話題:懐かしい映画
「汚れなき悪戯(いたずら)」
(スペイン 1955年)
スペインのある小さな村、12人の修道僧は聖マルセリーノの日に僧院の門前で捨て子を拾い、マルセリーノと名付けて育てることに。
5年後、愛らしい悪戯っ子に育ったマルセリーノ(パブリート・ガルボ)、空想の友達マヌエルと遊んでいるうちに納屋でキリスト像を発見し…。
(Amazonより)
先日のアメリカ映画「オーケストラの少女」について書いたことで、
一区切りついたような気がしたのだけど……
カトリックとプロテスタントのことについて考えていて思い出したのが、
この「汚れなき悪戯」と
「禁じられた遊び」です。
「禁じられた遊び」
(フランス 1952年)
どちらも、日本の宗教観とはことなるような気がします。
「汚れなき〜」は奇跡の顕現
「禁じられた〜」は亡くなったものを悼む気持ち。
日本人なら子供の頃、亡くなったペットのお墓を作った思い出は誰しも持っていると思うのですが……
キリスト教圏ともなると、勝手にお墓を作ってはいけないということになるのでしょう。
とはいうものの、スペイン映画の「汚れなき悪戯」
―原題〈マルセリーノ パンと葡萄酒〉は、
何回見てもマルセリーノ坊やが可愛くて愛おしくて、涙が溢れてきます
納屋のキリスト像の元へ、修道僧から隠れていそいそとパンやワインを運ぶ、マルセリーノ坊や。
こちらも、お地蔵さまにお供えする感覚に似ていなくもないような……。
人に嘘をつくことは、決していいことではないけど
ただ、純粋に相手に喜んで欲しかったという気持ちだったのではないか――。
そして、逢ったことのない母の話をするのが、嬉しかったのではないか……
そういうことを考えさせてくれるお話です