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長崎の歴史:中島川石橋群 5


前回の続きです

続いて目に入るのは
竿原橋です

この橋は1681年8月以前に
架設された記録がありますが
誰が架けたのかは
不明です

橋の名前は西道仙が
当時橋の周りには
草が竿々(せんせん)と生い茂って
いたことから
竿原橋と名付けられました


この橋は一部コンクリート加工
されながらも
昭和期まで残りましたが

1982年の長崎大水害で流出し
佐賀県唐津市の石材を使用して

鉄筋コンクリートの石張りで
再架設されました

次は東新橋です

この橋は1673年8月以前に
架けられた記録がありますが
誰が架けたのかは不明です


橋の名前は当時橋の東側に
新橋町があったことから
西道仙が東新橋と名付けました

長崎市の有形文化財に
指定されてましたが
長崎大水害で流出しました

現在の橋は佐賀県唐津市の
安山岩を使用して
アーチ橋として再架設しました

橋銘石の文字は
長崎市書家協会の書家が
書きました


続いては魚市橋です

この橋は1699年に長崎の商人で
大井手橋を架けた
岡正敏の弟の岡正恒が私費で
架橋しました

橋の名前は西道仙により
近くに魚市場があったことから
魚市橋になりました

この橋は何度も流出を
経験しており
2006年に川幅の拡張工事がされて

橋の欄干は当時の姿を残し
架け替えられました

次はいよいよ眼鏡橋です

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑スウィートくん
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