる空間。反射的に視線を前へ向けた。
「!」
イルミネーションの光のように眩しいと錯覚するような瞳の輝き、ガラス玉のように澄んだ金の瞳が、何故かこちらをじっと見ていた。そして、口紅を塗っていないのに血色の良いピンクの唇が弧を描いて微笑む。単純に綺麗な人だなと感想が浮かぶ。たが、決して面識があるわけではない。笑みを向けられる覚えもなく首を傾げた。わずかに疑問が浮かぶ。しかし、そんな小さな疑問は一瞬で驚きに塗り替えられた。
担任の先生が白のチョークを手に取り、黒板へ彼女の名前を書いた瞬間だった。
アンジェラ・フォンターナ
「っ、」
そのファミリーネームには聞き覚えがあった。息を飲むと、彼女は微笑みを更に深くしたのだった。
これが彼女との出会いだ。
「…………」
「約束の時間まであと10分もあるわよ。こんなに早くから待ってるなんて、楽しみしてくれてたの?嬉しい、陽人くん」
「約束?それは語弊があるな。俺はアンタと約束なんて交わした記憶はない。一方的な指示、もしくは命令だ」
手にしたのは真っ赤な封筒。ポケットから少ししわくちゃになったそれを取り出し、彼女の方へ投げ捨てる。シュッとコンクリートの床を滑るようにして手紙は彼女の靴先で止まった。それを見ても笑みを崩さない彼女は手紙を気にせず踏みつけて陽人の近くまで来ると、立ち止まった。そのまま屋上を見渡すと、フェンス近くに置かれたさびれたベンチに腰をかける。
「気に入らなかったかしら。昨晩丹精込めて書いたラブレターなのよ。私、男の人に渡すのは初めてだから、下駄箱に入れるときはとてもドキドキしたわ」
「時間内に来ないと契約破棄とみなして、家族を殺す≠アれのどこがラブレターだ」
「あら熱烈な内容ではなくて?」
「凍えるような冷たい愛をどうもありがとう」
「ふふ、照れるわね」
「皮肉だよ」
「あははっ」
鈴を転がすような高らかで、可愛い笑い声が響く。不快な声に思わず眉間のシワを深くした。彼女はこの容姿と明るい性格であっという間にクラスを支配している。いや、クラスだけには留まらず、学内には彼女のファンクラブまであるらしい。
ひとしきり笑うと、猫のような細い瞳孔がこちらを見る。金と金が交差した。
「今日はね、これをもって来たのよ」
「…………」
「これで陽人くんと遊ぼうと思って」
無邪気な笑みを浮かべて彼女がどこからともなく取り出したのは、銀色の棘がついた赤色の首輪。ご丁寧に、リードをつける箇所まである。
「ハッ、」
吐き捨てるように嘲笑う。
「ワンちゃんごっこでもしようってか」
「ごっこじゃなくて、陽人くんは私のワンちゃんでしょう?」
「期間限定の付き合いだということを忘れるな」
「それは勿論。契約書通り約束は破らないわ。死ぬ気の炎を使った契約は破棄できないのは知ってるでしょう?」
陽人の冷たい視線を物ともせず真正面から受け入れ、愛しいものを愛でるような眼差しで、人差し指をツーっと首輪の縁を沿うように触れた。
「卒業までの半年間、貴方は私の言うことを何でも&キくワンちゃんになる。その代わり、」
「大地の一族の短命を変える方法≠教える、だろ」
「そう、フォンターナ家が秘匿した秘密の宝物。一族の意志に反してそれを渡すんだもの、それ相応の対価は必要よね」
カチャリ、首輪の留め金を外す音がした。
甘ったるい声で、そっと陽人の名を呼ぶ。
「陽人くん」
「…………」
「こっちへ、いらっしゃい」
「……、」
ゆっくりと、だが確実に歩みを彼女の方へ向ける。見下ろすようにベンチに座る彼女の前へ立った。
赤い首輪を持つ細く長い手。日焼けを知らない白い肌には傷ひとつない。苦労なんてしたことのないお嬢様らしい手だ。
「あら?」
陽人を見上げるように座っていた彼女が、カクンと小さく首を傾げる。そして、地面を指さして困惑した表情を浮かべた。
「可笑しいわね、ワンちゃんは二足歩行なんてしないはずよ」
「……」
「ね、陽人くん」
初対面の時は綺麗だと思った瞳が、今は冷たく濁って見える。自身のそれと酷似した金色の瞳と視線が交差する。胸の奥につっかえる気持ち悪いナニカを押し殺し、片足を引いて下に付き、続けて両手も地面へつけた。秋になったとはいえまだ残暑の残る気温。遮るもののない屋上のコンクリートは熱くなっていた。一瞬顔をしかめるも、気づかないふりをして最後の膝をつく。睨みつけるように顔を上げれば、満足そうな笑みが見える。
「良くできました」
頭を撫でる手。吐き気をこらえてそっぽを向く。ふふと軽く笑う声が響いた。
「じゃあ、いい子の陽人くんには首輪をつけてあげる」
手に持つ首輪が、自身の無防備なそこへつけられた。内側につけられた金属の棘が、金具を閉めた瞬間皮膚へ優しく食込む。動かなければ痛みはない。屈辱的だが、それに耐えて無表情を貫く。首輪の金具に黒いリードが繋げられた。
