「別れよう」
それは彼女にとって突然で無情な宣告だっただろう。目を大きく開き、黒い瞳が驚きと動揺で揺れていた。溢れ出た涙が頬を伝って流れ落ちる。自然と動きそうになる手を、ぎゅっと強く握りしめて抑える。
「理由も、教えて…くれない……んですかっ…」
「理由は特にないよ。もう君とは一緒にいられない、いたくないんだ。俺が。――ただそれだけ」
「そんなの納得出来る訳っ…!」
「ごめん」
背を向け、歩き出す。すぐ後ろから追いかける足音と悲痛な声が聞こえた。それでも立ち止まらず歩けば、冷たい手が勢いよく右手を掴んだ。
「……っ待って下さい」
「…………」
「いや、です……っわたし…、わたしっ……」
走って来たのか息が切れ、嗚咽まじりの泣く声が夜の町に響く。掴む手が微かに震えていた。振り向かなくたって分かる。青ざめた顔で大粒の涙を零しているのだろう。本当は今すぐ振り返り、彼女を抱き締めてあげたい。泣き止むまで側にいて、手を繋いで……なんて、泣かせているのは俺なのに。それに俺にはもうそんな資格はない。残された時間の少ない俺と一緒にいても、幸せになれない。だから………振り向かなかった。
「……海人さん…っ………」
掴む手をなるべく優しく離し、足早に歩き出した。後ろから、名前を呼ぶ声が聞こえる。頭を振った。唇を噛みしめる。自然と足取りが速くなった。
「…いかないで……っ」
「…………っ、」
か細い声が微かに聞こえた。
自然と足が止まる。一瞬が永遠に感じるほどの時間だった。噛み締めた唇からは血の味がして我に返る。
「…………ごめん」
もう一度謝罪を口にし、足を再び進めた。
追いかけてくる足音は聞こえないのに、彼女の泣き声が頭から離れなかった。
それから何年経っただろう。逃げるように恋人や友人、故郷から離れてただ我武者羅に世界を周った。その数はあっという間に増えてパスポートの束ができるほどだっ た。アルとも別れ、1人になってからは移動のペースが更に上がったような気がする。何かに急かされるように、一箇所には留まらず、同じ場所には2度行かない。1度携帯を落として新しくしたがデータが引き継げず、かつての知り合いとの連絡手段も途絶えた。けど何故かホッとした自分がいた。
大地の炎で他者の治療を続け、決して楽とは言えない旅をする中で段々と……静かにその時は近づいてきた。
「今日の具合はどうですかな?」
「……ご迷惑を……おかけしています」
ベッドに横たわる身体をなんとか起こそうとするが、まるで力が入らない。老人はそれを知ってか、柔らかな笑みを浮かべて窓を少し開けた。
冬の空は澄み切っていて、青空が見えた。窓の隙間から冷たい空気が入り、部屋の温かい空気と溶け合うように混ざり合う。
「迷惑だなんて、そんなこと考えないで下さい。大事な孫娘が助かったのは貴方のおかげです」
ありがとう、何度目か分からない感謝の言葉と礼を受ける。先日1番近い医者まで3日はかかるこの村で、酷い風邪を拗らせた女の子を助けたのがきっかけだった。女の子は一命を取りとめたが、限界を迎えた身体は助けた後から動けなくなった。それ以来女の子の祖父の家でお世話になっている。しかし、食事も受けつけなくなり今日で2日。きっともう……回復は難しいだろう。何処かボーっとする頭で漠然と死を受け入れていた。
杖を付きながら、部屋の中をゆっくりと歩く老人。手にしたクリスマスローズの白い花を花瓶へ生けると目を閉じてそっと手を合わせた。
(……娘さん……だろうか)
花瓶と共に飾られた小さな写真立て。若い女性が朗らかな笑みを浮かべて、こちらへ手を振っている。少し色褪せてはいるが、ホコリ1つない。大切にされているのが見て分かる。
じっと見ていたことに気づいたのだろうか、老人は目を開けると写真を手に海人の近くの椅子へ腰をかけた。
「妻です」
「……お若いころの写真ですか?」
「ええ。妻は20歳でこの世を去りました。病気でね、長くは生きられないと言われたとき、私達はまだ18歳で息子は産まれたばかり。こんな辺鄙な村では助かる方法も、金もなかった。もう……何十年と昔の話ですな」
老人はゆっくりと呼吸をして、愛おしそうに写真の女性を見つめた。何故かその姿にズキリと胸が傷んだ。
