「…………っぁ……」

言葉が出ないとは、こういうことを言うらしい。



教会のステンドグラスから夕日が差してオレンジ色に染まった空間。決して大きいとは言えないこの町にある小さな教会。昔、有名な職人さんがこのステンドグラスを作ったとかで有名になった唯一の観光場所だ。

昼間の明るい日差しに照らされた空間も素敵だが、私は昔から人もまばらになったこの夕刻の時間が好きだった。椅子に座りボーっとしたり、スケッチをするのが日課。両親とは違い決して熱心な信者とは言えないが、神父様も好きにして下さっている。今日もいつもと変わらない、そんな日になるはずだった。

手元の紙にいつものように鉛筆を走らせる。何も無い白紙から作り出される教会内の風景画。殆ど完成された絵だが、何か足りない……うーんと唸るとコツコツと後ろから足音が聞こえてきた。

(……誰だろ)

こんな時間に珍しい……そう思って、顔を上げた。

「…………っぁ……」
 
言葉が出ないとはこういうことを言うのかと、呆然として上手く働かない頭で思った。

(……女神、さま……)

ステンドグラスの光の下に照らされて立つ、1人の青年。私よりも10歳ほど年上だろうか。すらりと伸びた長い身長に、細身の身体。裾の長い黒い服がよく似合う。イタリアでは珍しい烏羽色の短い髪。そして、まるでモデルのように整った中性的な顔立ち。少し不機嫌そうに教会内を見渡す金の瞳。

図書館の本で見た外国の美術館に展示されている神様の絵画のようで……いや、それ以上の美しさと神々しさすら感じた。

惚けて青年を眺めていると、イエローダイヤモンドのように煌めく瞳がこちらを向いた。

「っ、」

「…………何か用か」

「い、いえ……あの、その……」

「あ?」

男性にしては低すぎない、頭まで優しく届くような声だった。話しかけられただけで鼓動が大きく、早く動いた。視線を向けられるだけでビリビリと身体に電気が流れるような感覚に襲われる。

「……め、女神様ですか……?」

「はぁ?」

「っいや、あの……すみません。本当に綺麗だったので………」

「…………」

尻すぼみする声。急に羞恥心で一杯になって俯く。顔に熱が集中し、真っ赤に染まったのが鏡を見なくても分かった。

「……」

特に返答もなく、無言の空間に戻る。チラリと青年を見上げればくるりと身体の向きを変えて教会の出口へ向かって歩きだしていた。

(行ってしまう……!)

「……っ待って下さい」

「……おい」

気づけば、服の裾をがっしりと掴んでいた。不機嫌そうな声が聞こえてくるが、離すもんかと力を込める。

「お願いします……っ絵の、モデルになってもらえませんか?」

「…………はぁ?」

驚いたような、呆れたような声が聞こえた。見上げれば鋭い眼光と対峙する。心の奥底まで見ているかのような、荒々しくも透き通った瞳。今更手が震えてきたが、負けじと視線を反らさず再度お願いをする。

「……お手間は取らせません。お礼は……っ少ししかお渡し出来ませんが、貯めてきたお金があります。お願いします。どうしても貴方を描きたいんです」

「興味ない、他をあたれ」

「お願いします!」

「……っち……あのなぁ、お前の目に俺がどう映ってるのか知らねーが、容姿を褒められたってんなもん胸糞悪いだけだ。女神だぁ?くだらねえ。俺はそんなお綺麗なもんじゃない。ガキは早く家に帰ってママの乳でも吸ってろ」

「……嫌ですっ!」

「しつこいな……」

「っ貴方がいいんです。貴方じゃなきゃダメなんです。上手く言葉では言えないですけど……この絵に足りないのは貴方だって、ピンときたんです。だから、うんと言ってくれるまで離しません」

「…………」

「絶対にっ!」

ハァと盛大なため息が聞こえてきた。見ず知らずの人間にこんなことを言われればいい気はしないだろう。迷惑をかけているのは分かりきっているが、それでもこのチャンスを逃したくない。ドキドキしながら相手の返答を待つ。

「……明日の同じ時間」

「!」

「1時間だけだ、それ以上は無理だからな」

「っ、ありがとうございます!」

自然と笑みが溢れて、胸が熱くなる。何度も頭を下げてお礼を伝えるが、答えることなく青年は去ってしまった。

「…………」

1人きりに戻ると、先程までの出来事がまるで夢か幻のように感じるが、まだドキドキと高鳴る心臓が現実だと告げている。ほぅ、と息をついて椅子に腰をかけた。

「……明日、頑張ろう」

決意を込めて、ギュッと手を強く握り締めた。




「今日はありがとうございます」

「……別に、暇だっただけだ」

「ふふ、でも嬉しいです」

翌日、名前も知らない彼は約束通りに教会へ現れた。昨日と同じラフそうな黒色の服を着て、気だるそうに椅子に腰をかける姿は、それだけで絵になる。

紙に鉛筆を走らせる。いつもと同じ作業のはずなのに胸が熱い。動かす手が早く、早くと先を急かす。ドクドクといつもより早い鼓動が聞こえてくるようだった。自然とペースも上り調子で、その分修正も多くなっているが楽しかった。こんな気持ちは久しぶりだ。

