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そういえば。








母の容態はまずまずの状態にまで戻り、一先ずは安心しております。

もしもあのまんま救急車も呼ばず町医者ラブの獣道を突き進んでいたらと思うと大切な粗品をポトリと落としそーになりますです。




そう──まるで。

線香花火の最後のように。



















さて(笑)




少しばかり物思いに耽っていたところ、すっかり忘れていたあることを思い出しました。


それはオレが中坊だった頃のはなしです。










オレ等世代が中坊だった頃はいわゆる校内暴力が全国的に蔓延していて、毎日のよーに津々浦々の学校で起こった事件をニュース番組で報じられてました。










ご多分に漏れず我が中学も校内暴力事件が勃発、警察沙汰になりマスコミが数社やってきました。







この事件がきっかけで、オレの素行や将来を危惧した両親が、どこでどう知り合ったのかよく当たると評判の姓名判断のセンセとやらに相談したみたいで笑うやろ?





心配してくれるのはありがたいが、当時のオレは野球に明け暮れていたんだぞ?

素行が悪くなるとか道を外れるとかそんなヒマあるかいなって話よ(笑)









まぁーしかし。

幾らか金を包んで頂戴したアドバイスをさっそく実践しよーと色々オレにも吹聴してくれたがオレからすりゃあほくさーてあほくさーてすぐ忘れた。













でも。


ひとつだけ未だに耳に残ってることがあるんだな。





そこまで気掛かりだったのか両親はオレの就くべき職業まで聞いていた。


それによると、
オレは『絵描き』か『物書き』になれば良いと言われたそうだ。






ま、どっちもキライじゃないけどさー、それでメシが食えるほどの才能は感じてないしね(ーー;)








だが一方でこうも考えてみる。

もし当時のオレがそれを本気にして絵描きか物書きを志していたなら───








成功していれば良いが、大コケしていたらと思うとやっぱり大切な粗品をポトリと落としそーになります(笑)













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