「…………ませんか」
「ん?」
「……奥さんと、別れようと思ったことは……ありませんでしたか」
なんて失礼なことを聞いているんだろうと、自分でも呆れる。怒られてもしかたないような質問なのに、老人はブルーの瞳を丸くした後声を上げて小さく笑った。
「実はね、もう長くないと分かった時妻からは別れてくれと言われたよ。先のない自分より、他に良い人を見つけて幸せに生きて欲しい。その姿を見れば安心して逝けるから……とね」
「…………」
「何をバカなことをと私は怒った。初めて声を上げて喧嘩したよ。ほら、誓いの言葉にあるだろう。病める時も健やかなる時も≠チてね。大切な人が1番側にいて欲しい時に逃げ出して私だけ幸せになれる訳が無い。だから、聞いたんだよ。私と別れて君は″Kせになれるのかって」
「……、」
「妻は……泣いて、否定した」
大切な、思い出なのだろう。写真の女性を指先で撫でるしわの深い手。微笑む顔にも生きていた年月を思わせる深いしわが刻まれていた。
「……後悔、してませんか」
「いや、すべてをやったと思えるからね。勿論別れの悲しみは今でも覚えているし、寂しさで目が覚める朝は今でもある。けれどそれで一緒に過ごした幸せな時間までなくなるわけじゃない。寂しさと恋しさはやがて愛しさとなって、妻亡き今も僕の心を温めてくれる。もし、あの時別れることになっていたら……きっと痛みも恋しさも穏やかに忘れていったのだろう。そして縁があれば違う女性と結婚していたかもしれない。けれど、ずっと後悔し続けたと思うよ。何故、あの時手を離したのだろうって。悲しみはいつかは薄れて癒える日が来る。けれど後悔はずっと残り続ける」
「…………」
「後悔はね、時に悲しみより残酷だと……私はそう思う」
「……っ、」
何故か、胸がぎゅっと苦しくなって……熱い何かが目元からこぼれ落ちた。今でも耳の奥に響く彼女の声が、焼きついて離れない。
…いかないで……っ
彼女は今どうしているだろう。泣いてないか、笑っているか……それだけが気がかりだった。あんな風に一方的に別れを告げておいてなんて身勝手な想いだろう。きっと今頃他に好きな人ができて……幸せにしているはずだ。こんな酷い男のことなんてとっくに忘れている。
(だから、これで良かったんだ)
頭ではそう納得しているはずなのに、喉に刺さった小骨のような後味の悪さがずっと胸に残っていた。
「……さて、年寄りの長話に付き合わせて悪かったね」
「……いえ」
「少し、休みなさい。君には休息が必要だ」
「…………」
促されるまま、瞳を閉じた。
すると、温かい手が額を撫でる。聞こえてくるのは異国の子守唄。聞き覚えのないはずなのに、心地よい。自然と意識は闇の中に溶けていった。
「………、…」
ふと目が覚めた。まだ室内は暗い。視線だけ窓の外へ向ければまだ夜が開け切らぬ日の出前のようだった。
(……ああ、)
「……そこに……いるんだろ」
「……海人」
窓辺にとまる1羽のフクロウ。瞳に薄っすらと六の数字が見える。声をかければ、小さく鳴いた。
「むくろ」
「クフフ、不思議だ。超直感もないのに海人にはいつも気づかれてしまう」
「はは、……どうしたんだ。いつもは遠くから見てるだけなのに」
「……貴方を、1人では逝かせません」
「……そっか…………優しいなぁ、むくろは」
「…………」
「……なあ、皆の様子……おしえて」
目を開けているのも辛く、ゆっくりと閉じた。
聞こえるのは骸の静かな声。
「クロームは独立してもう5年が経ちますね。元気にやっているようですよ、偶に犬達とも会って世話をやいているようです」
「…………」
「……沢田綱吉は昨年第一子が産まれて父親になりました。ボンゴレボスとしての地位も安定してきて、様々な改革を進めています。お陰で我々は忙しくていい迷惑ですがね。獄寺隼人は相変わらずの10代目バカです。まあ、それでも少しは右腕としてらしくなってきたんじゃないですか。少しは、ですけど。雲雀恭弥は知りません……知りませんが、海外へよく行くそうです。何かをずっと探し回っているとか。山本武は、海外暮らしが長いそうですが……ああ、そうそう来年籍を入れるとか言って浮かれてましたね」