「知ってる?これはね、トレーニングカラーって言うの。ワンちゃんのしつけ用の首輪で、無駄吠えや噛んだり悪いことをしたら……」
グイッ、
「っ、くぁ……っ」
「こうして痛みと苦しみを与えて、ご主人サマに逆らっちゃ駄目なんだって記憶させるのよ」
リードが引かれると同時に内側に向けられたままの棘が首に食込む。引っ張れば引っ張るほど気道まで圧迫され、息が苦しい。
「……っ、」
「ああ、安心してね。これは人用に改良したもので、セーフティーガードはついてないのよ。だから、こうして強く引っ張ればちゃんと首に食い込むの」
「ぐっ、……ぁあっ」
リードを巻いて短く持てば、さらに棘が首に刺さる。先端は針のように尖ってはいないが、それでも細く、金属でできているため硬い。意図しない生理的な涙が込み上げてきて、視界を曇らせる。飲み込めない唾液が、口角からタラリと滑り落ちた。
「痛みと共に経験したことは記憶に残りやすいのは、人も犬も同じってことね。私、陽人くんの記憶にたーくさん残りたくて、張り切って用意したのよ。あれ、陽人くん聞いてる?」
おーい、と緊張感のない声が遠くで聞こえる。
早く終われと何度も心の中で叫ぶ。
「ねぇ、陽人くん」
「っ、な……んだっ……」
苦しさでむせ返りながら、睨むように彼女をみればベンチから見下ろすように金の瞳がこちらを見ていた。
「正座でおすわりして」
「……っ、」
「できるよね」
お人形、もしくはアニメのヒロインキャラのような整った容姿の彼女がにっこり笑う。初めから拒否するという選択肢などないのに、それを問うなんてなんて無意味で意地が悪いのだろうか。……いや、そんなこと今更か。
震える身体を誤魔化すようにしながら、上体を地面から離すと手をそのまま太腿へ乗せる。
「うん、偉い偉い」
「っ……かはッ」
リードが不意に緩み、一気に酸素が流れ込む。思わずその場で咳き込むが、原因を作った彼女はそれを微笑みながらみているだけだ。
「良く出来たね、陽人くん。自分では見えないかもしれないけど、紅の所有印が刻まれたよ。綺麗ね」
「っ……」
「いい子のワンちゃんにはご褒美もあげなきゃ」
そういうと、まだ息も上手く吸えないままの俺を無視して白いバレエシューズの爪先を太腿に隠された恥部へ当てる。そして、爪先に徐々に力を入れた。
「っ、」
「ほら、ご褒美よ。嬉しいでしょう?もっと喜んでシッポ振ってもいいのよ」
「っ、だ……れがっ!」
「あれ、まだ刺激が足りなかったかしら。じゃあ……これはどう?」
力を入れるだけではなく、今度は軽く蹴るようについたり、円を描くように捏ねくり回す。痛みと共に経験したことのない不快感と知りたくないナニカが全身を駆け巡って股の間に集中する。せめてもの抵抗に顔を背け、痛いほど拳を握り閉めた。
「っ……ぐっ、」
「あははっ。欲情したような真っ赤な顔で、必死に耐えている陽人くん……かわいいわ」
声を上げて笑う彼女。睨むように見上げれば、更に笑みを深くして陽人の顎先をクイッと持ち上げた。
「ねぇ、陽人くん」
「っ、なんだ」
「陽人くんは、私だけのワンちゃんよね」
「……卒業まで、そういう契約だ」
「ああ……そう、ね」
一瞬、彼女の瞳がキラリと光って見えたがきっと気の所為だろう。次の瞬間には再び濁って見えたのだから。
「陽人くん、キスしてくれる?」
「…………」
このお願いは、もう何度目だろう。感情を揺らされることなく催促する彼女の顔へ自身の唇を寄せる。すると、次の瞬間首に衝撃が走った。
「っ、ぐっああ」
「あら、陽人くん。キスする場所が間違ってるわ。さっきのお礼も兼ねてしてもらわなくちゃ」
「なっ、」
「ここ、でしょう?」
リードを引っ張りながら、反対の手で示すのはつい先程まで自身の局部を触っていた靴先。思わず彼女を睨みつけるも、笑みを深くするだけ。リードを緩めるつもりもないらしい。
「さあ、陽人くん」
「……っ、」
「優しいキスをちょうだいな?」
「…………」
ひと息吐くと、頭を下げ、迷わず唇で靴先に触れた。頭上で黄色い歓声が聞こえるのをどこか遠く感じる。
とっくに、どんな屈辱も痛みも耐える覚悟を決めたはずだった。俺は長男だから。大切な姉と弟の為ならどんなことだってやる、そう決めたはずなのに。
(――――)
もう会えるはずもない人。
一緒に過ごした記憶すら、曖昧な存在なのに。
何故か、
今、側にいて欲しいと……強く願ってしまうのだ。
***
やってしまった……。
陽人くん、ごめんね。やりたい放題させてしまいました。でも、後半はスラスラと筆が乗って書けたので不思議です(←変態)SMって難しい……。
(悠太さん、ご体調大丈夫でしょうか…?どうか、無理せずゆっくり療養されて下さいね。後遺症が残らず、早く回復されることを微力ながら祈っています)
駄文失礼しました。