「……本当に綺麗な瞳ですね。髪の色と相まってまるで夜空に浮かぶお月さまみたいです。私なんて髪も目もただの茶色で……両親と姉は蜂蜜のような柔らかな金髪に深い海の底のようなブルーの瞳なんです。なんでお前だけ……ってよく言われました。そんなこと言われたって、私がこの容姿を決めて生まれてきた訳じゃないのに」

「……」

「双子の姉は頭も良くて、お人形さんのように可愛くて皆に愛されているんです。逆に私は要領悪くて、がさつで大雑把。お世辞を言ったり空気を読むのがどうしても苦手で。お前は可愛げないってよく言われました。双子なのに大違いだって。両親は姉ばかり可愛がって、食べるものも着るものも差別されて育ちました。だから……なのかな、姉とは自然と距離が空いちゃって。ここ数年はまともに会話もしてないんです」

見ず知らずの人にこんなことを話すなんて、私らしくない。けど、何故か今日は口が軽かった。鉛筆を動かして作品を描くと同時に自分の中からもナニカが出ていく……そんな不思議な気持ちだった。

「両親からの愛はとっくに諦めています。なんの感情もありません。でも、姉のことは……嫌いになれたら楽なんですけどね。私の欲しかったものを全て持っていて、目の前でキラキラと輝く姿を見続けるのは正直辛いし嫉妬だってします。姉さえいなければ……と考えたこともある。けど……本当に姉って良い子なんですよ。返事もしないのに話しかけ続けてくれるのも、姉だけなんです。ごちゃごちゃしてますよね、まとまりのない話ですみません」

「……」

「家でも学校でも居場所がないけれど、でも悪いことばかりではないんですよ。姉が期待される分、私になにも関心が向かないので好きにできるんです。1人の時間が長いので全て大好きな絵に注ぎ込みました。私だけお小遣いもないので、バイトをしながら絵を描く毎日ですが、いつかきっと……世界中を見て回りたい。美しいもの、綺麗なものに沢山触れて。人工物、自然、建物、食べ物……まだ知らない色々なものを見て触れて、描きたい。それが私の夢なんです」

誰にも話したことのない、たった1つの夢。

こんな田舎町ではここから出ることなく一生を終える人の方が多い。まともに絵の勉強をしたわけでもなく、ただ我流で描きたいものだけ描いてきた。そんな小娘が画家として食べていけるなんて、ありえないことだと100人聞けば100人が同じように答えるだろう。お前なんて無理だと笑われるような……そんな分不相応な夢。

分かってる、自分だって嫌ってほど分かってる。でも仕方ないじゃないか、焦がれるほど絵が好きで欲している。絵を描いている間だけが、上手く息が吸えるんだ。

(きっと彼も笑うのかな)



「……そうか」



ポツリと、彼は呟いた。
先程までとまるで変わらない表情で。

「…………っ笑わないんですか」

「笑って欲しいのか」

「……いえ…」

静かに胸の中で炎が灯った。じんわりと染み渡るように温もりが広がっていく。掴めないが確かにそこにあるもの。確かめるかのように胸に手を当てた。

「……ありがとうございます」

「あ?」

「いえ、なんでもありません」

訝しげにこちらを見る金の瞳。自然と溢れる微笑みを手で隠すと、再び鉛筆を紙に走らせた。

それから沢山の話しをした。
最近の町の様子や、安くて美味しいお店、1番綺麗に夜景が見えるスポット。好きな料理やから苦手な食べ物まで。絵を描き始めたきっかけや、好きな画家さんの話しなど止まることなく話し続ける。時には笑い、眉を潜め、怒り、肩を震わせて。

彼からは特に返答はなかったが、話しを遮ることも否定したり馬鹿にすることもなく聞いてくれた。こんな風に人と話すのはいつぶりだろう。

「初めて絵が売れたとき……本当に嬉しかったなぁ。日本から観光で来てた男の人で、路上の片隅で額縁もなく置いていた1枚の絵をじっと見つめていたんです。近くの店の中にはもっと上手い大きな絵が沢山あるのに、10才の子どもが描いた小さくて下手な絵を選んでくれた。お金を稼げたことも勿論嬉しかったけど、大切にするよ≠チて言ってくれたその言葉がとても……とても嬉しかった」