「………そう、か…………」
次々と思い浮かぶ仲間の顔。日本へ来て辛いことも、苦しいことも沢山あったが、それでも今こうして思い浮かぶのは、楽しかった思い出が多い。
皆それぞれの人生を歩んでいる。
だから、だから……これで良かったんだ。
「…………聞かないんですか」
「…………」
ポツリと、呟くような骸の声。目を閉じていても、渋い顔をしているのが目に浮かぶ。
「彼女が……夏希がどうしているのか」
「…………」
聞きたくない思いと、知りたい思いが交差する。子どものように駄々をこねるような堪えきれない感情が湧き上がって胸が苦しい。教えて欲しいと一言言えばいいのに。幸せにしている彼女を知れば、安心して逝けるはずだ。
「……っ、……」
なのに、何故だろう。
言葉に詰まる。
「…………海人」
「……」
「今から話すことは、君にとって呪いになるかもしれない。本当は……教えない方がいいと分かっています。けど、君は知るべきだ」
「…………」
「夏希は高校を卒業した後大学へは進学せず、すぐ働きに出ています。お金を貯めては海外へ行く生活を繰り返しているそうです。海外へ行くにはお金がかかる。昼夜問わず働いて、無理をして倒れたことも一度や二度じゃ無い。それでも彼女は海外へ行くのをやめようとはしなかった。なぜだか分かりますか」
「……っ」
「海人、君を探すためです」
「……な、で……」
「大方山本武から事情を聞いたんでしょう。個人の力でこの広い世界から1人の人間を探し出すなんて、無理に決まってる。けど、誰に何を言われても彼女は諦めていない」
「……っ……」
「それは、夏希だけじゃない。沢田綱吉も、獄寺隼人も、山本武も……そして雲雀恭弥も。みんな君を探していた」
「……っぁ……」
「君は、愛されているんですよ」
涙が止まらない。水分も取れず、からからになったこの身体からもまだ出るものがあったとは。
離れて何年も経つのに、まだ想ってくれていたことが嬉しい反面、苦しくて悲しい。
想ってくれていた人達を置いて1人になったことは、あの時精一杯考えて決めた覚悟だった。これでいいのだと、間違っていないのだと……そう思っていた。そうであって欲しいと願っていた。
「……っ、」
後悔はね、時に悲しみより残酷だと……私はそう思う
けど、別の道もあったのではないだろうか。
少なくとも彼女には納得出来るまで、きちんと話すべきだった。彼女の人となりは知っていたはずなのに。
(……夏希)
海人先輩
大切にしますっずっと!
わたし、先輩を好きになって良かった。はじめてが継峰先輩で、嬉しい…です
…いかないで……っ
「…………な……つき、」
会いたい、もう一度……夏希に逢いたい。
照れて真っ赤に染まる顔、楽しそうに笑う顔、嬉しそうに微笑む表情が浮かんでは消えていく。
傷つけて泣かせたことを謝って、泣き腫らした頬を撫で、胸いっぱいに抱き締めたい。そして許されるのなら、名前を呼んで欲しい。
もう一度、
叶うのならば……どうか、もう一度。
「――――」
「おやすみなさい、海人」
親友に見守られ、眩しい朝日が登るのと同時に継峰海人は旅立った。
「ッ葵希ちゃん!」
手と肩の関節を強引に外し、拘束と呪符を外す。次いで足の拘束も急いで外した。焦るばかりで手が微かに震える。その間も声をかけ続けるが、血溜まりの中心で倒れる葵希はぴくりとも動かない。
「……っくそ」
最後の呪符を強引に解呪した反動で全身が痛むが、それでも無理矢理剥がして、葵希へ駆け寄った。
「…………ッ」
(酷い……)
見て分かるだけで、頭部、右肩、腹部からの出血がある。特に致命傷である腹部は動脈や臓器を巻き込み貫通した穴が空いている。それ以外にも骨折や打撲が多数だ。出血の量だけでも失血死していても可笑しくない。
(こんな傷で動いていたなんて……っ)
「葵希ちゃん、聞こえてたら目を開けて!」
身体を揺らしながら問いかけるも、返答はない。顔面蒼白で、痛み刺激にも反応しない。
「っ、」
顔を近づけ呼吸を確かめるが、すでに止まっていた。頸動脈ですら、触れない。
(心停止……!)
