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どうして私はこうなったのかの覚書(4)

その内容を噛みしめていた。
評価。
賃金であれ、褒められるであれ、私は頑張ったと思っていても周りは評価していない。
むしろやればやるほどに自分を苦しめてるだけなんだって・・・。
大きな発表はそのまま後輩ちゃんにお願いすることになり、逆に結果オーライ。
私がやってしまったらきっと、できるでしょ?で終わっていたかもしれない。
すべてが繋がった。

『私がここにいなくても会社はまわるし、逆にいることで頼られすぎるのであれば自立の妨げになる』

そうだな。もう後輩ちゃんたち2人育てたし。できる子だから。
入院中の義理母と話をして、自分のこともあるけど一番は頑張ってきたことを当たり前ではなく、
この人でよかったと思ってもらえるといいのにね。
と、退院してからすぐにもうこのまま退職しなさいよ、まだ勉強したい気持ちがあるなら見つかるから。
という後押しもあり、母ももう少しだけ自宅にいてほしいという希望もありそのまま退職願いを申し出た。
今までであったらそんな簡単にとか言われたのに、逆に時短でもいいからとか、やりたいことあるのとか引き止めるのに必死だった。
主サマも私の戻る場所を作ろうとしていたが、それに甘えたら本当にまた嫉妬やパワハラや嫌がらせを受けるのはわかっているから。
すべて感謝としてありがとうという言葉でやめることを決意した。

そのとたんに、今まで悩んでいたことが嘘のように頭の中がすっきりとして、今までどうしてたんだろうと
思うくらい。
一過性のうつ病。今となったらそう診断された。
回復は早く、正直仕事に行けることは行けるだろうが、ずるずるするよりもひとまず今の職場との距離を置くことが一番大切だと担当医師から言われ、そのまま休職をなった。

現在は、次の仕事も即日決定しオリエンテーションも受けた。
上司というかまとめ役の人とは仲良くやっていけそうだし、勤務も大変かもしれない。
でもやりたいことをまた続けていけるというのはありがたい話だ。

うつ病になって、義理母が脳梗塞になって初めて家族の存在や子供の存在の大きさを身に染みてわかった。
この先まだまだいろいろあるけど、たぶんまた同じような悩みは出てくるだろうけれども、乗り切るだけのスキルは今の職場でいやというほど身に着けたと思えばパワハラも今となれば勉強だったのかなとか思える(余裕があるときには)。

さてと。一旦これでおしまい。
また日々のブログに戻したいと思います。かけないこともたくさんありましたが、でも結論としては
元気にいまは過ごせてます。
が結論です。仕事は、自分の体や心を守ってはくれません。
誰かに相談する、無理はしない、頑張れると過剰に仕事をしてもいいことはない。
自分のことを大切にする。
もう何も考えられない時には自分の限界だと知る。
笑えなくなったら、それは自分ではないと知る。(私はしばらく笑うことができませんでした)
そうして自分のメンテナンスをきちんとして、無理なものは無理と思うことが大切。
そして、周りにもたまには愚痴をもらすのもいいかなと思うよ。

たぶんまだうつ病はどこかに残っているとはおもうけれども、普段となにもかわらない元気な自分でいられることが大切です。
そうなるまえに、自分を一度落ち着いて見つめなおしてみてください。
家族がいる方は特に近い人に相談してください、弱音をたくさんはいてください。
シグナルをだしてください、それをキャッチしてくれる人はいるはず。

うつ病になって学んだことです。そして、私を心配してくれたすべてのひとに恩返しがえきるように
また元気になりたいとおもいます。


                      おわり。

どうして私はこうなったのかの覚書(3)

11月14日の朝。
起きたら、背中が重くて娘でも乗っているのか?と思うくらいの重圧感で目がさめた。
でも娘は隣にいて、叫んでも叫んでも声が出なくて泣くしかなくて、娘にパパを呼んでもらって
起き上れた。
痛みが鈍いので、もしかしたら胃か心臓だったらいやだなと思い、お休みをもらいそのままじぶんとこに受診をしにいった。
その日は自分が定期受診をしている先生がいたので、お願いすることにした。
待合室で、もう今なにが起きているのかもわからず、とにかく背中が痛いしかなかった。
診察に呼ばれ、先生にみてもらって内部的ではないけど、大丈夫?話してごらんよ。
と言われ、ついてでた言葉が

『もう消えたい。もうここから消えてなくなりたい。夜になるともうどうしたら楽になれるのか、
どうしたら死んでしまえるのかしか考えてない。消えたい、消えたいんです。』

先生に泣きながら訴えた。
でもその時に泣いている自分と初めて私を外から見ているもうひとりの自分を見た。
なんで泣いてるの?どうしたの?と思いながら見ているもうひとりの私。
ここまではっきりとした解離は初めてだった。
そのことは誰かにいっている?と聞かれ、パパには話していると。
自分の職場や自分に関して一番近くでみてくれていた先生なので、

『頑張ったでしょ。もう苦しまないでいいんだよ。』

そういって上司を呼んで私が『うつ病』であることを診断したと話した。重度であり、休職が望ましいと。
当時大きな仕事を抱えていたので、休みたくないという気持ちも強く、そうはいったものの、
薬を飲みながらでもやるといったけど