「…………」

その時は上手くお礼を言えなかったけれど、いつかまた会うことがあれば沢山の感謝の言葉を伝えたい。

「……絵が、好きなんだな」

「!……っはい」

満面の笑顔でそう答えれば、呆れたような表情を浮かべた後に何かを思い出すように遠くを見つめ、微笑を浮かべた。

「……っ……」

微かな変化だったが、初めて見た笑みに胸が高鳴る。ゾクッとした妙な高揚感が身体を走って自然と口角が上がった。パズルの最後のピースがはまるような感覚がして、鉛筆を握る手に力が入る。





「…………できた」

ようやく完成した絵。やり切った達成感と疲労を同時に感じて、大きく息を吐いた。

「……やっと、しまいか」

「はい、ありがとうございました」

青年が椅子から立つ音が聞こえてくる。お礼を伝えなくてはと顔を上げれば、薄暗闇にランプの火のような金の瞳が見えた。炎の煌めきにも似た光に思わず見惚れるが、ハッとして外を見た。すでに日は落ちて暗くなっている。

「す、すみません!1時間だけって約束だったのに……」

「ほんとにな」

「……すみません……」

描き始めてから3時間は経過していただろう。申し訳無さで消えるような声で頭を下げた。

「じゃあ、俺は帰らせてもらう」

「はい、本当にありがとうございました。これ、少ないですがお礼です」

すぐにくるりと身体の向きを変えて帰ろうとする青年に、慌てて鞄の隣に置いておいた紙袋を手にする。

「なんだ、これ」

「え、あの……お約束していたお金です。それと」

急に恥ずかしくなって、視線を彷徨わせる。ギュッと紙袋の持ち手を握ると思い切って前に差し出した。

「今日はバレンタインだから町中で沢山綺麗な花が売っていたんです……っべ、別に特別な意味はないんです。でも本当に今日は助かりました。なので受け取って頂けたら……嬉しい、です」

「…………」

暫くの沈黙の後、ガサリと音がして手が軽くなった。袋のなかには茶色い封筒とピンクのガーベラが1本丁寧にラッピングされていた。

「こんなこと、言って良いのか分からないですけど……とても楽しかったです。貴方に会えて良かった。今日のことは一生忘れません」

「…………」

「?」

「お前はきっと、――――すると思うけどな」

「え……?」

ポツリと何か青年が呟いたが丁度教会を閉める合図の鐘が鳴り、途中が遮られて聞こえなかった。首を傾げるも青年はもう口を開かなかった。

「今日は本当に、ありがとうございました」

深々と頭を下げて、再び顔を上げると同時にこちらに向かって何かが投げられた。反射的にキャッチすれば、それは渡したはずの茶色い封筒。

「っえ、あの……!」

「ガキにたかるほど、金に困っちゃいないんでな」

「でも、」

「じゃあな」

そう言うと、片手を上げて去って行った。呆然とその後ろ姿を見送るしかなかったが、教会の扉が閉まる音で我に返る。慌てて扉まで走って開けるも、すでにそこには誰もいなかった。

「…そういえば……名前も聞かなかったな……」

後悔がチクリと胸を刺すが、それ以上に今はポカポカと温まった心が嬉しかった。急いで帰り支度を済ませると、すっかり暗くなった道を急ぎ足で駆け抜けた。






「確かここに……あった!」

家に帰ってから、いつものように一人でご飯を食べるとすぐに自室に籠もった。今日描いた絵を入れる額縁を探して、見つけた1つ。すでに入っていた絵を出して今日描いたものと入れ替える。

「…………うん」

絵を入れたものを抱えてニヤニヤと笑う。自然と口元が緩むのは止められない。自画自賛かもしれないが、今まで描いてきたもので1番上手く描写できたと思う。

「……楽しかったなー」

絵を見ながら、今日の夢のような時間を思い出していた時だった。

ガシャン!

「っ、」

突如家の中で、何かガラスのようなものが割れる音が響く。それと同時に部屋の電気が消えて真っ暗闇になった。他の部屋も停電したのか急に家中が静かになる。

「……っえ、」

思わず絵を胸に抱いて、身体を強張らせる。暗闇に目が慣れるまでその場から動けない。その間も部屋の外からは何かが倒れるような音が聞こえてきていた。

「…………っ」

怖いが、このままいても危険かもしれない。この部屋には窓がなく逃げようにも一旦部屋の外に出るしかない。そう思うと、絵を抱えたまま部屋の扉をそっと開けた。

部屋の外は真っ暗闇で廊下に自身の足音が響く。極力音を立てないように静かに廊下を移動する。

(あれ……?)