「……ッ、だめだ!」
すぐに気道確保し、心臓マッサージと人工呼吸を行う。勿論反転術式での治療も平行して行う。どんどん、と胸を圧迫する音が廃墟と化した街に響く。
(……っ、早く戻れっ)
じわじわと腹部の傷は癒えてきている。しかし、呼吸も心拍も戻らない。心停止からどれほど時間が経っていたのだろう。反転術式は万能ではない。失って時間の経った欠損部位は戻らないし、死者蘇生ができる訳でもない。そんなのが出来るのは宿儺くらい巨大な呪力の持ち主だろう。
「……、……」
ポタリ、ポタリと汗が額から流れる。すでに怪我人の治療をしてきた後で呪符の解呪にも呪力を使っている。呪力はさほど残っていない。絞り出すように呪力を集め、反転術式と蘇生に集中する。
時計がないから正確な時間は分からないが、すでに心臓マッサージから3分は経過していた。普通心停止から1分以内に救命処置が行われれば95%が救命できる。 3分以内では75%。5分経過すると途端に救命率は25%に下がり、8分経過すると救命の可能性は極めて低くなってしまう。勿論反転術式も使用しているのでこの限りではないにしても、早い心肺の回復は必須だ。AEDでもあれぱ、少しは助けになるのに崩壊した街中から探すのは不可能に近い。
「……葵希、ちゃん……っ、」
やっと……やっと、見つけたのに。
また俺は……っ彼女を守れないのか。
海人先輩
自分が継峰海人だと、すでに狗巻葵希として新たな人生を歩んでいる彼女に伝える必要はないと思っていた。彼女の負担になるだけだ、と。
せんぱい
だから、彼女が少しでも笑って過ごせるように。安心して任務へ行けるように自分の出来ること……反転術式を磨いた。真実を話せなくても、触れることができなくても……君が幸せでいてくれたら……っそれだけで良かったんだ。
「……っ、」
お願いだから、
お願いだから。
心拍も、呼吸も再開しない。呪力も尽きた。時間は無情にも過ぎていく。反転術式が使えないと傷の治癒も蘇生もこれ以上難しい。
(っ死なせるもんか……!)
何を対価にしても、絶対に。
「……っなつき!」
ピクリと、葵希の手が動いた。
「葵希ちゃん、具合はどう?」
「!」
ガラリと開いた扉。ベッドから起き上がり、そちらへ視線を向ける。久しぶりに会う海月さんは何処か疲れた表情を浮かべていた。
「遅くなってごめんね」
「……、」
首を振って答えれば、微笑んでベッド脇に置かれた椅子に座った。手にした聴診器や触診をしながら体調を確認していく。
「……よし、傷の経過は良好だね。あと1週間もすれば自室へ戻れるよ」
「……」
「……喉の方は変わりない?」
躊躇いがちに聞かれた答えに苦笑して返答した。あの渋谷での戦いの後、この病室で目が覚めてから声が出ないことに気づいた。蛇の目と牙の呪印が消えた訳では無い。恐らく無理に呪言を使い続けた反動で、声帯が機能しなくなったとのことだった。怪我ではないので反転術式でも治療出来なかったらしい。
「……ごめんね、治してあげられたら良かったんだけど」
「……っ、」
俯く海月に、慌てて首を振る葵希。命が助かっただけでも奇跡だった。失血死しててもおかしくない怪我だったはずだ。実際、海月さんがいなかったらあのまま死んでいただろう。
「……そうだ、携帯の使い心地はどうかな。慣れてきた?」
「!」
海月さんの言葉に、テーブルの上に置かれた黄色いケースのスマートフォンを手に取る。戦いの際に壊れた携帯を新しく用意してくれたは海月さんだ。診察に来れない日も綺麗な色の花をお見舞いに運んでくれた。何から何までやってもらってばかりで、申し訳ない。
「……あ、」
ピコン、と軽い音と共に海月の携帯が着信を告げる。届いたメッセージを開けば、ありがとうございますとペコリお辞儀をする可愛いスタンプが送られていた。
「使いこなしてるね」
「……、」
笑みを浮かべて、再び携帯を手に取る。呪言が使えなくなった今、筆談を制限する必要はなくなった。文字自体は理解していたが、いざ使うとなるとなかなか慣れず少し苦労したのは内緒だ。
「…………」
「葵希ちゃん?」
もう一度海月さんに会えたら、伝えたいことがあった。
パチパチと、携帯を操作する音だけが病室に響く。
【私を治療するときに、縛りを使用したと聞きました。もう、海月さんは反転術式を使用できないって本当ですか?】
「………!」
