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長崎の歴史:福地桜痴 3


江戸参府の使節として
ヨーロッパへの
派遣から桜痴が帰国したのは
1866年でした

帰国した桜痴は
外国奉行支配調役格
通詞御用頭取として旗本に
取り立てられました

しかし時代は既に幕末です


福地桜痴は海外渡航などの経験から
開国派を主張してました

その主張はやはり他の攘夷派から
敵視されるように
そのストレスからか
酒など遊蕩に耽るようになりました


1867年の大政奉還の際
福地桜痴は
江戸幕府最後の将軍
徳川慶喜こそ
大統領となり新政府の主導権を
握るべしとの意見書を
幕府に提出します

桜痴の考えの妥当性は
認められましたが

肝心の慶喜の意向が判然とせず
その意見書は
取り入れられませんでした


江戸城開城の後
1868年5月に
桜痴は江戸で
「江湖新聞」を創刊します

翌月の新聞に桜痴は
「ええじゃないか、とか明治維新
などというが
ただ政権が徳川から薩長に
かわっただけ

徳川幕府が倒れて
薩長を中心とした
幕府が生まれただけ」と
厳しく非難しました

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑町ねこさん
新世界を探してます
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