すると、一部屋だけ明かりがついていることに気づく。そこは父の書斎だ。

「…………」

ゆっくりと、静かに足を進めた。

「…………」

ギィ……、
扉に手をかけるよりも早く、勝手に戸が開く。咄嗟に隠れなくてはと思ったのに、反射的に見てしまった部屋の中の光景に、その場から動けなくなった。ドキドキと胸が苦しいほど心拍が速まる。冷汗が米神を伝う。

「……っぁ…………」

部屋の中央に設置されたデスクの前で父と母が重なるように倒れていた。首から真っ赤な血を流しているのか、顔周りにはすでに血溜まりができていた。身体はピクリとも動かない。いつも自慢していた青い瞳は曇ったビー玉のように光を反射しない。とくに母の顔は恐ろしいものを見たかのように恐怖を浮かべて固まっていた。

「…っひ……」

一歩後ずさる。
すぐに壁にぶつかってその場に座り込んだ。いくらもう期待してない両親とはいえ、まさか死に顔を見ることになるとは思っていない。しかも初めて見る殺された遺体、身体が震えた。

(……っなにが、どうなって……)

「…………だから、言っただろ」

「っ!」

「お前はきっと、後悔するって」

突如かかる低い声に、ビクッと身体を震わせる。怯えたように声の方を見れば、驚きと絶望で目を見開いた。

「…………」

「……っぁ………ど、して…」

「……」

上から下まで真っ黒な服に身を包み、真っ赤な血が滴るナイフを片手に堂々と廊下に立つ青年。黒髪の間から金の瞳が鈍く光った。

昼間会った、あの青年だった。

「…………っ、」

「さあ、今度は俺の用事に付き合って貰おうか」

絵を抱えたまま思わず後ずさるも、背中はすでに壁でこれ以上動くことは出来ない。自然と涙が溢れて頬を伝って落ちた。

「……っ……」

恐怖でどうにかなってしまいそうなのに、こんな時ですら目の前の青年に惹かれてしまう。血の色やナイフすら似合うなんて、頭が可笑しくなったのだろうか。

(わたしも……殺されちゃうの、かな……)

こんなときですら、今の彼を描きたいと思う私はやはりどこか可笑しいのだろう。

「……これにこりたら、少しは他人を警戒することを覚えることだな」

「わ、たし……っ」

「じゃあな」

青年が大きく手を振り上げ……意識はそこで闇の中へと落ちた。






「ご苦労さま」

「ったく、面倒ごと押し付けやがって。いつからてめぇはそんな偉くなったのかね」

「……いや、一応ここのボスなんだけどね」

ヘラリと苦笑する男……10代目ボンゴレボス沢田綱吉は報告書を受け取る。サッと目を通すと小さく息をついた。

「……まさかとは思ったけど、やっぱり裏切ってたか」

「こんな世界じゃ、裏切りなんざ珍しくもないだろ」

「まあ、そうなんだけど……そうであって欲しくなかったっていうのが本音ですよ」

ボンゴレ傘下の古参マフィアが裏切っていると匿名の連絡を受け、調査と始末を任された空人か向かったのはイタリアのとある田舎町だった。事前の情報通りにそのマフィアでは密かに裏切りの準備を進めていた。綱吉の時代からボンゴレ内で禁止されている非合法な商売も続けていたらしい。協力者からの証拠提供もあって仕事が早く済んだのは楽で良かった。

「……それで、子ども達はどうなりました?」

「…………ご指示通りボンゴレ傘下の孤児院へ入れた。相変わらず甘ぇな。ガキだからって生かしてたらいつか復讐にくるとは思わないのか」

「……うん、そうだね。でも、あの子達なら大丈夫だと思う。空人くんもそう思ったんでしょ?」

「…………ッハ」

指示はしたが最終的な判断は現場に一任している。今子供達が孤児院にいるということは、そういうことなのだろう。

視線をデスクの上にある小さな写真立てに向けた。真っ白な額縁に飾られているのは白黒の1枚の絵だった。ボスになりたての頃に挨拶へ行ったある町で少女から買ったもの。初心を忘れない為にいつもここに飾っていた。






「どうか、彼女達が幸せに生きていけますように」






祈るような気持ちで、そっと目を閉じた。







***

いやー、こうじゃない感があって時間がかかってしまいました……。バレンタインにアップする予定が大遅刻です。さり気ない空人くんの魅力を出したかったのに彷徨って迷子です。海人くんや夏希ちゃんとか身内でワイワイしている姿は思い浮かぶのですが、一般人と空人くんとの会話が難しかった……。
駄文失礼しました。