ピコン、音が鳴って携帯を確認した海月。驚いたような表情をするが、じっと見つめる葵希の視線に隠しきれないと思ったのか、重い口を開く。
「………それは、本当だよ。でも、君が責任を感じることじゃない。俺は俺のするべきことをしただけだ」
「…………っ、」
「それに……それを責めるなら、俺を助けるために葵希ちゃんは声を失った。責任は俺にあると思わない?」
「っ、」
瞳が揺れる。穏やかに微笑む海月さんの顔を正面から見れずに携帯へ視線を移して誤魔化した。
【私は、海月さんに助かって欲しくてやったことです】
「それなら、俺も同じだよ。葵希ちゃんに生きていて欲しかった。それだけだ」
「っ……」
【……どうして、そんなに優しくしてくれるんですか?】
「どうして、って……」
言葉に詰まる海月さんに、ずっと言えずにいた思いを告げた。溢れる気持ちを抑える呪言はもう使えない。そして手には思いを伝える手段がある。
【倒れている間……夢を見てました。夢の中で私は夏希≠ニいう16歳の女の子で、大好きな人と別れました。あまりに一方的なお別れで、戸惑ったし困惑しました。悲しみに暮れて……憤りもしました。けど、どうしても忘れられなかった。幸せだった頃の記憶がそうさせてくれなかったから】
今まで途中までしか思い出せなかった前世の記憶。
夏希≠ニしての最期の思い出だ。
【ある日、偶然会った山本先輩からあの日の真実を聞きました。どうしてあんなことを言ったのか、別れなくてはいけなかったのか……先輩の想いを受け取りました。理解はできました。けど、納得なんて出来なかった。そして猛烈に後悔しました。どうして、あの日引き止めなかったんだろう。みっともなくても迷惑でも、振り払われても……っ私は諦めるべきじゃなかった。海人先輩の手を、離してはいけなかったんです】
それから、内定の決まっていた大学へは進学せず、家族の反対を振り切って家を出た。海外と日本を往復する生活。だれからも無理だと言われた、諦めるしかないって。でも、そんなこと出来なかった。どうしても、もう一度……もう一度だけでいい。先輩に会いたかったから。
【海外と日本を往復する生活は、突然終わりを迎えました。先輩が……海人先輩が、亡くなったことを知らされたから。私は間に合わなかった。まだ、先輩に言いたいことが沢山あったのに。大好きだということも、ずっと側にいたかったことも。迷惑かもしれないけど、力不足なのかもしれないけど……先輩の抱えているものを一緒に背負いたかった。一緒に、幸せになりたかった】
そこまで打つと、涙が溢れ出て画面が見えなくなった。携帯を持つ手とは反対の手で、涙を拭うのに溢れる涙は、止まってくれない。
「…………っ、」
「ごめん……ごめんね」
パッと声のする方を見る。海月さんが、泣きそうな顔でこちらを見つめていた。いつもの穏やかな顔ではなかったけれど、やっとずっと探していた人を見つけた気がした。
「…………、」
「…………」
「……、っ」
「夏希ちゃん」
ゴトッと携帯の落ちる音がした。
もう、言葉は必要ない。
お互いの存在を確かめるように、抱きしめる。以前とは違う髪と瞳の色。しかしそれすら愛おしい。海月さん……海人先輩は、髪に触れ、輪郭にそって優しく頬を撫でた。流れる涙を細い指が払う。擦り寄るようにその手に自身の手を重ねた。
愛おしい、
その感情だけが胸をしめる。
ただもう一度会いたかった。
ずっと、ずっと……。
こんな記憶、なければいいと思った日もあった。わたしはどっちなのだろうと悩んだ時もあった。
けれど、夏希(わたし)は葵希(わたし)なんだろう。
2つの記憶があっても、わたしは1人だから。想いも感情も……過去の記憶も含めてわたしだと今なら思える。この想いは嘘でも勘違いでもないのだから。
「…………」
「…………」
重ねた唇だけが、これからの2人の関係を物語っていた。
***
最後までお読み頂き、ありがとうございました。一部台詞お借りしました。勝手にすみません。
久しぶりに続きものが書けて満足しています。楽しかった。この後葵希ちゃんは4級に降格しますが、呪術師を止めず兄や友人達を傷つけた呪霊達と戦うことを選びます。海月くんも反転術式は使えませんが、医師としての知識や技術で硝子さんを支えながら、呪術高専に残ります、五条先生や夏油さんの身体の件もあるので。2人共かなり怒ってます。原作見てないので死滅回遊どうなるか分からないのですが、アニメ3期始まったらまたハマりそう……。
駄文失礼しました。