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例えば強姦されて命は助かったとしてっ

「例えば強姦されて命は助かったとしてっ…でも精神は粉々に壊れてそれでも生きなくてはいけなぃ…?相談できるお友達も逃げる場所もなくてもただ生きてなければいけなぃ…?いっそ完全に壊れてしまえればぃぃけどっ…自分の計画は間違ってたんだょって気づいても引き返す事もできなぃ…後は苦しみと悲しみと絶望…地獄ですねっ…」




それでも生きなくては・・ なんて軽々しいことは言えません・・


虐殺に遭った人々とか・・ 


でも、ただ一つ言えるのが、地獄のような境遇でも人生を前向きに生きていけた人がいる、そんな境遇でも他の人に希望を与えることができた人がいる・・ という事実です。


それをどう受け止めるか   あとは個人で考えるべき問題でしょう・・


じゃ…自分の力量を過信してそれ以上の苦しみや悲しみを

「じゃ…自分の力量を過信してそれ以上の苦しみや悲しみを計画してしまった人が それに耐えられなくなって自らの命を絶ったとしても仕方ないってことかぁ… 私はもぉ二度と生まれてきたくないなぁ… 」




なるほど  いい考えです^^ すごい計画を立て過ぎたわけですね(・・;


でも自分で立てた計画が無理だからといって途中で、「やーめた」といって降りるのは仕方ないのでしょうか? それはルール違反と思います   


ルールを破った罰は恐ろしいみたいですよ(・・;


生まれてきた意味がないのではなくて

問い)「生まれてきた意味がないのではなくて大きな苦しみや悲しみを望んで計画して生まれたいのか?って事を疑問に思ぅんです。私は苦しみや悲しみを望んで生まれたいとは思わないからっ… かりん先生は苦しみや悲しみを望んで生まれたいと思いますかぁ?自分に与えられた命を何かの戒めになる様に計画して生まれてくるのだとしたらっ 」



もちろん苦しみはない方がいいと思うのは当然でしょう。でも何年か経って、「あの時大変だったけど、意味があったな」と思えることは結構あります。


願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」という言葉で有名な山中鹿之助は最後は闇討ちに遭いましたがその精神は引き継がれています。


でも、そもそも人生をトータルで考えると、「楽しいこと」と「苦しいこと」どちらが多いと思いますか? 実は、それを調べた研究があって、それによると「苦しいこと」の方が多いようなのです。

世界的にみてもどうですか?大半が飢えと貧困に苦しんでいて苦しいことが多いという説に納得できます。


つまり人生は「苦しむため」に生まれてきているのです。


苦しみの大きさは自分の力量に合わせて計画しているはずです。


私はこの説を信じていません。なぜなら虐待を受けて死ぬ事を

問い)「私はこの説を信じていません。なぜなら虐待を受けて死ぬ事を計画して生まれたいとかっ?殺人を犯して死刑台に立つ計画して生まれたいとかっ?いじめられて追い詰められて自殺する計画して生まれたいとかって思ぅんでしょぉか…? 」



ではお聞きします・・


虐待されて死んだ子どもには、生まれてきた意味は何もなかったと言えるでしょうか?


殺人犯はやはり生まれてきた意味がなかったのでしょうか?


いじめを受けて自殺した子どもには何の意味もないのでしょうか?


意味がないと思われるのなら、確かにそんなことをわざわざ計画して生まれてこないですね(・・;


そんなひねてくれてる自分が心底嫌いなんです

(人生って旅行のようなものです。自分で計画を立ててどのような旅行にするか生まれる前に決めてきたようです。あなたも今の親元に生まれることを決めたのです。勝手に産んでというのは間違いでしょう。きっと何かを学ぶためにあなたは選んだと思います)




問い)「わかります、そう言った話しも沢山調べたり聞いたりしてちゃんと自分を納得させようとして来ました。でもです、それでもしっくり来ないのです。自分の意志で出て来たとは考えられなくて、そんなひねてくれてる自分が心底嫌いなんです。」



どうして考えられないのですか?

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