晴れた日の暖かな時間を狙って、娘と散歩へ出掛けます。
大体は家の前の公園へ。
ベンチに座って娘を膝に乗せる。
最近首が座った娘は、軽く支えてやれば座る体制がとれるようになりました。
私の指を握って、それを熱心に見ている様子。
ケヤキの樹の綺麗な小さな公園。
角に面してL字型にあるだけの、とどまる人よりも通り抜けていく人の方がずっと多いような。
葉を落とした樹々もとても綺麗。
赤茶けた枝を空に伸ばす様子は、夏や秋よりもあからさまではなく、なんだか上品だと思う。
今年はいい年でした。
毎年ね、いいこともあったし悪いこともあったなと振り返るんです。
でも今年は自然と、いい年だったなとだけ思いました。
出産をして娘と出会えて。
どんな暮らしになるか、新たな苦しみが待っているんじゃないかと産前は怖くもありました。
怖がる必要なんて全然なかった。
娘は、忘れられない温かな思い出を既にたくさんたくさんくれました。
一緒にお風呂に入って、薄桃色の肌をすみずみまで綺麗にしてあげること。
暗い部屋でふたりでベッドに寝転んでじーっとお互いを見ていること。
銀色の小さな小さな三日月のような爪を息を詰めるように集中して切ってあげること。
あやすと声をあげて笑ってくれたこと。
真夜中、しゃくりあげる小さな身体を抱いてやること。
こうして、あたたかく柔らかな生き物を抱いて公園でぼーっとすること。
全部今年初めて経験したこと。
10月に「娘は今の毎日のことを忘れてしまう」と日記に書いたら、たくさん拍手コメントを頂きました。
今の毎日を娘が全て忘れてしまっても、残るものはありますよというコメント。
愛情や安心、信頼が残る、とのこと。
(正確な表現ではなく、ニュアンスですみません)
とても勇気付けられました。
本当にありがとうございます。
そうなのかもしれませんね。
というか、そうだったらいいな。
娘に色々なものを与えられたら。
私は、既に娘からもらいすぎなほど多くのものをもらったから。
それはゆうちゃんにも。
ゆうちゃんにも何か返せていたらいいな。
色々なものをもらっているから。
娘が生まれてすぐの頃はなかなかふたりでゆっくりする時間がとれなかったんですが、最近ようやく少しずつ一緒に過ごせるようになってきました。
この間はね、娘を寝かしつけたあと、ふたりで焼き肉をしたんです。
食べきれないくらいたくさん肉を焼いて、お菓子も食べて、テレビからはM-1が流れてて。
忘年会みたいだねってふたりで笑い合いました。
今、彼はなんだか正念場みたい。
彼はなんというか、全体的に善悪の人。正しさみたいなものをすごくすごく大事にする。
まっすぐで、嘘がつけなくて、いつかぽっきり折れてしまいそうで。
正しくなくて嘘つきでふにゃふにゃな私はそこに惹かれたんですが、今、正しさだけではやっていけない場面にたどり着いたみたい。
ここからどうなるか。
話をきいて頷くくらいしかできないのがもどかしいですが。
私にとってこの一年は、つわりが始まり、お腹が大きくなって、胎動が始まり、臨月を迎えて出産して、新生児期から少し大きくなり、首が座るまでの一年でした。
妊娠の初めから生まれたてを一年でやったような感覚。
この一年、特に娘が生まれてからは夢のようで、頭がぼんやりして、ただただ日々を過ごしてきました。
家と、徒歩1分の公園と、徒歩5分のスーパーと、自動車で15分の実家が、平日の私と娘の世界のだいたい全て。
娘と過ごすには今のところ大きな音やテレビは必要ないから、最低限の音で静かに穏やかに暮らしています。
出産して、生まれたての娘を育てる毎日で、一旦私の世界は静かに閉じていきました。
それは私にはとても居心地のよい毎日で、もちろん不便はあるけれど、夢のように穏やかな日々でした。
来年はそこからまたスタートする年になりそう。
今はまだ、母乳だけで生きている私の赤ちゃん。年が明けたら5ヶ月になる。
離乳食を始める時期です。
徐々に娘は「私の赤ちゃん」ではなくなっていく。来年はその始まりの年になるんだと思います。
娘の世界を広げていく一年になる。
もちろん私の世界も。
また一から色々なことをしたいな。
私まで生まれたてみたいな、そんな気持ちです。
この間、たくさん雨が降った次の日の朝「大きな虹が出てるよ」って出勤中のゆうちゃんが教えてくれたんです。
急いで娘とふたりでベランダに出ました。
上から赤、黄、緑、青、紫。
寒くて明るい冬の朝。
娘にとっては初めての虹。
じっとそちらを見ていました。
これも忘れられない出来事。
来年もいいことあるといいな。
娘にも、私たちにも、もちろん皆さまにも。
年始は冷え込むようですね。
風邪をひかないようご自愛下さい。
それではよいお年を。
またブログを書きますね!
風の強い大晦日の朝に
立花 まき
『優しいあの子』