『何を言ってもダメ。君の命を救いたいんです。死んではだめ。生きるための力の充電をするだけ。
だから僕はいつもの君でいてほしいんです。』

その言葉に救われた。早い判断が職場は受け入れなければいけないという気持ちにさせてくれた。
命の恩人である。
その日から週1回の受診をすることと、絶対に死なないと約束してその日は帰宅した。
そしてその日の夜、義理母が突然の脳梗塞となる。
そこから自分がうつ病だとか考える暇もなく毎日が過ぎて行った。

義理母は対応だ早かったので、まったく奇跡的に近い状態で回復。
後遺症も少しは残りましたが、対処の早さを入院先の先生から褒めてもらえた。
毎日、入院先に通っていてやっぱり自分はこの仕事が好きなんだなぁって思うようになって、
義理母のこともあり、自分の担当の先生から電話をもらい、今のとこ大丈夫だよと話した。
受診日にそのことを改めてはなしたら、私のスキルはここでとどめておいても宝の持ち腐れになるだけで、開花してもそれをいとも簡単にへし折られそれでおしまいになる。
だったら、もう一層のこと退職を考えてもいいのかもしれないよ。
そういわれた。

NEXTにつづく。

どうして私はこうなったのかの覚書(2)

おはようございます。
さてさて、人生論文みたいなことになっていますが、先のことを考えて自分のことをふりかえるためにもうしばらくお付き合いください(苦笑)

えっと、今の職場の話だったな。
で、派遣から吸収されてそのまま就職みたいな感じになったわけで、今までお世話になった派遣会社とは円満とはいきませんでした。
でもそれはそれでうちの職場のやり口に問題があったと思うし。私は関与せずです。

それからしばらくして自分と同期の女の子がおめでたになり、基本的に同じ職場の他職種の方々には産休育休があったのに、今まで創立してからどんだけなのか知りませんが、自分とこの部署にはないことが判明。
同期の子と2人で上司たちを交渉して創立初めての育休産休(パートさんで)取得を実現させていただきました。
でも初めてだから復帰は6ヶ月で、すぐに託児所にいれてましたけどね。時短とか教えてもらえないし(ここ数年で知った)6ヶ月の子供かかえてフルタイムパート。
子供が2歳くらいになって、パート以上に残業が多いのでこのまま契約社員として働かないかと言われそのまま現在まで。
基本給とかあってないようなもの、月に30時間の残業をしないと基本給まで辿りつけないありさま。
契約だろうがパートだろうが、その職場で働くのは同じ。
相手がみればその人がどんな立ち位置かなんか関係ない。同じように責任をとり、謝罪し、業務をこなし、挙句の果てには相手から散々なクレームを受けても、上司は一向にでない。
それもあったし、契約職員から正社員になるためのスキルノルマがあって、そのノルマを達成するには今の配置ではできない仕事だった。

個人的にはもう8年にもなるしいい加減正社員として働きたい。
評価もちゃんと受けているはずとおもっていたのが間違いだった。主サマにもうやめたいと相談したのは今年の6月くらいかな。話を聞いてもらい、自分の部署の実態を話す。
そこですぐに動いてくれたけど、結局は正社員としてのスキルノルマ達成がなければダメといわれ
じゃぁそれが達成できるようになぜ考えないのかと主サマは言ったという。
でもそんなのに動じないのがうちの部署の上司。
まぁ。そんなこともあり、突然の内部人事異動を命じられる。その頃、再びパワハラにさらされることになる。
他部署の方ではあるが、自分だけではなく同じ目にあっている人もいるとは上司は言っていた。
私なりに無理だと、夢にまででてくるしもうしんどい、接点は人事異動でなくなるかもしれないけど姿をみるだけで震えるとも言ってきた。
けど、聞いて終わりだった。

11月から部署移動になる。
予想はしていたけど、私なら大丈夫だよね精神。そこは私も折れて、もうこのポジションに帰ってきたのも6年ぶりだからいろいろ教えてねと話してはいたけど、私以外にも今まで入社してきた人たちはみんなそこのポジションでないがしろにされもういやだと辞めていった。
指導者がいないから。教わりたくても、今聞かないでとか結構あしらわれてたみたいで(のちに退職した人から聞いた)。
そもそも、その人を今後どうしたいのかとかプロットがはっきりしてなさすぎだった。
とりあえず正社員になりたいから戻ってきたんでしょ?くらいの意識したもたれてなかったに違いない。
でも、そこはそこ。
仕事はやらなくちゃいけないし、日々ここまではやりましょうというノルマでいままでやってきたのに、
戻ってきたら素晴らしずさんな業務内容にびっくりした。
人手不足なのにもかかわらず、次の日まで業務は持ち越すしその持ち越した業務がまた面倒なのばっかりで・・・。
この1年愚痴しかなったけど、一番ひどい愚痴の1年だったと思う。

毎日夜の発作は起きるし、もう限界だったのかな。
そして11月14日の朝、私は初めて泣きながら叫んだ朝を迎えた。

NEXTにつづく。
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プロフィール
乙夜さんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 7月6日
職 業 医療・保健
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